あなたの周りが敵だらけなのは我々のせいじゃない

プロローグ


先日、note内にて長文で恨み節を書いていた人物の話だ。

要約すると
・わたしはBさんにひどい裏切られ方をされた
・そのせいでCさんからの信用を失った
・今まで友人だったAさんもわたしを裏切った
・そのせいでグループ展が中止になり会場からも信頼を失った
・別件で楽曲提供をお願いしていたDさんと仲違いしたら攻撃された
・仲違いした理由は過去にわたしに加害してきたやつのせいだ

こんな内容。
Bさんだけ特定できなかったが、他の人物全員に事実確認をした。その結果、この長文を書いた人物による上記被害報告は虚言を大量に含んだ内容と判明したのだ。
Cさんについての真偽はAさん経由で間接的に確認しただけだが、AさんDさんの件については長文女が書いた内容の9割が虚言という客観的証拠がある。ちなみにあと1割は事実の誤認なので、まともな事実がどこにも含まれていない文章だった。
そんな破壊的な記事を書き被害者面オナニーをしていたその人物のことを「M」と呼ぼう。

わたしのことも書かれていた。
箇条書きした内容の1番さいご、「Mに加害してトラウマを与えた人間」として登場している。
が、無論その加害とされる内容もMの悪い意味で豊かな想像力によりねじ曲げられた、「彼女の中にだけある真実」だった。

この文章では
被害者を装う加害者であるMがわたしにしたこと、結果的にMによる加害が原因で負った障害の話、彼女の普段の人間性に関する話やそれにより周りにどんな影響があるのかという話、「他者からの信頼」とは何か、「社会的信用」とは何か、Mが周りから信用されないのはほんとに周りの敵たちのせいなのか
そう言った話を「事実」と「主観」ベースで書き記していくことにする。
先に申し上げると、この話はあくまで「Mの加害が原因でやまないPTSD症状を少しでも緩和する」という目的での記事だ。
なので、例えば「事情も知らずととりあえず喧嘩両成敗と言いたがる人」なんかがこの記事を読んだところで得られる知見は何も無いだろう。
わたしは、いつまでもいつまでもほんとにいつまでも表で騒ぎ続ける「自称被害者」の影から逃げて、救われたい、ただそれだけを願っている。
それでもフラッシュバックはやまないから、せめてここに事実と感情をまとめて、過去の加害の影をちゃんと元の場所に戻したい。

面白半分でも構わないから、どうか「加害者にされてしまった被害者の苦悩」を誰かに知ってもらえたら、と思います。




そもそも、わたしについて

大半の人はわたしのことなど知らないだろう。
事前情報がなくては何を話しても共感し難いとおもうので、軽く自己紹介をします。

雨宮さらさという名義で音楽活動をしている。
今回は自分の宣伝をするための記事ではないので情報は割愛。
双極性障害(おそらくはI型じゃないかという診断)、複雑性PTSD、現在は症状が落ち着いているものの過去のエピソードを踏まえてADHDという診断を受けている、精神障害当事者だ。

幼少期から精神症状があり、小学生当時は個性で片付けられたものの重度のADHDの症状で悩む。ここには書けないような性被害体験を中学生の頃にしており、以降前後の記憶を閉ざしていたほどの悩みを抱えている。
どこに行っても人柄で評価されるのにどんなにやろうとしてもその評価にこたえることができず、罪悪感を感じて自滅したり精神症状を悪化させ退職したりの繰り返しだった。
昔は統合失調症と誤診され適正な治療を受けられておらず、おそらく躁がひどかったタイミングでトラブルを起こし、自殺未遂をし強制長期入院を経験した。
その後長期入院先の主治医が誤診に気づき、3年ほどかけて現在の主治医から主症状と相違のない今の診断がくだされた。
現在は服薬で躁をかなりコントロールできており、うつ期や混合期で希死念慮が出たり自殺行動をしてしまうことはあれど、かつてより落ち着いた生活をできている。

「障害を持っており、境界知能もあるので資格もとれない」という属性では困難だった社会復帰も果たし、職場にはふつうに馴染んでいる。わたしが中学生の頃のトラウマと向き合うきっかけとなった恋人とは半同棲で、おそらく今年中に入籍する。
障害が原因で発生した両親との不和も、わたしから対話を持ちかけ去年のうちに解決させた。
そんな安定した日々のをぶち壊すようにMからの加害内容がフラッシュバックし、体調に影響を及ぼしていることだけが唯一の悩みだ。

恥や間違いまで隠すことなく話すと、わたしはたしかに死にたがりだった。
それに、自身にそのつもりがなくても「自死を盾に人をコントロールしようとしている」と他者に言われたのは当たっていたと思う。
そもそも音楽活動の内容が「独特な死生観を歌うもの」なので、創作物でそういった趣旨のものを多く出しているが、それとはまた別のこころのSOSについてのことだ。
本気で死ぬ気で助けてほしくて言っていたのだとしても、もちろん当時の自分でさえ「できればこんなことはしたくないのに」と感じていたので、よくないことをしたなあと反省している。
なので、わたしだって清廉潔白な人物ではない。病気が重かったとはいえど過去に間違いを起こし他者を傷つけた身でもある。
その前提を見ているあなたには崩さないで欲しい。
そして、その前提を崩さなくてもMのしたことは「他人にしてもいいことの範疇を逸脱した行為」だと理解していただけるはずだ。

※勘違いしないでほしいのは、他者に対して自死をほのめかすこと自体が間違いという意味では無い。
そんなこと言ったら当時くるしんだわたしも、今ほんとに死にたくてなんとかギリギリ伝えてる誰かも、苦しむだけで悪人になっちゃうからね。そんなことはないんだよ。
わたしの場合は伝え方が悪かった。そして、あなたの死にたいをわたしは悪とは思わない。わたしもわかるから。


Mにされたこと、Mがついた嘘

真実を包むたくさんの虚

ここから本題に入っていこうと思う。
冒頭で説明したM作の記事に、わたしのことは要約するとこう書かれていた。

精神的に不安的な人が急にわたしを攻撃して、当時所属していたグループを追い出した。
その人にその後あることないこと言われたせいで信頼を失った。
だから、Dさんの言動はところどころそいつと被るので信頼できない。

どうやらMは、「絶対的な悪者である人物のせいで傷を負ったので、まったく無関係な人物であるDさんに無礼を働くのもそいつのせい。わたしは何も悪くない」と主張したかったらしい。
また、その前後Twitterでも「みんなで活動していたのは自分だけ歌が下手すぎてミックスしたくないと言われるのはいじめだ」「あの人は自分をとあるコンテストでの誹謗中傷(※後述)の主犯だと疑った。周りもそれを信じかけたけどわたしはやっていない。疑った時点でそれは虚言をばら蒔いたのと同じだ」「何もしていないのに『お前のせいで死にます』と言われた。そのせいで精神的苦痛を負った」など、まあ2割の事実に八割の嘘を重ねて書きたい放題だ。

ちなみに、Mが挙げている「起こったこと」については事実だ。
わたしはMの歌をミックスすることを拒否したし、とあるコンテストでの誹謗中傷主犯疑惑もかけた。
それに、お前のせいで死ぬとも発言した。
これらは事実だが、彼女は意図的に「第三者がトラブルを客観視するための事実」を隠しているのだ。
わたしがなぜそうまでしてMを拒絶しなくてはいけなくなったのか、その点について彼女はひた隠しにし、「わたしは何もしていない」の一点張りなのだ。
幸いわたしのことを信頼してくれる人は多く、Mがどんな嘘をつこうともわたしの周りには常に味方がいたし、Mの言い分を信じているのはお花畑な喧嘩両成敗思考の人間・病気の方・いなしてるだけで実は敵のどれかだろう。
だとしても、わたしは大きな精神的苦痛を負った。わたしじゃない架空の人格をこの世に存在する事実をねじ曲げてまで彼女の悲劇のヒロインフィクションストーリーに登場させられるのは、ものすごくつらいことだ。まるでわたしがわたしじゃなくなってしまうような感覚がずっとあった。
まだ友人だった頃の彼女が創作活動に悩むわたしへ暴言を吐いたあの日から、年単位の苦痛をわたしは背負い続けたままだ。

