あまいさと

エッセイを書きます。映画や文学のこと、生活のことを中心に。音楽をつくったり歌ったりして…

あまいさと

エッセイを書きます。映画や文学のこと、生活のことを中心に。音楽をつくったり歌ったりしています。

最近の記事

シュリスペイロフはかっこいい

今この瞬間、この世で一番かっこいい。 常套句でも誇張でもなく、そう思った。下北沢の夜。ぼくにとっては久々の。 シュリスペイロフというバンドがいる。例えば音楽を好きな人と話すとき、ぼくが絶対に紹介するバンド。そのとき酔っ払っていたならば——つまり、多くの場合——熱く愛を語るバンド。漏れなく名前を聞き返されるバンド。 「シュ、シュ……何?」 音楽に限ったことではない。映画や漫画や文学も含めて、誰かから薦められたらとりあえずその作品に触れてみる。そういう人と話すのは楽しい。

    • 抑鬱に抗ってみる

      何をすることもできない日々が続いていた。 枕元にはそれ以前から積まれた未読の本が山となっている。最上段の一冊を手に取り読んでみようと試みるも、語句の羅列を目でなぞるに過ぎず、紙の束に閉じ込められた物語を再生することは叶わない。ならば映画はどうかとラップトップを開き配信サービスにログインする。「いつか観よう」とマイリストに登録している古今東西の名作群からひとつのサムネイルをクリックする。文学と違い再生に苦労することはないが、気づけば画面上を流れる物語は景色となり、頭の中では別

      • 文章が書けなくて「もうやだ」って投稿しようと思ったけど5時間かけたら1000字だけ書けた

        夢の中で何度も止めたアラームが現実の音であると気づくころには、ゴミの回収もとうに終わっていた。鉛のようなまぶたをようやくのことでこじ開け時計に目をやると、眠る直前の記憶とちょうど同じ形をしていて一瞬混乱した。それでも視野を広く持ってみればその明るさはまるっきり変わっていて、カーテンの隙間からねじこまれた光が一週間生き延びることとなった段ボールの山の上に描く歪な線も時の経過を象徴的に示している。今日も十二時間寝てしまったようだ。 連日の過眠は、心身の疲弊を決して癒さない。疲れ

        • 「誰かが好きな本」の棚

          誰かといっしょにお酒を飲むといつも、ほぼ例外なくいつも、好きなものについて語りあうことに終始する。 「一番好きな映画は?」「うわ、それ訊きます?」などの定型の会話は一旦交わしておくほうが、やはりよい。「人生で大切な音楽」について尋ねることも、もちろん欠かせない。 同様に、本についても話さなければならない。互いに頭に思い浮かべた自宅の本棚からお気に入りの一冊を抜き出して交換しあうのはおもしろい。足元のかごに避難させたショルダーバッグから今持ち歩いている文庫本をじゃんと取り出

        シュリスペイロフはかっこいい

        マガジン

        • 2023年に書いた月に1本のエッセイ
          13本

        記事

          夢を見ること、夢を見ること

          みんな「夢」という言葉が好きなようだ。ぼくも文章や歌詞においてときどき使う。ただし、「将来実現させたい理想」のような意味をその単語に求めたことは、一度もないように思う。もうひとつの用法である「寝ているときに見る幻覚」のことを指す名詞としてならば、多用しているといってもいいくらいかもしれない。——と、なんだか冒頭から語尾が曖昧だなあ。 ぼくは、夢を見ることが、好きだ。幻覚の方の「夢」。 数年前、心の調子を崩して人生を休んでいる時期があった。来る日も来る日も昼も夜もずうっと寝

          夢を見ること、夢を見ること

          2024年の目標

          またひとつ年が明けた。2024は8の倍数で気持ちがいい。 新しい年を迎えるといつも、まずこれから一年間の目標を定める。具体的な数値目標である。すべてを達成できたことは一度もない。 恒久的な悩みとして、「やりたいこと」が多すぎる。やりたいことをやる中で、また別のやりたいことが見つかったりもする。加えて、「やらなければならないこと」も日々大量にある。むしろ、「やらないこと」こそを決めるべきなのかもしれない。だが、それには相当の度胸が求められる。 そもそも本来、趣味に目標など

          2024年の目標

          地震のこと

          今日発生した地震のことを書きます。役に立つような情報は何も書いていません。自分の思うことや考えてきたことに終始しています。不快感や不安感を助長するような内容かもしれません。 どうか、間違って購入なさいませんよう。

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          2023年をふり返る

          年末年始の雰囲気はいつも愛しい。お正月は特にすてきである。一年をふり返ることも大切だ。次なる365日の目標を定めることもまた意義深い。何より、ただゆっくり過ごす数日は貴重だ。 2023年は、たくさんの映画を観た。たまたま鑑賞が重なったに過ぎないのか、あるいは今後もこのペースが続くのか。少なくとも毎週末映画館に通う生活においては、深い呼吸ができていた。 一方、本はあまり読まなかった。こちらは「たまたま少なかった年」といえるようにしたい。本を読む暮らしと読まない暮らしとでは、

