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短編小説|かくれんぼ

今日は、『かくれんぼ』というお話をお届けします。
10分くらいで読めると思います。少しだけお時間をください。

 音が聞こえなくなってから、どれくらい経つだろう。

 遠くの方から聞こえた「みーつけた」の声も、今は聞こえなくなった。辺りはしんとしていた。それが余計に僕を混乱させた。

 ドク・ドク・ドク。

 心臓の鼓動は、やたらと大きく鳴っていた。胸に手を当てると、ますますそのテンポは速くなる。

ドクッ・ドクッ・ドクッ。

 周囲はまっ暗だった。
まるで暗闇は、この世の全ての光を吸収したかのように、僕を包み込んでいた。目は開いているに、目を閉じているような錯覚さえおぼえた。

 試しに目を閉じてみる。
けれども、世界は何ひとつ変わらなかった。一点の明かりのない暗闇が、僕の身体からだを包み込むのを抵抗するので精一杯だった。


 3月15日、午後3時。快晴。

 僕たちは、いつもの公園で遊んでいた。
家から数百メートルくらい先にあるその場所は、僕たち小学生の溜まり場となっていた。学校から帰ってくるときまって、近所に住む友達と公園に集まる。それが僕たちの日課だった。

 今日も例外ではない。
「帰りの会」が終わると、僕は一目散に教室を出た。僕は人よりものろまなのだ。だから、人よりも早くスタートを切らないといけないし、全速力で走らないといけない。けれど帰り道で、友達のたけるにいつも抜かされてしまう。

 健は僕に追いつくと、とたんにスピードを落とし、まるで競歩選手になったかのように左右の足をクネクネと交差させていた。僕はそれでも健の早歩きについていけなくて、まもなく横腹を押さえて地面に倒れ込んだ。健はケラケラと笑っていた。

 ようやく家に帰ってくると、「ただいま」も言わずに、僕は玄関でランドセルを放り投げた。それからすぐに、公園へと走り出した。集合に遅刻するくらいなら、母に叱られた方がましだった。

 公園に着くと、みんなはすでに集まっていた。彼らはアスレチック広場でブランコをしたり、滑り台をしたりしていた。うんていにチャレンジしている人たちもいた。

 小学3年生の僕たちは、うんていに苦戦していた。僕なんて、うんていにぶら下がったまま、1つも進めずに地面に落ちることしかできなかった。いっぽう、運動神経抜群のたけるだけは、一個飛ばしで楽々とこなしていた。

 遊具で遊んだあとは、全員でかくれんぼをする。それが僕らのお約束のパターンだった。

 僕はかくれんぼが苦手だった。
体はぽっちゃりとしていたし、運動も大の苦手だった。たとえ動きの少ないかくれんぼでも、最初に捕まるのはいつも僕だった。

「本気じゃないし、弱気だし」

 それが、僕のいつもの口ぐせだったと思う。
友達はというと、みんなかくれんぼが得意だった。友達の一人は周囲の些細ささいな音の変化に気づけたし、視力もうんと良かった。公園の入り口にいても、数十メートル先にある木の幹の模様を仔細しさいに観察できるほどだった。

 茂みの中に隠れるとき、カメレオンみたいに周囲の環境にうまく溶け込める達人もいた。サルみたいにスルスルと登っていく、木登り名人もいた。もぐらみたいに穴を掘る猛者もいた。とにかく、周りのみんなはすごい人だらけだった。

 

「もういいかい?」
「まーだだよ」
「もういいかい?」

 公園中に子供たちの声が響き渡り、四方八方へと散っていく。いっぽう鬼は、公園の中央にそびえ立つ大木の太い幹の前に立っていた。両手で顔をおおって目隠しをして、来たる時をじっと待っていた。

 鬼は数字を声に出しながら数えていく。与えられた時間は、たったの5分だった。

「いーーーち、にーー、さーん、よん…..」

 公園には、ヒューヒューと冷たい風が吹きつけていた。鬼は寒さのせいで、足がガクガク震えている。数えるペースはしだいに速くなっていく。大木はまるで首を横に振っているかのように、大きく揺れていた。

 ちょうどその頃、僕は公園の入り口にある門へと向かっていた。僕は人よりも走るのが遅いのだ。だから、最短距離で門まで走らなければならないのだ。

 門の前では、公園を散策する老夫婦が仲良く手をつないで歩いていた。キャッチボールをしに来た親子やボールを持った同い年くらいのサッカー少年達もいた。みんなが僕を見ている気がした。

 僕は公園の入り口にある大きなクスノキの前で足を止めた。よし、一番乗りだ。僕は胸を撫で下ろした。

 それから、木登りをはじめた。
まず、木の幹に手をまわす。次に、幹に両手でしがみつき、ミノムシみたいにゆっくりと這い上っていく。少し格好は悪いが、これが一番はやい。何度も尻もちをついた末、なんとか太い枝につかまることができた。