当時のMとの関係性


経緯を説明する。
そもそも、わたしとMは元々友人だった。ごめんたぶん先程後述すると書いたコンテスト経由で仲良くなったのだろうど、そのコンテストはそれはそれで訳ありなせいであまり覚えていない。
確か、まだ仲が良かった頃LINEグループでのオンライン呑み会で、先にグループにいたメンバーから少し厳しいことばを言われただけで加害されただのなんだのと騒いでいた。
それに、わたしのファンの悪口も言っていたし、わたしや共通の友人のことも見下していたと思う。
それでもMを突き放さなかったのは、彼女が明らかに社会に馴染めないかわいそうな人だったからだ。
当時のわたしは自身のことをMと重ねて見ていた。実際のところわたしが社会不適合者というのは杞憂だったしMはとんだモンスターだったが、自身に対する圧倒的な嫌悪感が土台にあったので、そのときは「この人よりもわたしのほうがダメな人間だから何も言っちゃいけない」「この人もつらそうだから受け入れなくちゃ」と本気で考えていた。

余談だが、冒頭で紹介した記事で挙げられていた加害者たち(実際は被害者側)もわたしのような考え方をし、Mに手を差し伸べていた。要は、みんなが一丸となって仲間外れでつらいと言ってる人を助けようとしていた状態である。しかも助けようとしていた人物たちはわたしも含め皆Mよりもつらい症状の精神障害当事者たち。
自助作用でなんとかしようとした結果、Mの被害妄想により全員がいやな思いをすることとなった。そんなもんだから、わたしは例えどんなにつらそうだったとしても自責を一切していないタイプの当事者の味方をできなくなってしまった。いがみ合っている場合ではないのに、自分を守ろうとするとそうなってしまう。ごめんなさい。

悪い方向性での転機

そんな中、2021年の春頃だったかな…ボカロPとしても活動するわたしが不安と自信喪失を吐露したことにMはなぜか噛み付いてきた。
わたしがしたツイートは「再生数が伸びないのは自分の実力のなさのせい。たまに楽曲を消したくなるほどしんどくなる。もっと実力をあげなくては」と言う内容だった。
その悩みを公開することについて、他人に厳しく自分に甘いMは気に食わなかった模様。つまり「ネガティブをまき散らしてほしくない」ということを本人は言いたかったのだろうけど、伝え方もひどく途中から話が脱線し、ほんとにあれは一応人間である相手にしてはいけないことだっただろうと、思い返す度に感じる。

先に言っておくと、わたしのTwitterは規模がそこまで大きくないアカウントだった。
活動のことも書くが別に自分のきもちやプライベートのことも書くし、なんならプライベートの独り言日記みたいな感覚で利用しているときが多かった。
ものすごく太古(誇張)に流行ったリアタイみたいな使い方。
とは言え表に出しているものなので多種多様な感想があるのはわかるが、感想を言う権利とその感想を言う筋合いがあるかは別問題だとわたしは考える。
そんな状況で急に発狂し始めた彼女の言動はまさに「嫌なら見なければいいのでは」そのものだった。

Mは動画師という存在を崇拝している様子だった。おそらく、M自身が(小学生レベルのクオリティといえども)絵描きをしていたからかもしれない。
わたしは上記の不安を吐露しMに噛み付かれた際に「そんなに再生数気になるならみんなみたいに動画のサムネを凝る努力をしろ」と怒られた。
「わたしの実力が足りない状態で動画師の実力に頼り再生数を買うみたいな行為はよくないからしたくない。外注するなら動画師さんの実力に追いついてから」と返すと、その内容を取り違えたMが「外注してる人は実力不足の手抜きってこと!?動画師は道具ってこと!??最低!そんな考えの人とはなかよくできない!」と発狂を始めた。
わたしからしてみれば、「サムネが背景に歌詞だけの楽曲のほうが再生数多い」という当事者なりの視点もあるのに何も知らずマーケティング上級者気取りで口出しされた時点で辟易だし、
再生数をあげるための努力に動画外注をあげてる時点でお前の方が動画師をバカにしてるじゃねえかという話である。
それでもMは動画師であると自称する友人まで引き込み、ふたり揃って公然の場で「雨宮さらさは動画師をバカにする最低な人!」と声高らかに非難し、わたしの人格否定までし、こちりが違うと説明しても止まる気配もなし。
後々第三者から聞いた話だと、「はたから見たら暴れてるのはMさんだと誰が見てもわかる状況だった。むしろよくかわしたよ」という感じで。

そこまでされて、理不尽な攻撃に耐えきれずわたしが伝えたのが「もう死ぬから許して欲しい」という旨のことばだった。
それは一緒になってわたしを攻撃していた友人さんに伝えたものだったのだが、その友人さんは言い過ぎを認めてわたしに謝罪をしたのになぜかMがまた発狂。
「わたしの友人にそんなこと言って困らせるなんて許せない!」と騒ぎ始めた。そんなこと言うまで追い詰めた当人がなぜか、だ。
わたしが動画外注をできないもうひとつの理由である金銭面のことを話すまで止まってもらえず、そのことは話したくなかったのに半強制的にNGなプライベートを晒す羽目になり、そこまでしてもMの中では「勝手に落ち込んだお前が悪い」ようだった。
わたしの伝え方が異常なせいで伝わらなかったんだ、お前が悪いと散々責められたが、そこまでされてもわたしには追い詰められる権利さえなかったらしい。
その件がありしばらくの間は外出できず、外出しても他者と会話できず、「わたしがおかしいから死ななくちゃ」と常に考える日々となった。


グループ活動の崩壊

さて、当時わたしは架空アイドルグループ企画を設立し、主催者として数人のボーカリストを囲い立ち回っていた。
そのグループについては…例のコンテストに関わりのあるものなので、子細までは覚えていないが、「わたしが主催として場所と技術を提供する代わりに楽しみという対価をもらう、わたしのためのグループ」という主題で活動していたはずだ。
なのでミックスマスタリングはわたしがひとりでやっていた。問題が起こったタイミングでは他の方が素敵な楽曲を制作してくれたが、相変わらずミックスマスタリングはわたしが主体となり完パケする予定だった。
わたしは技術力を提供しグループを管理するという責務を負う代わりに「双方がきもちよく楽しめる環境」を求めていた。

Mは転機の事件が起こる少し前にそのグループに加入した。途中加入である。
今思うと、あまりにもかわいそうだからと同情したのかなんなのか、かなりの特別待遇で加入を認めた気がする。
わたしは他人の歌唱力をあまり気にしないけど、Mの歌唱力はまともな作曲家やMIX師相手じゃ技術提供を断られるレベルだった。それでもわたしは「お互い楽しめればいい」という理念のもと、無償で、本来数万円単位の技術を提供した。しようとした。

ところが、事件が起こったあとにMが「雨宮さらさとはもう活動をできない」だのと騒ぎ始める。わたしも傷つけられた当初は出て行けと思っていたが、作曲した方の曲がダメになるのがいやだったので引き止める形となった。そして、なぜかわたしが謝らされることになった。
実際は双方謝ることを条件としていたが、Mはわたしを傷つけたことについて謝罪しなかった。グループに迷惑をかけたことのみ形式上の謝罪をしただけだ。

