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私の反省は〝反省フレーバー〟だった件


〝反省しない〟という戒め

かつての私。

反省のタイミングになると、

ほら、だからダメなんじゃん…
やっぱり出来ないよね…

私にとって反省という行為は、自己卑下の道への入り口になっているパターンが多かった。

このことに気づいてから、やたら反省モードに入ることは可能な限り避けるようにしていた。

ある意味、自分への戒め。

〝反省しない〟なんて、世間的にはおかしな戒め。

だからこっそり。
自分の中だけでの戒め。

そうして、私の反省→自己卑下の道は一時通行禁止にしていたのだった。

つい反省してしまった…

しばらく自分からこの道の利用を遠ざけてみて…

ひと山越えたかも…となんとなく感じたのか、
戒めの紐が緩んだのか、

先日気がついたら反省をしてしまっていた。

仕事でうまくことが運ばない場面が出てきて、
現状を打開しようと必死になった。

いつのまにか真剣に反省。打開策を見出すために。
ただ前へ前へ、まっしぐらに進んでいたのだった。

少し後になって、反省していた自分に気づいた。

反省をしてしまうと、自己卑下に繋がっていくから嫌なのに…
禁止していたことをやってしまった…通行禁止の道を通ってしまった…

と思っていたら、あれれ??

実際のところ、今回の反省はなんの入り口にもつながっていなくて、その後自分卑下をすることはなかった。

反省はただの反省に終わった。

むしろ、反省したことで現状打開できて達成感を得た。
そして反省したあとの私は清々しさで満たされていた。

反省フレーバー⁈

反省が出来た!!

なんとも言えない嬉しさが自然と込み上げた。

と同時に、これまで自分が反省としてきたもののほとんどはホンモノの反省でもなんでもなくて、自己卑下のきっかけになるものとして自分が作り上げた〝反省っぽいもの〟だったことに気づいた。

私は反省を自己卑下気分を味わうための道具にしていたのかも…。

人の悪口が蜜の味なら、自己卑下もちょっと蜜の味がする、と思えなくもない。

そう思うと、私がしていたと思い込んでいた反省は、反省の味はしても、実はほとんどホンモノの反省成分なんてほとんど含まれてなくて、〝反省フレーバー〟だったのかもしれない…。

そんなふうに思った。

そして、食いしん坊な私はいつだってホンモノが好きなんだよね、やっぱり。
反省だってホンモノのほうが後味もいい。

そう思ったら、自分で作ってしまっていた〝反省フレーバー〟のカラクリにようやく気づけて、クスッとひとり笑い。

なんでも食べ物に置き換えると、ちょっと気楽に考えられるから面白い。

自分の肩の力が抜ける工夫をまたひとつ発見できたかも。

食欲の秋到来。

いくら自分のためとはいえ、なんでも食べ物の置き換えすぎないように気をつけなくては❗️


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