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のめり込むとかそういう話

のめり込むことが怖いとかねがね思っているし、ゆうべはそのことを考えていたら眠れなくなった。暫定的でも解決策を思いつくまで寝られないと思って考えてみた。

なぜのめり込むことが怖いと思うようになったか。
原体験は、数年ごとに宗旨替えをしそのたびに実家に昼夜問わず押し掛け、ときには私達を脅かすような言動を取った親族のことだ。彼らは自分たちの信じるものを固く守り常に正しいと信じて実行していた。祖父の葬儀の受付で、普通葬式では言わないであろうことばを私達に向かって嬉しそうに放ったのは記憶に新しい。そのときドラクエかFFの魔法が使えたら間違いなくバシルーラ又はデジョンを発動させ彼らをどこか遠くの次元に放り込んでいたであろう。何かにのめり込んで他人に迷惑を掛けるようなことは絶対してはいけないと、深く肝に銘じた。銘じ過ぎた。

今年に入って何か続けようとたびたび思ってみるものの、のめり込むことが良いのかと一度自問すると途端に中断していた。それではいけない、でものめり込むのが怖い、何が怖いんだ、ということで考えてみたのがゆうべである。既に今年が始まって三ヶ月経っている。

結局のところ、親族のあまりにも非常識な言動を基準にし過ぎていた。どう転んでも私は昼夜問わず誰かの家に押し掛けて時間を奪ったり自分の考えることを無理矢理押し付けたり他人を脅かしたりするようなことはしない。のめり込むとしても何にのめり込むかは大体決まっているし(文章とか漫画とか二次創作を読んだりとか)しかるべきルートがあるではないか。そのためのネットだ。

そう考えたらnoteも習い事も続けられるだろうか。文章はとにかく書いていきたい。書こう。今年は障壁を取り払える年にしたい。

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