それでもわたしは許そうとした。
わたしが我慢しなくちゃまた制作に支障がでて、他のメンバーが傷つくと思ったからだ。
必死に必死に許そうとした。Mは精神が不安定な病気だからわたしが譲歩しなくちゃと思った。わたしだって吐くほどつらかったのに、Mの「謝罪をしない態度」を許容した。
だが、Mからは「度々わたしに対して暴言を吐く」という形でお返しがきた。
「ビジネスパートナーとして組んでやってるけどお前のことはきらい」と何度も言われた。わたしは自分も楽しみたくてたいへんな作業も請け負ってるのに、毎回暴言を吐かれてしまい何も楽しくなくなってしまった。
レコーディング締切までにちゃんと届いた歌はほんとにひどかった。リズムがめちゃくちゃで、発声が汚い。ふだんのわたしの技術力ならこんなの治すの朝飯前だけど、わたしがグループに貢献する意味を壊した人のためには頑張れなかった。

だからわたしは「あなたがわたし個人をいつまでも攻撃するせいで声をきくだけで吐いている。あなたのボーカルはミックスできない」とありのままを伝えた。
Mはそんなこというなんて酷いと当然のごとく被害者面をし、作曲をした共通の友人へ喚き散らす。板挟みになっていたその人がつらくなってしまいわたしまで責められた。
作曲したメンバーが怒るのは当然だったと思う。M対わたしの構図のせいでグループ活動は停滞し、すてきな楽曲のリリースをいつまでも先延ばしされていたのだから。
だからこそわたしは罪悪感を感じ、その人を傷つけたのは吐いてでもミックスをしなかったわたしのせいだと自責を続け、ぶっ壊れた。

それでもわたしはさいごまで「謝れば許す」と言っていたのだが、Mから謝罪はなし。
だからグループを解体するしかなかった。わたしがやりたいことを実現するために作ったグループなのにわたしが苦しいのはおかしいと感じたからだ。
ほんとはMを追い出すだけでよかったが、もう誰のことも信用できなくなってしまったわたしが活動を続けるのは不可能だった。
最終的に「主催がグループを脱退する」という最悪の形で活動は終了した。

わたしはここまでされたけれど、Mにとっては「いじめられたのはわたし。追い出すなんて最低」なんだって。
なぜ、主催が自分のグループや自身のこころを守ろうとしたことを不適切とされてしまうのだろう。
当時のわたしは「わたしに生きてる価値がないから自分を守ることさえも責められたんだ」と解釈した。
とにかく死にたかった。現在になりフラッシュバックしたときも、死にたくなる。
当時の私に対して、助けてあげられなくてごめんなさいと今でも謝罪し続けている。

ミスiDという呪いの塊のようなコンテスト

2024.07.28 13:27追記
ご本人様が「わたしは首謀者ではない!」と仰っているため、読者への判断材料として該当ツイートを掲載します。

ただ、昨日の追記の通り今記事の目的は「加害者が誹謗中傷首謀者であることを確定事項として広めたい」ではなく「加害者が首謀者と疑われても客観的に見て仕方ないと思われる事由がいくつもあったにも関わらず、本人はその事由について一切反省をしていない。もしくは、反省していると言い張るものの本人にそのことは一切伝えておらず信頼を取り戻す努力も怠っていた事実を伝えたい」
「疑惑を向けられるには十分なことをして信頼を失ったのは自身なのに、順当な流れで疑惑を向けた被害者を虚言呼ばわりした」
「わたしがMに向けたのはあくまで疑惑であり、共通の友人以外にその疑惑の話をしておらず、疑惑のせいで数多くの人からMの評判が下がった訳でもないのに『虚言でMを首謀者と決めつけ言いふらした』という虚言を撒き散らされたので、自身の名誉を回復するため」
以上の理由で公開した記事のため、疑惑の真偽問わずこちらの記事を残す権利はあると考えます。
現在も反省も謝罪もなく『わたしじゃないのに!』と騒ぐだけで、そんな加害者の言い分を全面的に手放しで信じるほど甘くありません。ましてや被害者だって人間ですので、こちらだけが何もかも飲み込んで耐えて加害者に合わせてあげる義務など皆無です。

もしご本人が深く反省し、疑惑を生むような加害をわたしにしたことや疑われて当然なのに疑いを虚言扱いし触れ回ったことをわたし+公の場で謝罪してくだされば
昨日とこの追記文は削除し改めて「ご本人いわく自身は首謀者ではないとの主張でした。この項目でのMへの疑惑については『疑われても仕方ないことを彼女がしていたこと』を明るみにするために書いた文章であり、彼女を首謀者として断定する気持ちはありません」という内容に書き換えます。
記事を削除してほしいのであれば、上記の条件+もう二度と他者に対して加害をしないと誓う場合のみ削除します。
交渉についてですが、独り言をツイートしただけのものに従えというのは無理な話です。一方通行の自己満なわがままではなく、きちんと他者とコミュニケーションをとって話し合いをしてください。もちろん、Mは要望をこちらにお願いする側なのでそちらから連絡が来た場合一考の余地ありと判断します。
弁護士などに相談される場合該当文章をくまなく確認するかと思うので、「このnoteの追記読んでなかった!」という言い訳は通用しませんよ。

よろしくお願いいたします。

2024.07.27 追記
該当の人物がこの項目の「ミスiD誹謗中傷事件の主犯疑い」について的はずれな反論をしているので追記します。
この項目で書かれている彼女の疑惑についてはあくまで「客観的事実と照らし合わせて浮かんだ疑い」であり、それについては受け手が信じるか信じないかを決めてください。むしろ、奴を疑ってほしいとさえ思ってません。
本題は「客観的に見たら誰しもが感じる疑惑を自分で生み出しておきながらその疑惑の責任を被害者側に押し付けたこと」にあります。
主犯じゃないかどうかは被害者のわたしには判別できないので、せめて主犯ではないと撤回できるような言動をとっていただければと思います。
また、現時点では「主犯を疑われるような言動をとったのは自分なのに当然に疑われたことを『こいつが虚言でわたしを貶めた!』と騒ぐような人」のことを手放しで信用することはできません。
過去のことについて謝罪をいただかない限り「ここまでのことをされたんでわたしから見たら疑うしかありませんでした」という内容と追記したうえでこの文章は残します。
削除依頼の交渉をしたともほら吹いてますが実際は来ていません。虚言でこちらを悪者にしようしても無駄です。事実は事実として残り続けます。
「この人にこういうことをされたから疑うしかなかった」というだけで犯人と断定してない文章に対し理不尽に怒り狂い訴訟を起こしたいなら、ご自由にどうぞ。何でもかんでも文句ばかり言って働いてないのにどこからお金出すんだろう?がんばってください。


後述すると書いていたコンテストについて触れるときがきた。
ほんとはこの話はもうしたくない。去年になって、ようやく忘れられたからだ。
この「忘れた」というのは吹っ切れたという意味ではなく、文字通り「忘れた」ということ。
主治医いわく、ストレス性の解離性健忘ではないかと言う。長年のあいだ中学生の頃の記憶に蓋をしていたのと同じくらいつよい苦痛を抱え続けていたから起こったのではないか、と。
じゃあMのことも忘れたらいいのに、と思う。いつか忘れられるだろうか。
兎にも角にも、まるで呪いそのものみたいなミスiDというコンテストの中でとんでもないことが起こってしまったのだ。

