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明日へ向かって 53

 九月に入っても、夏の暑さは粘り強く残っていた。太平洋上では台風が引っ切り無しに発生しては、日本へ少しずつ次の季節を運ぼうとしていたが、昼間の日射しの強さは、秋の訪れはまだもう少し先だと知らせていた。
 オープンディスカッションは着々と回を重ねていた。毎回あらかじめごく簡単なテーマ設定をしておき、ほとんど月に一回ペースで開催していた。
 回を重ねるごとにオープンディスカッションの参加人数も次第に減り、これまで皆勤で参加しているのは、希美と長原と啓大の三人を除いて他にいなかった。毎回ではなくとも、都合がつけば必ず参加してくれるメンバーがあと数名ばかり。やや心許ないようなところもあった。
 風土改革活動は、出入り自由と透明性をモットーにしていた。そのため、三河製薬との合同ミーティングが開催されたことは研究所内でかなりの注目に値したようであった。ミーティング後に様子を訊ねてくる者が何名かいたが、いずれも目的は単なる情報収集だったようだ。
 城戸からのお誘いのメールはそんな矢先、ふいに希美の元へ届いた。風土改革活動を行っている世話人たちの交流会が立ち上げられたという。しかも開催場所は関西。城戸のメールには、とりあえず隔月一回ペースで始めたいと記されていた。
 とくに希美の興味を惹いたのは、浜松のセミナーのときに同じチームだった美容師の山本が交流会のリーダーを務めるという。引っ込み思案の希美もさすがにこの誘いを断る気にはなれなかった。
 すぐに榎本に許可を取るや、希美はその日のうちに参加の意志をメールで返信した。開催日は翌月だった。
 希美は思い返した。もうあれから一年が経とうとしている。山本の自己紹介はとても印象的だった。山本の美容院では、かなり活動も進んでいるのだろうか。あのエネルギッシュな山本さんならきっと活発な活動をしているに違いない。
 今日は、合同ミーティングを振り返えるという内容が準備されている。希美は、久々に気を引き締めるような思いでオープンディスカッションの会場へと足を運んだ。
 だが、その日の参加者は、自分を含めてたったの四人。長原と啓大、それと珍しく榎本がいた。当初は旗振り役であったはずの榎本だが、私がいない方が何か話しやすいでしょう、とか何とか言って参加しないことがほとんどだった。
 今日は私が来たからこんなに少なくなっちゃったのかな、いつもはもっと多いんだよね、と榎本に聞かれ、希美は途轍もなく最悪な気分になった。思わず溜息が出そうなのをぐっと堪えた。かといって、私一人の力でどうなるものでもなし、何とでもなれ、と半ば捨て鉢な気持ちになった。
 オープンディスカッションの最初に、長原から三河製薬との合同ミーティングの報告がなされた。
 両社で書き上げたミーティング議事録には、長原が投げかけたあの議論については一言も触れられていなかった。まるでなかったことのように、その部分だけがごっそりと抜け落ちていた。そのこととは裏腹に、議論は一番激しく交わされたにも関わらず。希美は違和感を覚えずにはおれなかった。
「やっぱりあのことは書かなかったんっすね」
 啓大も同じような感想を抱いているようである。
「やっぱ副作用問題について部外者と話すことは認めらへんのやろうな」
 長原が啓大にそう説明した。
「けど、それでも、あの話ができたのが一番よかったと思います」
 啓大の言葉に長原も、俺もそうだ、と笑顔で頷いた。
「あの、ちょっと一言いいかな」
 榎本が遠慮がちに口を挟んだ。どうぞ、と長原が促した。
「合同ミーティングについては、とてもいい議論になったと思う。それは参加したみんなが知っていることなんだが」そこで、榎本は少し言い淀んだ。
「今回のは特例で、今後、合同ミーティングの開催は難しいと思ってくれ」
 皆が顔を見合わせもしたが、そのことについて議論の余地もないと悟り、とくに誰も口を開かなかった。

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