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田舎移住004.移住してよかったと思うこと。

移住してから3ヵ月が経ちました。里は梅や桜など花々の饗宴に続いて、あちらこちらで木々の新芽がグングンと成長する新緑の景色へと移り変わりました。景色の変化が目まぐるしく、植物というか生命のダイナミックさに驚かされている毎日です。

新緑がキラキラと輝いて見えるのです。たぶんそれが生命の「輝き」というものだと感じられるわけです。

冒頭の写真のように、山々は深緑色の針葉樹と、広葉樹の芽吹きの黄緑色のコントラストが美しく目を楽しませてくれます。
花々の変化も驚きで、桜が終わると次々とニューフェイスが登場しています。前稿「田舎移住003.移住してわかったこと。」で紹介した石垣が芝桜で覆われていたお宅は、いまはモッコウバラで覆われています。

建物のフェンスを覆う一重咲きの白バラたちも可愛いです。

また、ツツジたちも満開のときを迎えています。

さらに、生命のダイナミズムを感じさせてくれるのが、雑草たちです。とにかく成長が早いです。昨日刈り取ったはずなのに、朝起きてみるともう2cmぐらい伸びています。1週間ほどで次の画像のようなありさまです。

南側に面したお宅の畑の様子です。

いま、里には小鳥のさえずりと共に、あちらこちらから草刈り機の音が聞こえてきます。それが里の風物詩なのだと知りました。
その中で暮らしていると、生命の渦の中で生きていることを実感させられます。毎日「wow!(ワオ!)」の連続です。
いまの私は都会から田舎へ移住したばかりの「逆おのぼりさん」状態ですから、そういう驚きの連続になってしまうのかもしれませんので、地元で生まれ育った方からは笑われてしまうかもしれませんが…(笑)。

とはいえ、拙稿「哲学025.人間を考えるうえでの基本中の基本。」でも述べましたが、私たちの身体は兆どころか京を超える数の細胞や菌など微生物のそれぞれの働きによって成り立っており、さらに周囲の環境ともやり取りが行われており、分子生物学者の福岡伸一氏によると「私たちの身体は固定された物質ではなく、常に細胞を分解しては捨てながら、新しい細胞を合成していく運動の『流れ』である」ということです。その「流れ」そのものが生命だというわけです。そしてそれは人の身体と環境との間に境目がないことを意味します。

そのような「知識」をふまえたうえで自然を考えてみると、自然環境も自分の身体と同様に大事なものだという認識にいたります。
繰り返しますが、つまり、すべてがつながっているのだと思います。その意味では、私たちは地球のすべてとつながっているのです。そして、つながったうえで「」も形成されていくのだと思うのです。まさに「身土不二」です。

そのような認識のもとに自然に接していると、自ずと「いま生きている」という「歓び」と「実感」と「感謝」の念が湧いてくるわけです。世界に対する「信頼」でもあります。
それはマトリックス的な仮想現実の世界ではありません。何者かに見せられている映像世界ではなく、自分の生命がその流れの渦の中にあるという「実感」です。そしてそれはまぎれもなく「健康」につながっていると思うのです。

いまの私には、どこにも病気はありません。ですから病院にも通っていませんし、薬も飲みません。階段を駆け上がり、半分は上り坂の駅まで40分の道のりを徒歩で行き来する運動能力・体力もあります。
過去に花粉症に悩まされた時期はありましたが、流行病をきっかけに免疫の勉強をして食生活を変えたことでそれも治りました。それでも東京に住んでいたころは夜寝ていると鼻の通りが悪くなって息苦しくなることが時々ありましたが、こちらへ移住してきてからは、それもなくなりました。やはり、東京より環境がいいのだと思います。いままでよりさらに「健康」になりました。
その経験からも、自然とのつながりは「健康」につながっていると思うようになりました。

田舎に移住してよかったと思うことは、自然とのつながりが「健康」につながっているという「実感」を、身をもって「体験」することができたということです。
サプリや健康茶を飲む必要も感じません。ただ、自然に則した食べ物を食べることを心がけ、とりたてて「健康」を意識することもなく、普通に生活していればいいのだという、ある種の「安心」「信頼」の境地に達することができたといいますか。「あとは自然(生命のダイナミズム)の皆さんにお任せします。よろしくお願いします。私は私のやること、生きることに集中します」という感じです(笑)。

また、その感覚は、山の近くに住んで刻々と変化していく自然の様子を日々目の当たりにしたために誘起されたものかもしれません。風や匂いの変化、肌に感じる気温の変化などなど、五感に感じる変化はけっこう膨大な情報量なのかもしれません。
振り返ってみれば、都会では感覚を使わなくても済むように環境が整えられる方向へ進んでいるように思います。仕事でも生活でも、なるべく感覚を遮断した方が生きやすい面もありました。
その方向の行き着く先は、いま内閣府が推し進めている「ムーンショット計画」なのだと思います。

ムーンショット計画」とはどのようなものかというと、内閣府のホームページ「ムーンショット目標」を参照していただくとわかりやすいと思います。
まずムーンショット目標1に「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」と書かれています。