以下、当時のわたしの記憶や感情に語ることは不可能なので、解離性健忘が引き起こされた後にその前から溜めていた証拠1式を見て読んで得た情報をそのまま書く。
このコンテストで起こったこと自体は今記事の主体ではないので、Mのおかしな言動を説明できる範囲の内容を出すに留めておこう。

ミスiDには2021年にはじめてエントリーした。
その年はセミファイナルまで進んだものの、そこで終わり。
ただ、同コンテストを「誰でも同じ条件で評価してくれる場所」だと感じたわたしはその次年で受賞をしたいと息巻いていた。
「誰でも同じ条件」というのはわたしみたいなブスでもとか才能がなくてもということではなく、「障害を持っていてネガティブな人間でも生きざまを晒すことで誰かの糧になれる可能性を見出してくれる」という意味合いだ。
(この場合の『生きざま』は、正式な意味で使用しています)
他にもうひとつこのコンテストでの受賞にこだわった理由があったが、今回は無関係であり巻き込みたくないので割愛。

当時のわたしは自分のことを心底嫌いで許せなかったので、「頭がおかしいわたしでもちゃんと魅力を示せば『異常者』の枠から外してもらえるかもしれない」と期待していた。
他の参加者の中にも似たような理由を持って応募した人はいたかもしれないし、Mも同じ理由なのかは知らないが去年から引き続き参加していた。
実は2021のときははるか昔から自身に誹謗中傷粘着していたアンチが匿名掲示板などで暴れていたのだが、それは先にとある形で滅ぼしておいた(実際はほぼファンみたいなものだったはず)。
なので、表でわたしを誹謗中傷する人間はいなかった。いなかったのだが、それは誰にも見えない裏側の世界で起こってしまった。

TwitterにはグループDM機能があるのをご存知だろうか。
ある日、とある匿名アカウントから知らないグループDMでのやり取りのスクショが送られてきた。
以降事ある毎に、そのアカウントだけではなく別のアカウントからも、そう言った内容のDMが届くこととなる。
送られてきた内容はわたしに関する誹謗中傷。
「誹謗中傷用DMグループを作成し、そこにはターゲットを招待せず内容だけ送り付ける」という斬新な形で悪夢はスタートした。

どうやら過去に何度か同じような形の誹謗中傷はあったらしい。
が、過去標的にされたのは大体が「人気でかわいくて僻まれそうな人」だったんじゃないかと思う。
わたしはそれには当てはまらない。妙な感じではあるが、とにかく巻き込まれてしまった。
ところどころ他の参加者への悪口も写ったスクショがあったので、おそらく複数人をターゲットにして楽しんでいたのだろう。
まあ、わたしはその前年に粘着アンチのせいで悪目立ちをしていたので、いいイメージを持たれておらずサンドバッグ代わりにされていたのかもしれない。

ところで、その少し前にわたしは他参加者との意見の食い違いにより少しだけ敵を増やしていた。
とある人物ががわたしの言動に腹を立てて、あろうことか『攻撃対象(わたし)をブロックし口を封じたうえでわたしの言い分を勝手に書き換え晒しあげる』という方法をとってしまったのだ。
そこから匿名アカウントや、参加者名丸出しの勇気あるアカウントからぶっちゃけ「自殺しろ」レベルの内容で攻撃DMが届き始めた。
そのときおそらく、匿名アカウントについては去年こらしめたはずの粘着アンチが形を変えて暴れてるのかと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
上手く言えないんだけど、明らかに自分も参加者であるようなテンションで暴言を送ってきている感じだった。
そしてこれはわたしに落ち度があったと思うのだが、勝手に晒しあげされ言い分をねじ曲げられ悪者にされ、その影響で誹謗中傷DMまで届き始めたことに耐えかねてしまった。
もう災難すぎて死にたくなるのは当然なんだけど、どうやらこの時に選考委員の方まで巻き込んでしまったらしく、若干の大事になってしまった。
この点については、晒しあげされたせいで誹謗中傷DM来たことに傷ついてしまったわたしにも落ち度があったと思う。まあ、そのとき晒しあげ行為をしたのはMが数ヶ月前に発狂した際に肩を組んで共に口撃をしていた友人さんだったので、「またかよ」と心折れてしまったのが正直なきもちだっただろう。

その後カメラテストというオンライン面接?の審査へ進む人が発表されたが、MやMの友人さん、当時わたしに対してよい印象を持っていなさそうな人は軒並みここで書類落ちとなったようだ。(カメラテスト=オンライン面接とちがったらすまん)
一方のわたしは次の審査へ進むこととなるのだが、このタイミングでMが自身のツイートにて、「わたしの友達は落ちたのに死ぬ死ぬ詐欺で通過するやつがいるのはおかしい」という旨の発言をした。
そのとき「わたしは別に落ちてもいいけれど〜」と言っていたはずだが、実際は自分のことも含めて相当気に食わなかったんだろうなと思う。
なんせ、わたしを晒しあげたM友人は過去発狂したMに必死に庇われていた人物だ。
M視点で言うと、『実力がある自分や友人が選ばれないのに泣き落としで悪者が通過するなんて!』というきもちだろう。
これは選ばれたわたし側の心臓をえぐるような言葉だった。せっかく実力で選ばれたのに、「自分は死ぬ死ぬ詐欺で選ばれただけなんだから喜んではいけない」と考え続けなくてはいけなくなってしまったのだから。

そして、問題のグループDMによる誹謗中傷が届いたのはMがわたしを死ぬ死ぬ詐欺と発言した少しあとのことだった
そのときDMで届いた内容は「雨宮さらさは死ぬ死ぬ詐欺で通過しただけ」「そう思ってる人が大半」という意見に凝り固まっていた。
まるでMの言いたいことを代弁しているかのように。

だが、この時点でわたしはMが誹謗中傷の主犯だのとは微塵も疑っていなかった。
いや、疑っていなかったというとポジティブに表現しすぎか。疑念はあっただろうけど、自分がこれをされているのはブスが先に進んで悪目立ちしてしまったせいとも思っており、頭の悪い人たちの気まぐれ行為程度に考えていた。
しかし、カメラテストで1度敗退してしまうも復活戦に挑み明らかな爪痕を残しているわたしを「なんとかして落とそう」と話している内容だとか、結果復活戦で選出された際に「また死ぬ死ぬ詐欺したの?」といわれていたりだとか、
とにかく「死ぬ死ぬ詐欺で通過した無能は潰すべき」みたいな熱量でエスカレートしていく誹謗中傷を受け取り続けているうちに、ほんの少し考え方に変化が現れる。

「もしかして、わたしを1番のターゲットにしたい人物が紛れてる?」

もちろんかつてのアンチが参加者のふりをして紛れ込んでいる説も考えたのだが、やっぱり温度感がそれじゃないようで。
リアルタイムで書類落ち同士の交流をしていそうな感じというか、そんな感じ。
とは言え、誰が犯人であったとしてもこんなことされる筋合いはない。警察などの然るべき機関に相談したが、
『グループDMに招待しないというやり方のせいで相手の特定が難しい。
特定対象を定められないと戦いが長期間に及ぶのではないか。
ひとり特定したとしてもそれが主犯とは限らない』
そんなアドバイスを受け、法的処置を取るのが難しい形での誹謗中傷と戦うことは諦めた。

実は、セミファイナル復活戦の際にわたしが運営に問い合せた内容が誹謗中傷グループDMに漏洩していたり、非公開写真としてコンテスト運営にのみ提出していた写真が一部住所とともに出会い系で悪用されていたり、ファイナリストの最終面接日時を完全に特定されその日の朝にわたしの顔写真を使った遺影加工画像が送られてきたり、誹謗中傷グループと運営との繋がりも薄ら感じていた。
それにファイナリストや受賞者がグループに紛れているような情報もあったが、やはりわたしには書類落ちの人たちが先に進んでいくわたしを『死ぬ死ぬ詐欺』ということばをテーマにして攻撃したい風に感じられた

