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不安MAX…のその後

吐き出した思いの塊を解いて言葉にする。その続き。

アウトプットの解放感…清々しい空気をせっかく吸えたと思ったのに、一気に不安MAXになってしまった。

その後…
結論から言うと、数日後に不安はかなり小さくなった。でもその数日間、仕事以外はとにかく向き合うしかなかった。
きつかった。

どうやら、この種の不安はこれまでもごくたまに感じてきたようだった。でも、この不安はいつの間にか消えていて、そのことにすら気づいていなかったのだ。

今回不安MAXになってしまった自分の変化に気づき、こうして受け止めて文字に残している。
…ということは、不安の消え方が、これまでと大きく大きく違ったということ。新たな発見だった。

これまでの私のパターン

実は、これまでアウトプットには何度もチャレンジしている。
アウトプットにチャレンジすると、いつも何となく不安が湧いてきていた。

アウトプットを続けていたら、仕事でいつも寄り添っている人たちと距離が出てきて、あんたには私の気持ちなんて分からないよ、とならないだろうか?せっかく必要としてくれる人から見捨てられるかも。
アウトプットしたときの嫌な感覚の中に、そんな不安も少し含まれていた。すべて、いま思えば、だ。

当時はかすかな不安が出てきた時点でアウトプットは即中止。

ほら、支援を続けたいなら、アウトプットやめないと。今までのスタイルで支援できないよ。相手の気持ちなんてわからなくなるよ。寄り添えないよ。

不安の正体が見える前に蓋をした、と思う。

元々苦手意識が強いと、止める理由はすぐに浮かぶものだ。
アウトプットは続けたくても続けられないんだ、と自分が一番納得出来る理由を見つけて、アウトプットへの道から引き返していた。何度も。
そうして自分解放をやめて元の自分に戻っていた。そこは慣れ親しんだ場所だから、不安は見えなくなった。

こんなパターンが、アウトプットにチャレンジして不安が出てくるとほぼ同時にこれまで何度も起こっていた。そういうことらしい。
今回初めて自覚した。

*********

結局、これまで私は、アウトプットへの道を何度も行っては戻りしてきていたのだ。不安というゲートをくぐり切ることがなかった。

今までもアウトプットで自分を解放する兆しはあったのに、いつも一歩が出ず勇気が引っ込んだ。結局何もパターンを変えずに終わっていたのだった。

不安MAXとなって今回吐き出した塊にはこれまで丁寧に扱われなかったたくさんの思いが詰まっていた。

今年に入ってこうしてずっと書き続けて、塊を吐き出して解く勇気も出ていたから、きっとこのループにも気づいた。
時が満ちたっていうことだろうか?  まだ解く塊はある。


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