 下を見下ろすと、門の前にいた親子やサッカー少年達が小さくみえた。けれど、老夫婦の姿はすでになかった。その瞬間、思いがけない光景を目にすることになる。

 たけるだ。
僕のちょうど真下に健がいた。健はにんまりと笑いながら、こちらを見上げている。

 「みーつけた」

 「なんだ、健か。君は鬼じゃないだろう」
 「お前を追っていたら、ここにたどり着いたんだ」

 僕は両足で枝を固定し、「どういうつもりだ?」と返した。すると健は、「この場所をオレにゆずらないと、鬼に居場所を知らせるぞ」と脅しをかけてきた。おまけに右手には、木の棒を持っている。

 きっと拒めば、地面に木の棒で「この上に人がいます」なんてメッセージを記す魂胆こんたんだろう。健はそういう姑息こそくな人間なのだ。

 あぁ、降参だ。
僕はあきらめて、健に場所をゆずることにした。僕は慎重に降りていったが、途中で小枝に足を引っ掛けてしまった。地面に尻もちをついた。健は、またケラケラと笑っていた。

 健は慣れた手つきで木登りをはじめた。木の幹に掴まってからは、何の迷いもなくスルスルと登っていった。落ちる気配はまるっきりなかった。僕は安心して、その場を去ることにした。

 次に僕が当たりをつけたのは、遊具などが点在しているアスレチック広場だった。広場では、子どもたちがすべり台やら、ブランコやらに乗って無邪気に遊んでいた。

 もう時間がない。
そう思って周囲を見渡すと、ブランコの横に妙な看板があることに気づいた。それは、これまで見たことのない看板だった。

Aコースは、こちら!!

 看板にはそう書かれていた。それなら、Bコースあるのだろうか、という疑問が一瞬頭に浮かんだが、そんな悠長なことは言ってられなかった。

 僕は、これに賭けてみることした。


 Aコースに進むと、雑木林に囲まれた一本道がつづいていた。ひんやりとしていて、散策にはもってこいの場所だった。細い道がどこまでもつづいていた。

 周囲には誰一人としていなかった。
ここはかくれんぼをするのに絶好の場所かもしれない。そう思った。誰も辿り着けないところまで進めば、鬼に見つかることはない。きっとそうだ。僕は森の奥へと急いだ。

 道はしだいに、なだらかな下り坂になっていった。走るスピードは自然と増していった。まわりの木々も猛スピードで近づいてきた。僕はただひたすらまっすぐ走った。

 道はだんだんと細くなっていった。
周りの木々が僕に迫ってくるような気がした。なんだか、友達とおしくらまんじゅうをしているみたいだ。僕は、細くなっていく道をひたすらまっすぐ走った。道が細くなればなるほど、辺りは薄暗くなっていった。

 黄緑色の葉っぱをつけた木々は、しだいに深緑色に変わり、やがて輪郭が見えなくなるまで暗くなった。お化け屋敷で見た暗闇よりも、うんと夜更かしをしたときの夜よりも、それはずっと暗かった。これまで出会ったどんな暗闇よりも暗かった。

 目をつぶっているみたいだ。夜になったみたいだ。昼から夜へ、時間を移動しているみたいだ。

 僕は少しずつ怖い夢を見ているような気がしてきた。周囲は暗くて何も見えず、おまけに音も聞こえなかった。心臓の鼓動だけが大きく鳴っていた。胸に手を当てるとそのテンポは速くなった。

ドクッ・ドクッ・ドクッ。

 今ごろ、みんなは何をしているのだろう。まだ僕を探しているのだろうか。5時を告げるメロディーチャイムは、はたして鳴ったのか。母は僕の帰りが遅いのを心配しているかもしれない。このまま何も食べずに過ごせば、僕はどうなるのだろう。食べ物も飲み物もなければ5日も生きられないと、そういや何かの本で読んだことがあった。

 僕の頭の中は、まるで悲しい気持ちを誤魔化すかのように、さまざまな言葉が飛び交っていた。言葉の渋滞のなかでは、物事を整理するすべはなかった。

 考えが前へと進まないあいだ、左右の足だけが体を前へと運んでいた。僕はただひたすら、とぼとぼと歩いて行った。


 目の前に小さな光の玉が見えたのは、ちょうどその頃だった。特にこれといったきっかけはなく、ふとした瞬間に、暗闇のなかに豆粒ほどの大きさの光が遠くの方に現れた。同時に「おーい」という声も聞こえた。

 それは、父の声だった。
それから、「どこにいるのー?」という母の声も聞こえてきた。僕を心配した両親が公園まで迎えに来たのだろう。光のある場所まで行けば、両親がいるはずだ。きっとそうだ。

 僕はまるで、暗くて長い洞窟の出口を見つけたときような高揚感こうようかんを抱きながら、光の玉のある方へ走っていった。そこに近づけば近づくほど、つまり森の奥へ進めば進むほど、その光は大きくなった。僕の心臓の鼓動は、ふたたび大きなリズムを刻んでいた。

 しかし実際は、光に近づけば近づくほど、両親の声は小さくなっていった。やがて明るい場所へと到達したとき、両親の声はまるっきり聞こえなくなった。両親の姿もどこにもなかった。