わたしは誹謗中傷の件をミスiDには伝えていなかった。そんなことが起こっているとなれば、ましてや運営もしくは情報を知り得る審査員が誹謗中傷情報漏洩に関わっているとしたら、その時点でコンテストごとなくなると思ったからだ。
だから一生公言しないつもりだったが、加害者グループに受賞者が含まれていることを知りやりきれなくなり、そこではじめて運営にすべてを話した。
そのとき、まずは選考委員長は加害者かもしれない人たちを庇った。
そして、わたしがファイナリストになってもなかなか評価されなかったのはものすごくネガティブになっていたから、要は「誹謗中傷で落ち込んでしまっている姿を見せられたので評価を下げた」という話を伝えられた。
これはこれでかなり傷ついたし、誹謗中傷したもの勝ちのコンテストって有り得ないなと怒ったが、関係ない話なので省略。
以上が、ミスiDという邪悪なコンテストでの事の顛末だ。

この流れでなぜわたしがMのことを誹謗中傷グループ主犯だと疑ったのかは、前の文章の太字部分を読んで欲しい。
表でわたしに対して言ってはいけないことばを吐き、しかも彼女はその後似たようなことをもう1度ツイートしている。
加えて過去の因縁もあるという状況で疑うなというほうが無理な話だ。
わたしは共通の友人に「この子が犯人『かもしれない』」と相談を持ちかけた。
そしてそれはMの中で変換され、「雨宮さらさが証拠もないのにわたしを主犯だと言いふらしている」という超解釈に至る。
その結果が文章前半で紹介したMの発言「Mが主犯だという虚言を雨宮さらさに言いふらされたのでわたしは被害者」というものに繋がるのだった。

Mの周りにその疑惑がどう伝わったのかは知らないが、大方あの人が「わたし虚言ばらまかれてる!被害者!」と自ら疑惑を広げたのだろう。
疑惑を受けた周りはMがほんとに犯人ではないかと半信半疑になったのだとM本人が後に語っている。
そりゃあ公共の場であるSNSを使いわたしへの個人攻撃をしているのだから、「この人が犯人かも」と思われてもやむを得ない。

わたしは共通の友人から「Mはやってないらしいよ」ときき、たしかにあんなに短絡的な言動を取る人間がグループDM駆使などといえ陰湿なことできないよな、と納得した。
つまり、疑惑は明確に撤回したわけである。撤回は「わたしを個人攻撃してた人を疑ってたけど、あの人がそんなことする性格と思えない」という形でSNSでも行っている。

それなのになぜかMは、疑惑をかけられたことに対してつよい拒絶反応を示していたようだ。
自分で第三者にもそう思わせてしまうような疑いの芽を作ったけど、それもすべて雨宮さらさが疑惑を向けなければ、雨宮のせいだと信じてるらしい。
そこまで恨まれていたと判明したのが冒頭にあるMの虚言記事のおかげだった。
さらに、その虚言記事の少しあとに「ファイナリストのグループで起こった誹謗中傷なのに書類落ちのわたしのせいだと嘘を言いふらされた」とも言い張っていたのだが、わたしは共通の友人へ相談した時点で「ほぼ書類落ちばかりとグループ」と公言していた。
又聞きだったせいで内容を取り違えたのか、はたまた「雨宮さらさは虚言でわたしを貶めようとしている」というイメージをつけたかったのか。定かではないものの、被害にあった当事者としては後者なんじゃないかとやはり疑ってしまうのだった。


これらの体験から学んだことについて私見を述べる

この世はグラデーションで出来ているが、ある一定のラインからぱっくりと分ける必要がある

自分で言うのもなんだが、ほんとに壮絶な体験をしたと思う。
ただ、わたしは自身を完全な被害者とは考えていない。むしろ、被害を受けた当時はそのこと自体に罪悪感を持っていた。
何度も「被害にあってごめんなさい」と謝っていたのだが、それは皮肉でも煽りでもなく本心での謝罪だったはずだ。
グループ解体のときだって、結局わたしさえ産まれて来なければよかったと感じていた。
Mによる度重なる攻撃も、わたしが弱いから悪いのだと考えたりもした。

もちろんそのネガティブは認知の歪みで、わたしの味方は誰一人としてそんなこと思って生きろとだの思っていないはずだ。
主治医のおかげで治療方針が変わったり、恋人という存在が根本的な自己肯定感の欠如を改善してくれたり、その影響でわたし自身死にたくなる前に一呼吸おいてSOSを出せるようになったり。
そうやって精神疾患の寛解に向けて努力をしている中で、Mの神経を逆撫でするきっかけになったであろう認知の歪みはだんだんと改善されつつある。
こころを引き裂かれるような体験を経たからこそ自身を大切に思ってくれる人たちの存在が見えてきた。
恋人も、和解した家族も、ファンも、心配して声をかけてくれた通りすがりも、それぞれ形や重さは違えどわたしが生きていた方がいいと思って守り、導いてくれたのである。
今でもフラッシュバックに流されて死にたくなるときがある。あまり言いたくないけど、実行も何度かある。
それでもわたしは負けたくない。生きるのが当然とかそういうポジティブなのじゃなくて、大切な人たちを大切にしたいだけだけど。そんなんでも、わたしは徐々に変わっていると実感している。

この世にほたくさんの人がいる。それぞれみんな事情があるだろうし、死にたい人も、生きたい人も、死ねないから生きる人も、みんながみんな必要な生命だとわたしは思う。
障害を持つ方もそうじゃない方も、今から死のうとするのを止められたい人も、逆に死ぬのを止めないでほしい人も、わたしはみんなのことが大好きだ。
生きていてほしいと感じる。けど、それはわたしのエゴだから押し付けない。グラデーションであるこの世なんだから、どんな人がいたって構わない。
他者に押し付けず、自分のテリトリーは守り、お互いを尊重し合う。このバランスが社会で生きていくためには重要だとわたしは考えている。

そこでMについてもう一度思考を巡らせてみた。
この人に感じる違和感はなんだったのか。
答えはすぐに出た。必要とされるバランス感覚が著しく偏っているんだ、Mという人は。

色々と乗り越えたわたしはMのことをもう尊重したりなどしていない。尊重するに値しない人物だから、したくても不可能である。
なぜ尊重できないのか、それはMこそ他者を一切尊重しない性格だからだ。
過去の言動も、現在進行形で行っている『加害者であるMが被害者の皮を被る』という行為も、これでもかと言うほど他者を舐めているか自分大好きかのどちらかくらいじゃないと起こりえないだろう。
『わたしがMにされた加害行為』を『Mがわたしにされた加害行為』としてすり替えている辺り病的なものも感じるので、自己愛性人格障害や重度のASDの線は有り得る。しかし、根本的に彼女のコミュニティを歪めているのは精神疾患ではなく他責思考な人間性だと考える。

他責至上主義が社会的信用へもたらす影響

わたしの件に限らず、Mは起こったトラブルすべてに対して「相手だけが悪い」と発言した記事を公開している。
中にはほんとにM側がかわいそうだと感じるものもあるが、それでも自分に非があるとは一切考えない。
他者を壊れないおもちゃか何かと勘違いしているのか知らないが、ハンマーで強打したら簡単に壊れるのが人間なのだ。それなのにMは、「なんでおもちゃが壊れてるの?こっちのほうこそハンマー持ってる手が重くてだるいのに」という怒り方をよくする。
そのくせ、ボロボロになったゼンマイ仕掛けのおもちゃがさいごの力を振り絞り抵抗の体当たりをしたら「痛い!こんなことするなんて最低!わたしは被害者!」とのたうち回る。わたしにはMがそういう人間に見えている。

