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「そうですけどなにか?」顔色を伺う人生の風向きを変える

相手の些細なリアクションによって、自分の意思を出せなくなることってあるよなぁと思います。
 
どんなリアクションかというと、否定のニュアンスを含んだもの


例えば恋人に自分の考えを話したとき、「え、まじ?」とか「いやいや、そんなこと考えてんの?」みたいな反応をされると、人によっては「そうですけどなにか?」と立ち向かえるかもしれませんが、私の場合は「あれ、自分って変なのかな」と自信がなくなってきます。
 
ご飯なに食べようかと話しているとき、「私は○○の気分かな」と言ったのに対し「あ〜○○か〜…それよりラーメン食べたくね?」と言われたら、自分がどうしたいかは言わず、この人の中にある正解を当てなきゃと思うようになります。


言葉を使わなくても、「あ~!」「え!」と言うか、「あ~」「え…」と言うかで、印象は変わると思います。

興味を持ってくれているのか、それとも否定的に捉えられているのか。相槌だけで結構わかるよなぁと思って。


過去の恋人との会話を思い返して、ここでも私は自分の意思を出せずにいたんだと気づきました。

それはなぜかと考えれば、些細なやりとりの中で生じる彼のちょっとした否定の反応の積み重ねなのだと思います。

自分の意思を出して、また否定されるのが怖い。結局彼の中で答えが決まっているのなら、私がなにを言っても無駄だ。そう思っている自覚すらなく、彼の基準に合わせることで衝突を避けていました。


自分の意思を出せないことの最初の原因は親との関わりによるものだったけれど、それだけでなく、人生のあらゆる場面にきっかけは潜んでいる。

顔色を伺い、相手に合わせる生き方をやめるには、否定的な反応をされたときに一方的に折れるのではなく、「そうですけどなにか?」と思ってみるといいのかもしれないと思いました。

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