          2023年をふり返る

          文章を書くこと

          高校生の頃は、毎日1時間半かけて学校へ行き、1時間半かけて家へ帰った。「ど田舎」と「田舎」を往復するバスに揺られながら、大きな音でロックンロールを聴いていた。毎日の爆音で、少し耳を鈍くした。カナル型のイヤフォンはもちろん有線で、その先端は日本の家電メーカーがつくった折りたたみ式の携帯電話につながっている。白い端末を両手で握り、左右の親指を目まぐるしく動かしながらぽちぽちぽちぽちと、ぼくはいつも小説を書いていた。 ソーシャルメディア前夜の当時、ある特定の形式を持ったWebサイ

          文章を書くこと

          2023年に観た映画

          数多くの映画を観てきた人生とはいえない。青春時代を過ごした地元には、映画館はもちろんレンタルビデオ店もない——というか魚屋以外の店がない——ため、テレビ以外で映画を目にする機会がなかった。そのまま街へ出ても、映画を観ること自体が習慣にないため、今思えば数多くの名作を観逃してきた。 打って変わってここ数年は、これまでの反動なのか、随分と映画館へ足を運ぶようになった。2023年は延べ73本の映画をスクリーンで観たらしい。ぼくの基準ではすこぶる多い。 さて、その中で特に記憶に残

          2023年に観た映画

          2023年に読んだ本

          今年はあまり本を読まなかった。 むらのある人生を送っているものだから、一日中本にかじりついている時期があったかと思えば、一切ページをめくることのない日々が続いたりもする。2023年はというと、「なんとなくずっとたまになんかちょっと読んだりもするかも」という程度の一年であった。 映画館へ出かけたついで、カレー屋から喫茶店へ向かう途中、気分の晴れない昼休みなど、書店へ寄ることは例年通り何度もあった。もちろん、その度に少なくとも一冊は本を買うわけである。我が家の棚の増量は、一年

          2023年に読んだ本

          HOSO F.C. BONEN MEETING 2023 に参加して

          HOSO F.C.というメンバーシップに参加している。「ほとんどプレーしない草サッカークラブ」である。クラブの会長はサッカー解説者としても有名なライターで編集者の細江克弥さん。 ぼくは引っ込み思案で人見知りだ。どんなコミュニティであれ、属すること自体があまり得意ではない。積極的なコミュニケーションや自己主張もうまくできない。ただ、このHOSO F.C.の中では割合ぐいぐいと主張している。メンバー向けのラジオに毎回お便りを送ったり、その番組のテーマ曲を作ったり、Zoomでのサ

          HOSO F.C. BONEN MEETING 2023 に参加して

          人に読ませるために書いたのではないので

          人がたくさん死んでいる。殺されている。苦しい。 それとは別に、ぼくはぼくで、勝手に、毎日苦しみ続けている。世界の状況とは関係のない個人的なことで、ずっと苦しい。そして、そのこと自体にすら罪悪感を覚える。2011年にも2020年にもこんな気持ちになったな。 Twitterのアプリをアンインストールした。得ていた情報もたくさんあるが、背に腹は変えられない。音楽などの活動を言い訳に、アカウントは消せないのがかっこ悪い。いつからか、あまりにも醜悪なものに埋もれすぎた。自分のディス

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          人に読ませるために書いたのではないので

          重い筆も後手もこれまで

          しかし、先月はひどいものであった。もちろん、ここに投稿したエッセイのことである。余裕を持って執筆に取り掛からないせいで「月が変わるまで」という締切に追われ、記事の大半をAIの生成した文章で埋めてしまった。読んでくださった皆様に対し、あまりに無礼であり、このうえなく情けない。あのような失態は二度と繰り返さないようにしたいものだ。 ——といいながら、今日も今日とて月の末日である。日はとうに暮れた。例によって内容すら決まっていないが、とりあえず書きはじめないことには間に合わない。

          重い筆も後手もこれまで

          AIとの恋愛、いや共存――人間と機械の微妙な関係性

          ChatGPTに、これまでに書いたエッセイを読んでもらった。 感想を問うと、「あなたのエッセイは、個々のテーマに対する深い洞察と自己反省を提供しています。スタイルと表現力もあり、読者に多くの考えや感情を引き出す力があります。」とのこと。エッセイに対するの感想として、万能であり、最適解ではあるまいか。 当たり障りのないいけんゆえに、大して広がらなかった。今月分の執筆の種にしたかったのだが、どうにもその役割は果たせそうにない。ここは、一切の責任を彼に押し付けることにしよう。と

          AIとの恋愛、いや共存――人間と機械の微妙な関係性

          ぼくは今、酩酊している

          きっと誤字や脱字があるだろう。文のリズムも軽やかではなかろう。どうか、寛大な心で見逃していただきたい。 このようなことは日常茶飯事である。日常酒肴事である。しょっちゅうお酒を飲んでいる。そのくせに、決して強くはない。というかとても弱い。ひとつ喉を潤してみれば、もう顔が真っ赤っかになる。聞いたところによれば三重県民は遺伝子上アルコールに弱いらしい。どうやら、本当は飲まないほうがいい。だが飲んでしまう。そして毎度のことながら、その先には後悔や反省が控えている。 しばしば、ビー

          ぼくは今、酩酊している