もしかすると、こころの中ではちゃんと反省も自責もしているのかもしれない(到底そうは思えんが)。
けれど、表出している情報のほぼすべてで『複数の人間に対して他責思考による虚言で攻撃している』となると、被害者や第三者には果たしてどのように映るだろうか。
ほんとに何らかの被害にあった人にはわたしは味方をする。しかし、他責ばかりの被害報告ばかりしている人物のことを手放しで他の方と同じ土俵にあげて見ることなどできやしない。そんなことできるのは嘘を逆手にとって弱みを握りたい詐欺師くらいではなかろうか。
特に、Mに悪者として紹介されたDさんはMを救おうとしてがんばっていたはずだ。そんな人物までも加害者としてしまうMのどこを信じてやればいいのか、わたしにはわからない。
Mがここまで攻撃的なのは最近友達が自死したかららしい。大切な人の死さえも「お前のせいでわたしが病んでるんだから仕方ない」と他責思考に利用してしまうような人間の、それのどこに同情の余地がある?

わたしがMにされたことから学んだのは、「この世界には多種多様な人がいてグラデーションになるけど、一方通行で肯定されようとする人より下は全部黒になる」ということだった。
この黒の部分を隔離しなくちゃだんだんとグラデーションの場所が少なくなっていき、いつの日か真っ黒な画用紙みたいになってしまう。
そうなったらもう、愛おしいグラデーションカラーは戻ってこない。人間という水彩絵の具じゃ黒の画用紙の上へ色を乗せるのは難しい。
みんなができる限りの力でとっていたバランスが、バランスの偏っている少数派によって崩れてしまう。
ある程度ならいくらでも戻すよ。バランスが取れない人がなんとか自立できるよう手助けだってしたい。でも、Mも含めてみんなでかんばろうとした結果、わたし含む有志たちのグラデーションは危うく消されてしまうところだった。
生きるのが大変な人たちみんな救われてほしいけど、大変だからって他人を殺して黙らせるようなヤクザもんを助けるのは、わたしにはむすかしいよ。
人のこころを持ち合わせていないやつのため尊い生命たちを生贄にするのは、それは、むりだよ。

その「ギリギリここは超えていてほしい」というのが最低限の『信頼』というものなんじゃないかとわたしは思うのだ。

信頼はこちらから願ったら必ず生まれるものではない。他者本意で発生するものだ。
「自分はこの人を信じたい」と思ってもらえるように、信頼されたい側が努力するものだ。
Mのように何でもかんでも他人のせいにしてひとつも成長していない人に対して上記のように感じる人はそういないだろう。
信頼したいきもちを生まないような振る舞いばかりしていると、やがては社会的信用の部分がどんどんすり減っていく。

例えば、AさんがMとの展示会をキャンセルしたときMはそれを全面的にAさんのせいにしていた。会場からの信頼を失ったのもそのせいだそう。
会場側からしてみれば、Mがどんな事情でドタキャンをしようが無関係なことである。そんなことより次は気をつけてほしいだけとか、もう二度と利用しないでくれたらそれでいいとか、そんなものだと思う。
むしろ、なぜ『自分のせいじゃないと知ってもらえてよかった!』とMが満足するために会場側の時間や労力を割くべきだと思っているのだろうか。人のせいにしかしない人間は、もうひとつの受け取り手である第三者の事情を一切加味せずに事を進めていく傾向にある。
Mの世界には「裏切られた被害者のかわいそうでかわいい自分」と「そんなかわいいわたしを裏切った卑怯な加害者」しかいない。第三者の存在はMが悲劇のヒロインとして着飾り踊るためのアクセサリーでしかないのだ。
だから、「第三者に信頼されなくなったのはこいつのせいだ」だなんて発言を容易にできてしまう。自力で信頼を取り戻そうともせず『わたしじゃなくてあいつのせいなんです』といえばまた元通り帰ってきてくれるだのと、そんな風に考えてる人を信頼できると評価する社会はどこにも存在しない。

黒側にいる人たちと福祉サービス

もしMを救うものが現れるとしたら、それは充実した福祉との繋がりだろう。
しかし、Mは自身を助けようとする福祉にさえも苦言を呈するばかりである。

就労継続支援B型事業所という福祉サービスがある。雇用契約が発生せず、工賃という形でお給料をもらいながら軽作業や創作などをするサービスだ。
障害者雇用は「配慮さえあれば一般就労と同等の就業ができる人」、就労継続支援A型は「雇用契約を結ぶので、福祉サービスだけどそれ相応の労力提供を求められる」。
B型は、それらの就業でも困難な方々と社会を繋ぐために存在する。
B型事業所へ通所者する人たちにもグラデーションがある。繊細すぎて就労がままならないけど作業は健常者並にできる人、知能に障害を持っており半ばデイサービスのような意味合いで通所されている人などなど、能力に偏りがあるのは仕方のないことだ。なぜなら、B型事業所は「就労が困難な人」というラインで見極めて希望者に対しサービス提供可能かどうかを決めるものだから。
なので、わたしはB型通所者に対しては「色んな事情があり社会参加がむりな人たち」とフラットな見方をしている。B型だから全員日常生活もままならないレベルなんだとは思わない。ただ社会という場所への適応が苦手だっただけだと思う。劣っているかどうかはB型とか障害者とかじゃなく、個々の持つ性質で判断したいな、と考えている。

MはB型事業所へ通所しているらしいが、度々「わたしはもっとできるのに知的障害者どもと同じ扱いなのが気に食わない」と発言している。
理由は『成人相手に幼児に対するような態度で接してくるから』。確かに、その言い分には一理ある。
だがしかし、彼女は『知的障害者に対しての対応をわたしにするな』とも言っていた。ここは賛同しかねる。上記のような態度は、できれば知的障害者相手にもすべきではないだろう。
ただ、作業所の支援員がそのような態度を取らざるをえない気持ちも少しだけ汲みたい。言ってきかせるのが困難な相手には噛み砕いた表現・態度で接しなくちゃ、と考えてしまうのだろう。それは、「言っても伝わらない相手にもなんとか伝えなくちゃいけない」という職業上のプレッシャーから発生するだろうから、わたしには一概に支援員が悪だとは言い難い。

さて、じゃあMは「言っても伝わらない相手」に当てはまるかどうか。
M本人は自分をまともな会話と考え方ができるふつうの人だと思っているだろう。ただうつ病が重くて努力をできないだけのまともな人だと、そう本気で思っているから「知的障害者と一緒にするな」という発言が出るのだと思う。
実際、作業に関しては健常者と同等にできる人なのではないかとはたから見てわたしも感じる。なんせ、クオリティはともかく自分のやりたいことをスケジュール限界まで詰め込みながら創作活動をしているような人だ。それだけ元気に動けるんだから、仕事そのものを苦にするとは考えにくい。
『仕事はできるんだけどどうしても体調が…』という人は一般社会にもたくさんいるので、その点についてMは正しい。
ただ、彼女は大きな勘違いをしている。確かに仕事はできるのだとしても、B型にしか通えない理由は体調不良だけとは限らないということを見落としている。
前述の通り、B型事業所の通所者にもグラデーションがある。Mは自分をその中のきれいなグラデーション側にいると思っているだろうけど、第三者から見て彼女は真っ黒なゾーンにあるのだ。
なぜか。「まともなコミュニティ形成をできないから」。
他責思考で攻撃的な人は社会の秩序を守るためにどうしても隔離しなくてはいかず、Mもそういった理由で一般就労が困難と診断されたのだろう。