身体、脳、空間、時間の制約から解放される」とは、いったいどういうことなのでしょうか。その根底には「身体、脳、空間、時間には制約がある」という認識があり、そしてそれは「不自由」で「惨め」なこととして否定されるべきものという価値観があります。そしてそれは「克服」すべきものであると。
確かに、人間が身体から開放されれば、もう「健康」を気にして生きる必要はなくなるでしょう。「感覚」も必要なくなります。

で、「身体、脳、空間、時間の不自由」を「克服」するためにどうするかというと、科学技術によって人間の身体と認知能力を進化させようという計画のようで、それは「トランスヒューマニズム」といわれている思想を元にしていると思われます。
具体的にどのようなことを考えているかというと「1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを操作できる技術を開発する」というのです。つまり「1人で10人分働くことができるようにする」ということです。
アバターを操作するということは、身体をインターネットに直結させて遠隔操作するということです。それには身体を「OS化」してプログラムをダウンロードする必要がありますよね。【※1】
そこに「自由」はあるのでしょうか。私には「デジタル監獄」に思えます。そこから外れようとしても、いったんつながってしまったら、そこから抜けるのは至難の技ではないでしょうか。

そもそも「1人で10人分働く」ことは価値あることなのでしょうか。そのような価値観は「効率」や「生産性」をベースにしている考え方だと思います。
それは極めて工業的な考え方で、たとえば日本の農業も「効率」や「生産性」を上げるために化学肥料農薬を大量に使用して工業化を進めてきました。
その結果、環境が悪化して人々の「健康」を脅かしているわけです。ですから、もうそのような価値観にウンザリしている人々が続出しているのが現状ではないでしょうか。

人間には「効率」や「生産性」より大事な価値があると思うのです。それは「幸せ」です。
人類は科学技術を発展させて進化してきたと思っている人が多いかもしれませんが、はたして「科学技術の発展=進化」なのでしょうか。
私は人類の進化とは「人が幸せに生きる方法」の探究・発見だと思うのです。それがなくては人類が存在する意味がないとさえ思います。人類の歴史が一直線上の時間を進んでいるとすれば、人類はその部分の探究をないがしろにして科学技術の探究ばかりしてきたように思います。進化の方向が間違っていたから、いま、世界はこれほどまでに悲惨な状況になっているのではないでしょうか。
克服」すべきなのは「効率」や「生産性」という価値観ではないかとさえ思うわけです。

進化」を望むのであれば、「人間の身体と認知能力を進化させる」より、「人が幸せに生きる方法」の発見の方が、まさしくそのなのではないかと思うのです。そしてそれは科学技術によって達することはできません。頭を使って「考える」しか方法はありません。私は「自然とのつながり」を考えることが突破口になると考えています。
あらゆる生命とのつながり、地球とのつながり、人とのつながり、それらのつながりを「感覚」と「思考」を通して確かめていくことが、より「幸せ」な世界を築いていくなのだと思うに至りました。
自然とつながる方向へ行くのか、デジタルとつながる方向へ行くのか、それはあなた次第です(笑)。

GWに藤野の沢井川で鯉のぼりの谷渡しが実施されているときいて行ってきました。
川の谷に3本のワイヤーを渡して、約250匹の鯉のぼりが群泳する景色が素晴らしかったです。子どもが幼いころに揚げていた鯉のぼりを里の皆さんから募ってこんなにたくさん集まったそうです。子どもの健康と幸せを願う親のがこもっています。そういうをもつ人々が「不自由」で「惨め」な存在であるはずがありません。
風の中を泳ぐ鯉のぼりの風景を見て、そう感じました。

また藤野は、山の中腹に点在する家々の風景が和みを感じて気持ちが安らぐところがあります。移住先としてはJR中央線のどこかという感じで探していて、たまたま縁があったのが藤野の家でしたが、住んでみて、この里が少しずつ好きになってきて自分でも驚いています。電車で遠出をして帰ってくるとホッとするから不思議です。いまでは「わが里」という感覚です(笑)。

というわけで、里の自然や人々の存在に感謝できる世界観をもつことができ、そのような世界線を生きていることに感謝できるというのは、幸せなことだと思ったわけなのでした。

                                     

【※1】
身体を「OS化」する試みについては、計画は進んでいるようです。詳細は拙稿「31.コオロギを食べるか否か、新生活様式に向かって岐路に立っている私たち。」をご参照ください。

【後記】
食生活については、皆さんの参考になることもあるかと思いますので、いずれ解説する予定です。


「土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう」
「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、私たちは土から離れては生きられないのよ」

天空の城ラピュタより

【管理支配システムに組み込まれることなく生きる方法】
1. 自分自身で考え、心で感じ、自分で調べる
2. 強い体と精神をもつ
3. 自分の健康に責任をもつ(食事や生活習慣を考える)
4. 医療制度に頼らず、自分が自分の医師になる
5. 人の役に立つ仕事を考える
6.権威に依存しなくても生きていける道を考える(服従しない)
7. 良書を読み、読解力を鍛える(チャットGPTに騙されないため)

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