「おーい」

 どんなに声をあげても、僕の言葉は森の中に響き渡るだけで、何の効果ももたらさなかった。風船のようにふくらんだ大きな期待は、まるで空気が抜き取られたかのように、一瞬にして小さくしぼんだ。

 僕は自分の期待が大きく裏切られたことを悟ると、地べたに腰を下ろし、言葉もなくうなだれた。木々が生い茂る大自然のなかで、僕は泣いた。大きくふくらんだ風船がシューっとしぼむように、音を立てずに泣いた。涙を流しているあいだ、頭の中を巡らせていた様々な感情が解き放たれていった。もやもやとした考えが整理されていった。しばらくして、僕は泣き止んだ。森の奥へ進む決意を固めていた。

 道は100m進むと暗くなり、また100m進むと明るくなった。要するに、道は暗くなったり明るくなったりを繰り返していた。初めは辺りが暗くなる度に怯えていたが、何度も繰り返すうちにだんだん慣れていった。まるでそれは、目に見えないトンネルを何度も通過しているかのようだった。

 不思議なことは他にも起こった。
雑木林の奥へ進んでいるあいだ、僕は走るのが速くなっていた。身長が伸びて、筋肉も増していた。自分がだんだんと、強くたくましくなっているような気がした。肉体的な変化だ。

 精神的な変化もあった。怖さとか怯えとか、そういった暗い感情はなくなっていた。代わりに、自信が芽生え始めていた。今なら、何をやっても上手くいきそうな気がした。

 そのあとも道は暗くなったり、明るくなったりを繰り返した。僕はあまりにも長い時間走ったためか、息切れしそうになった。険しい崖に囲まれた場所まで来たとき、僕は地面に腰を据えて、休憩することにした。

 そして、さらなる不可思議な出来事が起ころうとしていた。


 とつぜん、僕の目の前にたけるが現れたのだ。けれど、それは僕の知っている健ではなかった。威張っている様子は1ミリもなくて、むしろ弱々しくなっていた。それに、顔も違っていた。おそらく、僕の父親くらいの年齢だと思う。健の顔にはしわがあり、髭も生えていた。

「もしかして、健?」

 健は何も言わなかった。
僕は何度も「健?」と声を掛けた。それでも健は何も言わなかった。それは沈黙を貫いているというより、僕がいることに気づいていないかのような振るまいだった。

 僕はまるで、テレビ画面に映る映像にひたすら話しかけているような、そんな虚しさを感じた。

 健は僕を見てはいなかった。ずっと遠くを見ていた。僕は後ろを向いて、健の視線の先を追った。そこには、あの老夫婦がいた。それは公園の入り口の門の前で見かけた、あの老夫婦だった。老夫婦は僕たちよりも100mくらい先にいて、こちらへとゆっくり近づいていた。

 老夫婦が目の前にやってきたとき、見覚えるのある顔だと思った。どこかの誰かに似ている気がした。おそらく、会ったことはないと思う。

 健は、「まことに申し訳ございません」と言いながら、深くお辞儀をした。事情を知る由もないけれど、僕もお辞儀をした。

 お婆さんは「かえしてください」と言った。彼女の瞳からは大粒の涙が流れ出て、頬を伝っていた。お爺さんのほうは、じっと黙って健を見ていた。健はふたたび、「申し訳ございません」と言った。僕にはどうすることもできなかった。


 とつぜん「おーい」という声が聞こえた。「どこにいるのー?」という声も聞こえてきた。両親の声だ。ふたたび僕を探しに来たのかもしれない。声のする方へ目を向けると、両親は険しい崖の上にいた。

 僕は直感的にもう行かなくてはならない、と悟った。ここにずっといるわけにはいかない、と悟った。僕は健にさよならを告げた。健は何も言わなかった。それから両親のいる険しい崖の方へ走っていった。

 崖は想像の何十倍も険しかった。足を引っかける場所をあやまれば、命取りだ。木登りみたいに、やり直しはきかないのだ。僕は全神経を集中させて、くぼみに足を引っ掛けていった。無理はせず、少しずつ登っていった。

 なんとか頂上まで登りきったとき、僕は地面に倒れ込んだ。近くにいた両親は僕を見つけて、僕の名前を呼んだ。健もいた。それは、大人びた健ではなかった。僕の知っている健だった。

 僕は顔を上げると、そこは夜の公園だった。僕はアスレチック広場にあるブランコのそばで倒れ込んでいた。さっき登った断崖絶壁は消えてなくなっていた。

 父は僕を見つめながら、安堵の表情をしていた。母は、はらはらと涙を流していた。

 公園には、雑木林のつんと鼻をさす匂いが漂っていた。それは、新しい季節を宣告する独特な匂いだった。僕の苦手な匂いだ。僕は右手を丸めて、口元に当てた。それから、匂いが入らないくらいの小さな空間を作り、ゆっくりと息を吸った。

 あぁ、春が来た。

 改めまして、雨宮 大和あまみや やまとです。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
最近、短い投稿しかできなかったのは、この小説を書いていたからです。
 今後は、読書日記だけでなく、小説も定期的に書いていくので、これからもnoteを読んでもらえると嬉しいです。

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