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新たな自分を見つける方法
頼み事をするのが苦手な私
私は人に何かを頼むのがとても苦手。
どちらかと言うと自分の中で抱えてしまうし、誰かにお願いするなら自分でなんとかしてしまったほうが楽、と思ってしまうところがある。
とはいえ、大人になって自分で出来ることの限界はわかっているから、明らかに自分が出来ないときは潔くお願いする。ちょっと勇気を出さなくてはならない。
最近、知人にずっと頼んでいた案件があった。ちょっと勇気を出して。
急ぎではなかったけど、私としては、確実にお願いしていたことだった。
それを相手にすっかり忘れられていたことが、先日判明。
というか、知人にとっては、頼まれていたことを忘れていたという感覚すらなく、なかったことになっていた。
通常なら、背景にどんな心理が?とつい深読みして分析してしまうところかもしれない(ここはやや職業病…)。
いずれにしても、起こった事実だけ考えると、私にとっては腹立たしくなることだった。一度ならず二度三度と、きちんと相手に時間を作ってもらってお願いしていた案件だったから。
あれっ?私って嫌われてる?いじめられてる?とさえ思ってしまえる状況だった。
腹の立ち方が変わった
なぜこんなことになったのか?
という、本当のところはこれからわかってくるとして…
今回お願いしたという案件がぞんざいに扱われた。そしてそのことに対して、私の中で腹立たしさがあったことは確か。
でもそれはほんのわずかなものだった。
少し腹が立った。以上。だった。
そのことに自分で驚いた。
頼み事をするときに、私はどう準備して、どう相手に伝えた?これからどうしたい?そこに一番の関心がいき集中した。
人への頼み事だから、と結構な時間を取って、自分なりに言葉も選んで準備していた。
相手は忙しい人だったし、きちんと時間や言葉も選んで伝えている。
その時、わかりました、という明確な返事も相手からもらっていたな。
あのとき私はやれる精一杯をやったな。
当時のことを思い返しながら、私自身が、人へのお願いごとをきちんと手順踏んでやったなら、頼んだ物事が進んでないことは残念だけど仕方ない。
また頼みたい?どうしようか?
そう考えていったら、気持ちはすぐに落ち着きフラットになれたのだ。
こういういつも落ち着いていられる感覚は私にとって理想だけど、実際に今回のようなことがあったら、これまでは確実に動揺していたと思う。
心が狭い、というか、あんなに頼んだのに!ちゃんと返事していたじゃん!何が悪かった?としばらく腹を立て続けていたと思う。
新たな自分の一面と出会う
今までは、うまくいかないことがあると、何が悪かった?と至らないところばかり見ていた。そのつもりはなかったけど、至らないことを探していた。至らないことに全集中(苦笑)。
そして、至らないことを誰かのせいにしようとしていて、そのうち、自分さえもそのメンバーに加えて皆を責めていた。
責め始めるといつの間にか責めのループに迷い込む。
ところが今回は、人に物を頼むときに、思っていた以上に、丁寧に準備している自分がいたことに気づけた。頼み事を忘れられたとわかって、そもそも本当に頼みたいことか?という気持ちの再確認も出来た。
本来なら腹を立てる状況であっても、次にどういう心持ちで動くことが自分にとっての最適解だろう?と冷静に見つめる自分と出会えたのだ。
そんな自分に出会えたことがなんとなくうれしかった。
嫌な気持ちになりそうなときに、うれしい感覚になれたなんて初めてかもしれない。
最近は、身の回りに何かが起こって、それがどんなことであっても、最終的に自分に対する興味というところに辿り着く。
だから、一瞬誰か他の人のことを考えたとしても、考えている自分は、あのときどうしていただろう?これからどうしたいんだろう?なんでこんなムカつくんだろう?と、自分のことをさらに知るきっかけを外の世界から与えてもらった気がして、むしろ有難ささえ感じるのだ。
自分のことはもう十分わかっているよと思っていても、一日一日何も起こらず変わらぬ日を過ごしていたら、わかったつもりになっていることが多いと思う。本当のところは、身の回りに何か起こってみて、それによって顔を出す自分と出会わないと見えてこないものもある。
日々過ごしていると、案外といろいろなことを、意識せずにこなしているものだ。
意識していても、していなくても、どれもが自分。
そう考えると、日ごろどれだけの自分を知らないまま過ごしているだろうとさえ思う。きっとたくさんの自分を見過ごしたままだ。
私の中には、もっと大きなおおらかな自分になりたい気持ちが強くて、そうなるためには自分をもっと知る必要があって、もっと知るには自分を知るきっかけ、つまり何かが起こることが自分をもっと知るチャンスになる。
だから、それが通常腹立たしくなることだとしても、それはウェルカムしたほうがいいんだ。そう思ったら気持ちが軽くなった。
何が起こってもそれは新たな自分を知るチャンス。
そう思ったら、なんでもなんとなく大丈夫だ。
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