そう言った性質を持っているというのは診断書により医師経由で必ず伝わる。精神科医は患者本人が暴れないように本来の病名や病状を伝えず「うつ病です」と伝えることもあるらしい。特に、他責至上主義の患者に「いやいやおまえにも悪いとこあるから直そうよ」と伝えるのは非常に難しく、かなりヨイショしながらおそるおそる話さねば患者が激昂し治療自体が破綻することも想定される、と。
なので、「主治医に怒られてないからわたしはまとも」と勘違いしている可能性は大いに有り得る。
わたし自身が過去にB型事業所に通所していたときの話をすると、周りの通所者と分け隔てなく接し指示もキチンと理解でき作業も難なくできていると判断された結果、いつの間にか支援員とほぼ同じような内容を1時間約200円の工賃でさせられていた。それはそれで『わたしもできない側なので障害者として助けてほしい』と思っていたのに頑張らなくてはいけなくなったのでひどい話ではあるが、支援員はグラデーション側にいると判断した相手にはそれに見合う言動をとっていた。
社会的信用を築けないというのは第三者から見て立派な重度障害者だ。なんでも人のせいにするということ、それは他者とコミュニケーションが取れていないことに等しい。
自他への配慮のバランスが皆無な人に対し責任ある大人扱いでまっとうな指摘をしても「こいつの言い方がおかしい」で終わってしまうだろう。例えば、マニュアルを無視した作業は事故の可能性があるからやめるようにと怒らず真剣に伝えたとしよう。Mのような人間は、「言い方が悪い。他者に指摘するなんてその時点でパワハラだ」と言うだろう(実際無断欠勤でやめた前職に関してそのような話をしていた)。
社会人として最低限必要なことを求められるのは嫌だ、しかし障害者でもちゃんと作業できてるんだからもっとできてない奴と一緒にするな、これがMの言い分だが、まずそんなことを求めている時点で彼女は圧倒的に真っ黒側の人間だ。自分を信頼できる人物だと手放しに認めてもらいたいなら、それを社会という場で叶えるのは難しい。社会には相互的な信頼関係が必須なのだから。


病識の欠如がさらなる他責思考を生む

上記のセクションを読んだB型事業所に通所する当事者のうち、「もしわたしも黒側なのにグラデーション側だと勘違いして他者を傷つけていたらどうしよう」と感じた人がいるなら、安心してほしい。あなたはグラデーション側だ。
他者への影響を思いやり、自身の落ち度へ思考を及ばせ、「わたしにも変わるべきところがあるんじゃないか」と気にすることができている時点で、しっかりと自他の境界線を見ることができている。
もちろん、明らかにコミュニケーションに問題がないのにこころの調子の都合でB型通所以上へステップアップできない人だって必ずいる。黒側の件はあくまで、「その人の言動に明らかな問題がある」というケースの話だ。
それに、コミュニティ形成が苦手だからと言って全員が全員黒にはならないとわたしは思う。ただ単にことばを紡ぐのが苦手できもちを上手く伝えられない人だっている。『圧倒的他責至上主義の思考は持っているが決して誰にも伝えずに自身で処理する』という人もいそうだが、そんなのむしろ高等技術である。他責思考のせいで毎日疲れはするだろうけど、その責任は自身でとっている。思考は自由だ。要は、他者に迷惑をかけていなければ他責思考でもそんなに問題はないのだと思う。

わたしの経験上、黒側の人間のそのほとんどが自身がいかにモンスターであるかという点に気づいていない。自分が正当性のない攻撃をすることさえ他者のせいにしているから、むしろ理解をしてくれない相手が悪いだのと言い始める。
わたしは、この現象と『病識』に深い関わりがあると推測している。

グラデーション側の人間は、自分が他者に対しておかしなことをしてしまったときに「今のはこちらが悪かったな」とすぐ気づけるし、必要であれば謝罪やフォローもする。
精神疾患が原因で情緒不安定になってしまったとしても、それが収まったあとすぐ後悔反省する人は多数存在するだろう。わたしもそのひとりだ。あからさまに理不尽なことや法外なことをされない限り、相手とわたしは平等な立場にあると考えている。だから、自分の責任は自分で片付ける。もし障害の関係で責任を取り切れないなら、そこも含めて何か対応を考えるのもまた個人の責務だと思う。

対して、黒側の人間は自分が相手におかしなことをしてしまったことにさえ気づかないことが多々あるように見える。デフォルトが「お前のせい」という考え方のため、自分の責任になるという価値観が存在しないのだ。
そこでもし、自身の病気について正しい知識を持っていたらどうだろうか。
「攻撃的になるのは病気の症状であり、根本的な矯正が必要とされる」と主治医に言われたとしよう。正しい病識を持ち治療に励むには主治医の言うことを聞かなくてはいけないが、黒側にそれをぶつけたところで「矯正なんて必要ない。攻撃されても周りが受け入れろ。そもそも病気のせいなんだったら自分は悪くない。配慮しろ」と叫び始めることは想像に易い。
他責思考だから正しく病識を持てず、例え病識は持てたとしても自身も過剰に擁護する形で利用しては何の意味もなさない。そして、病識がないから他責思考は治すことができず治療もできない。最悪な無限ループとなる。

ちなみにMは自称うつ病・ADHDであり、自称前向きに治療中とのこと。
それだけきくと病識は持っていそうに感じるが、彼女は「うつ病だからがんばれなくても仕方ない」「ADHDだから考え方が極端でこだわりつよくても仕方ない」「ADHDだから人のきもちわからなくても仕方ない」というものばかり。自分にとって当たりのいい知識だけを言い訳のように披露していた。
(そもそも彼女がADHDの症状だから仕方ない!と大声で言ってる内容のほとんどがASDの症状なのだが、誰か突っ込んであげないとそのまま勘違いADHDが爆誕するぞ)ってほんとはいいたい
うつ病ががんばれない病気というのは間違いではないが、なぜかうつ病特有の正体不明の罪悪感や自責みたいなものはMにはなさそうだ。罪悪感を持つどころか、周囲にヘイトをばら撒き罪悪感を植え付ける日々じゃないか。
そして、Mの精神障害の症状として最も重い「他責思考、攻撃性」について彼女は自己認識していない様子だった。それどころか、他者を攻撃してしまうのは他の誰かのせいらしい。Mが語っていた「Dさんを攻撃してしまったけど、それは雨宮さらさのせいだからわたしは悪くない」という主張がそれに当たる。
自分にも悪いところがあるのだと理解できないから、いつまでも直せない。気づいてくれないと治療もままならない。黒を薄めグラデーション側に混ざる手立てはいくらだってあるのに、Mはそれを自ら放棄している。

ちなみに、彼女は太り過ぎのためかかった全ての医者から痩せるよう指示されているという。そんな状況で健康状態がいいとは思えず、下手すれば「動けないからがんばれないからうつ病!」という主張さえも怪しい。
少しばかり調べたのだが、「鬱のせいで太る」現象とは別で「肥満がうつのような症状を引き起こす」という文献を見つけ、読んだ。太り過ぎが原因で体のあちこちで慢性的な炎症を起こしそれが倦怠感に繋がるとか、脳に脂肪がつくと海馬や前頭葉の働きにも影響が現れるとか、そのようなことが書いてあった。
その文献が一説でしかなくても、「うつ病特有の症状は一切ないけどうつ病でがんばれないんです」と言われるよりも「太り過ぎでうつ病みたいになっちゃいました」のほうが納得できる。もしかすると不摂生な生活をやめたらMの『うつ病』は治るかもしれないが、おそらく一生それはしないだろう。
※逆に肥満気味のうつ病患者全員が勘違いとは決して限らないので、そこは勘違いなさいませぬよう。

