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東京マラソンで「走る人」とネットで「書く人」の共通点
先日初めて東京マラソンを沿道で拝見しました。
実際の現場は想像を遥かに超える人の波。
少なくともこれまでの人生において、コレほど大勢の人が途切れることなく走り去り去る光景を私は知りません。
イメージ的には、ディズニーランドのパレードの最後尾、
キャストさんが縄を持って徐々に道を開放していくのですが、
その後に人がわらわらついてくるんですよね
(最後尾って人気のキャラクターがのってたりもするので)。
あの10幅分くらいの集団が30分くらい途切れることなく走っていく感じ。
わかる人に分かれば良いです。
マラソンがブームになったきっかけは、諸説あるようですが、私は圧倒時に経済的敷居の低さが大きく起因していると思っています。
つまり身一つあれば始められる気軽さ。
会社でも、有志で大会に出ている人が多くいます。
「経験無いので無理です〜」と言っても、
「大丈夫!大丈夫!とりあえず動きやすい格好で来てもらえれば良いから!」
なんて言われ、やっぱり楽しそうで、始めてみる➡︎
仲間意識も生まれ、走った後の達成感がしんどさを超えてくる➡︎
その人がまた別の未経験者を誘う。
こんな好循環スパイラルにマラソンは上手く乗ったのかなぁと。
ここでふと思いました。
ネットでこうやって「書く」こともマラソンで「走る」ことと同じくらい、経済的敷居が低い行為なのではないかと。
PCやスマホ代はかかりますが、今やこれらの普及率は日本では相当高く、ネットカフェも充実しています。
「書こう」と思った時にすぐ始められるという点ではマラソンと似てるのでは…
だとすると、あのパレードが何十分も続くような人達の中から、自分に合った情報を引き出したり、逆に見つけてもらうのはとてもとても難しいことなのだとなんとなく視覚で感じることができました。
あの中で、目立つ(バズる)ためには、
先頭集団に入るほどの実力があるか(ちきりんさんや堀江さんなど)、
仮装をして走るか(ニッチなネタを書いてみる)、
倒れた人を懸命に救護してメディアに取り上げてもらうか(インフルエンサーにシェアしてもらう)、
足が折れても走り切るか(炎上?)・・。
こうやってみると、いかに目立つ(バズる)ことが難しいかを突きつけられます。
でもね、東京マラソンでゴールをする人たちはみんな清々しいお顔をしています。
みんなそれぞれ走る目的は違うのだろうけど、
頑張って走り続けたからゴールであんな顔が出来るんだろうなと思いました。
目立たなくっても、自分の目指すところへ向かって発信し続ける。マラソンと違って明確なゴールはないけど、逆に言えばどこにでも設定できる。
「書く」ことで、私もいつかあんな清々しい顔ができたらいいな。
ムダlica
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