コナンの映画を映画館で見れた!!
大好きなコナンの映画、『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』を見てきました!
いやぁ…興奮した…かっこよかった…
ネタバレなし、内容には極力触れずに、映画を通して考えたことを書こうと思います。
“あり得ない”のがコナン映画の良さ
コナンの映画には、毎年「そんなん絶対あり得ないでしょ!!」というシーンがたくさんあります。
なぜ生きていられるのか?と思わずにはいられませんが、あり得ないことをやってのけちゃうからカッコいいんだよな、それでこそコナン映画だよなって今回改めて思いました。
そして、そもそもフィクションはあり得なくて当然か、と思い出しました。
ドラえもんだって、ドラえもんの存在自体があり得ないのに、その設定を受け入れてエンタメとして楽しめているわけで。
でもじゃあコナンにはなんでツッコミを入れたくなるんだろう?と考えたら、部分的にはとてもリアルだからなのかも?と思いました。
服部が新一に対抗する気持ちとか、蘭と和葉のやりとりとか。そういうものはとても身近なものだから、ついコナンたちが同じ世界に生きているような錯覚が起きる(私だけ?)。
と思いきや、急に捨て身のアクションをしだすから、「えぇぇぇぇ!!!」となるのかもしれません。
“予想通り”が嬉しい
コナンをはじめ、誰かが「やばい!」って状況になったとき、私は心の中で「絶対誰かが助けに来る!」と思います。
絶対大丈夫だとわかっている。でもその上で「お願い!誰か助けに来て!」と本気で祈っていたりもする。
そして案の定、平次なりキッドなりが颯爽と駆けつけて助ける。わかりきっているのに、「よかった…!よく来てくれた!」と感激する。
展開としてはものすごくベタだけど、期待を裏切らず絶対に助けが来る安心感と、予想通りとかどうでもよくなるほどの圧倒的なかっこよさもコナン映画の魅力だなぁと思いました。
欲しいものを与えられているような感覚?
“飽きさせない”ための速さが私は苦手
映画に限らず、最近は何事も速さが命というか、見ている側が飽きてしまわないようにいかにテンポよく展開させるか?が重要視されているように思います。
確かに私自身、年々待てなくなっている気がします。次から次へと情報が入ってくるSNSだと特に。
時代の変化に合わせて作品も形を変えていくのは必然だと思いますが、私の好みとしては、ぽんぽん場面が変わるのは疲れるなと感じました。
入ってきた情報を整理する間もなく新たな情報が入ってくる感覚で、内容を咀嚼しきれないまま絵の激しさだけで押し通されたみたいな…
テレビであれば、すぐチャンネルを変えられてしまったり、スマホを見ている方が面白いと思われて、見てもらえなくなる恐れがあるのかもしれない。集中力を切らさないために、速さが求められるのかもしれない。
でも、お金を払って、スマホを見られない状況においても、あれほどの速さがないと飽きてしまう客がいるのだろうか?
そうだとしたら、私は恐ろしさを感じます。悲しさもあるかも。
「今のはどういうことだったんだろう?」と考えたり、場面の途中で差し込まれる風景をゆっくり楽しめない人が増えている…?
そしてそういう作品ばかりになり、自分もそうなっていく…?
なんだか、純粋に楽しみ切れない自分がいました。
とはいえ、作品自体はおもしろかったです。
登場人物たちのかっこよさを大画面・大音量で見られてよかった!!と心から思いました。
金額だけでは測れない、自分にとって価値や意味があるものを大切にしていきたいと思います。
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