Dさんと揉めたとき、Mは「あなたは精神が不安定なのにろくに精神科にも通わず治療に前向きとは思えない。過去にそういう人に迷惑をおかけ掛けられてトラウマだから楽曲提供ドタキャンします」と伝えたと思われる。
「過去にトラウマを与えた人物」がわたしのこと。
Dさんのツイートを読む限り、ただ忙しくてあまり通う時間がないという意味だと読み取れるのだが、それでもMは「いや、治療に前向きじゃないから」と思ったらしい。
病識のないMからその言い分をきいて納得する人間、いるだろうか。たいていの人は「いや、それお前こそだよ」と思うだろう。というかそもそも、Dさんとわたしを同一視して見ている時点で認知が歪んでいるのだが、それについても本人の自覚はないようだ。
ちなみにわたしはMと仲違いした時期きちんと通院していたので、「治療に前向きじゃない人は無理」というのがどこから出てきたのか意味不明である。結局不安定になってるんだから治療してるうちに入らない!というなら、通院して微塵も効いてない薬を服用しながら今日も他責に勤しんでいるあなたは何?という話なのだが…。

もしMが自身の病状について正しく自己認識していれば、少なくともDさんとの揉め事は起きなかったように思える。Aさんもキャンセルにきる費用はMがすべて払っただなんて印象操作されずに済んだだろうし、わたしだって「謝ったら許すよ」と伝えたときに謝ってもらえてそのまま穏やかに関係を切る事ができたかもしれない。
Mが「前向きに治療してないやつは無理」というなら、そのことばをそっくりそのまま彼女へ返したい。精神障害の治療というのは、ただ薬だけ飲んでいたらできるような簡単なものじゃない。
愛着の歪み、認知の歪み、自己肯定感の欠如や肥大化、根底にある思想、忘れていたはずの消えない古傷、様々な点からアプローチをかけ、ゆっくりゆっくり癒していかなくてはいけないのだ。中には一生かけても寛解しない患者さんだっている。それなのに、「薬飲んでるからちゃんと治療してる!」とか偉そうに言わないでくれ。M、あなたは自分の攻撃性を認め傷つけてきた人々にきちんと謝罪をし、そこから心を入れ替えることではじめて「前向きに治療している」と言えるのだ。必死に治そうとしているDさんやわたしと同じ土俵にあがろうとしないでほしい。どうか。


あなたと我々で違うところ

わたしや他の被害者たちとM、双方の違いはいくつか明確に存在している。
他の人のことはTwitterで情報を得ているだけで誤認もあるかもしれないので、あえて「わたし」と「M」で説明していこう。

初めの方で書いたとおり、わたしは清廉潔白な人間ではない。
昔から頭が弱かったので、人懐っこい分おかしな人間関係を作り上げてしまうことが多かった。
それに、毎日が限界だった時期があり他者に対し失礼な振る舞いをしたこともある。本人には後日謝罪をしたが、今でも後悔している。後にその時期の振る舞いは双極性障害の混合状態だっただろうと推測されたが、そんなのは関係ない。ただただ申し訳なく思う。
恋人に対しても、人との接し方がわからなかったりMやミスiDのトラウマが1番ひどい時期でもあったため、随分と迷惑をかけた。というか、今も自殺行動でかけることがある。大変申し訳ない。それでも助けてくれてほんとにありがとう。
ファン相手にも、わたしがアーティスト然としない思想をもって音楽をやっているせいで、何か意見を言われたときにつよく反発してしまうことがあった。今思うと、反発の仕方がよくなかっただけで、ファンたちに不満を抱いたことは1度もない。わたしは不安すぎて上手くできなかったのだと思う。それでもついてきてくれてありがとう。

そうやって、わたしだって色々な人を傷つけてきたのだから本質はMと同じだ。というか、人間である以上みんな同じなのだ。
わたしたち人間は被害者にもなるし加害者にもなる。人が意思を持ち思考し行動する生き物である以上、他者とぶつかり合うのは仕方ないことだ。避けられない。

だからわたしは、相手を傷つけてしまったときはまず謝るようにしている。わたしが傷つけられた反撃のために故意で攻撃してる場合は別だけど、まずそんなことって滅多にないから。相手から何もされてないのに被害者になるわけがない。被害者でも加害者でもない同じ立場の人のことはできる限り尊重すべきなので、「ごめんなさい」ということばはすごく大事なのだ。
そして、わたしは前向きに治療していきたいので(Mへの皮肉です性格悪くてすまん)、現在主治医と相談し、その都度経過報告をし、たまに内容を変えながら心理教育と認知療法を行っている。複雑性PTSDや過去のトラウマにより自身への愛情が大きく欠けていたのだが、徐々に回復し、今は診察前に書く問診票の「自分のことを他者と同じくらい価値があると感じることができる」のところに丸をつけられるようになった。
もしわたしに悪いところがあるなら受け入れ治したいのでネガティブな部分もすべて主治医に伝えているが、わたしが直すべきところは「自分さえいなくなればと自暴自棄になるところ」であり、それを治すために「自分を大切にしてほしい」という治療方針となったそうだ。わたしのことを信頼し、そのような治療方法をとってくれた主治医に感謝したい。
わたしは、自分を大切にしてくれる誰かをもう困らせたくないし、泣かせたくない。みんなにしあわせになってほしい。大切にしてくれるほど深い関係性の人じゃなくても、他者なんだから当たり前に尊重する。わたしのテリトリーを守りながら、誰かのテリトリーも侵さず、境界線を保ったまま社会の一部でゆったりと過ごしていきたい。
あの日「自分が死ねば」としか言えなかったわたしは、少しずつだが変わろうとしている。それは、自分も他者も大切でかけがえのないひとつの生命で、守りたいからだ。

Mはいまだに「わたしにはトラウマがある」と嘆き、自身の中でねじ曲げた事実だけを愛し、かわいそうというレッテルを自ら好んで貼り、そのレッテルを金貨に替えて周りからの信頼を買おうとしている。
彼女は気づかない。その金貨はお子さま銀行のおもちゃだから、そんなもので買えるのは次のターゲットからの一過性の慈悲だけなのに。
気づかないのだ。信頼をそうやって買おうとすればするほど今ある信頼まできれいに消えてしまうことに。ねじ曲げた事実は大きな鉄柵となり自身を幽閉してしまうということに。足元にはきれいな花束があってそれをみんなも楽しめる場所に飾れば通りすがりの婦人が「この花きれいね、あなたの?」と気にかけてくれるということに。
誰がどう伝えても、気づかない。誰にも助けられない。見捨てるしかない。
全員助けるだなんてきれいごとをわたしはもう、言えない。助かりたいといいながら助けようとした人の腕を噛みちぎろうとするモンスターに為す術は、ない。

Aさんは環境を変え自立してがんばっている。Cさんとはもう交流がないのだが、彼女のことだからきっとマイペースにやっているだろう。Dさんは家族を大切にし、そのこころのように柔らかい作品を作り続けているプロの作家だ。
わたしは、雨宮さらさとして楽曲制作の手は絶対に抜かないし、本名として新たな未来を手に入れようともがいている。

Mはずっとそこにいなよ。でも、わたしたちはもうそこにはいないからどうか二度と巻き込まないでね。

あなたの周りが敵だらけなのは我々のせいじゃない。

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