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「#自分の中のギフト」探し

機能不全家族で育った人、アダルトチルドレン、虐待サバイバーと思う人などなど、自分は生きづらい環境で育ってきたなと思う人。そうかもしれないと何となく思う人。

生きづらい。そう感じたとき、誰かに相談するのもいい。今は電話相談どころかLINE相談とかオンラインでも相談できるところがあちこちにある(友人への相談は、いつも一定の距離をとって聞いてくれる以外はおすすめしない)。


でもそれだけではなくて、自分で自分を癒すこと、回復していくこと。
自分自身との作業を同時に大切にしていくことをおすすめしたい。

今の世の中は情報であふれている。
ありふれた情報から自分にとって本当に必要なものを見つけるのは結構大変だ。案外探して見つからなくて、それがストレスになったりして。

生きづらい環境で育ってきた人を何とか支援しようと研究している人は大勢いて、いろんな理論があって、何等か困っている症状があるとき回復するための何とか療法というのも星の数ほどある。

それなのに、なぜこれだけ苦しみから解放されない人が多いのだろう?
時々考える。

生きづらい環境で育った人の人生の中で足りていないこと。おそらくそのひとつは、自分で自分を見つめて、その中から自分のギフトを見つけるということ。それをアウトプットして目の前に差し出すこと。
生きづらい環境があったということは、自分の外側で自分にとって辛いと思うことが起こっていたということ。
それだけ自分の外側から受けていた影響が大きいということだ。

そこで、さらに自分は何者か、どうしてこうなったか、どうしたかったか、とまた外側にだけ答えを求めていても、どうしても埋まらないことが出てくる。だからこそ色んな心理療法なんかがあるけど、それを使うのも活かすのも自分だ。

だから、そんな自分は自分の中にどんなギフトがあるかを自分で見つけて、出して、自分の外側に置いてみること。その地味な作業のひとつひとつが、自分の中にあるむなしさを埋めてくれたり、信じることにつながったり、むくむく力が湧いてきたり。そんな自分の変化につながると思う。

生まれる環境を自分で選んだにしても、選んだ覚えはなくてなぜか辛い環境に身を置くことになっただけ!と叫ぶにしても、
そんな環境で生きてきたことでこそ身に着けたもの、自分にとってギフトです、と言えるものがあるとしたら?自分から取り出したギフトがいつも見える景色の中にあるとしたら?
そんな景色を見ていたほうが、今日明日からの一日が生きやすくなる気がする。

自分で自分の中のギフトを見つけていくときに、寄り添ってくれて伴走者のような人が存在していたら理想かもしれない。でもなかなか皆がすぐにそんな環境を得られない。

だから私は一人の実践者として「#自分の中のギフト」を見つけたら、これからも書いてみようと思う。そして読んでくれてやってみようと思った人の伴走者になれたらと思う(ということは、私はこれからnoteを続けるということですね…汗)。最後まで読んでくださったあなたもやってみませんか?

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