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空洞解明の手がかり

自分の中にある空洞の正体が、少しずつ見えてきました。

昨日の記事で、自分の奥の方にある空洞に気づいて、不安や寂しさに襲われたと表現しました。

これを書いた時点では見えていなかった空洞の輪郭のようなもの、言い換えればこれから考えていきたいテーマを、今回は書きたいと思います。


①無価値感

自分には、「価値を提供しないと存在している意味がない」という感覚があるみたいです。

無条件に受け入れられることに慣れておらず、「これをしたから受け入れられている」というように、いつも条件つきで自分の価値を感じている。

無価値感という言葉は、以前からなんとなくしっくりくるなと思っていました。調べてみると、やはり幼少期の親との関係に由来するようで。

ある記事に出ていた例のひとつに、「手のかからないいい子」と期待をかけられ、「親の手を煩わせてはいけない」という義務感に変わってしまうというものがありました。

自分はまさにそれだ、と思いました。

「親の期待に応えるから愛される」、それはつまり「親の期待に応えないと愛されない」ということでもあります。

気難しい兄に疲弊している母を見て、母に負担をかけないことが自分の役割であり、求められていることだと思ったのでしょう。

幼い頃からそうやって振る舞うのが当たり前になっていたと思うと、就職してからの、上司や先輩に対する過剰なまでの気遣いにも納得がいきます。


無価値感をなくす方法として、外にあるもので埋めようとせず、内から湧き出る愛で満たす、というようなことが書いてありました。

まだあまり理解できていませんが、自分が本当に食べたいものを食べたり、本当にしたいことをする、ということのようです。

そう言われると、金額で我慢せずフォンダンショコラのパフェを食べる決断ができたことは、無価値感を弱めていく意味でも大きな一歩だったと言えそうです。


②必要不可欠になるのが怖い

これはもともと、恋愛の文脈で思っていたことでした(今は友人関係にも言えます)。

お付き合いしていると、自分が相手にとって必要不可欠な存在になっていくような気がして、それがなんだか怖かったんです。

「私がいなくなったら、この人はどうなってしまうんだろう」
「私がいてもいなくても、大丈夫であってほしい」

というようなことを思っていました。

無価値感とも繋がるような気がします。自分はいてもいなくても同じはずなのに、どうしてそんなに必要とするの?という疑問にも近いかもしれません。

自分で自分の必要性を感じていないから、必要とされると不安になる、みたいな…?


違う角度で見ると、自分が誰かを失うことを恐れて、傷つかないようにしているようにも思えます。目の前にいる人がいずれいなくなってしまうときのために、心の準備をしているような。

これに関して、思い当たることがいつくかあります。

ひとつは、小学生の頃にとても仲の良かった友人が、中学に上がるタイミングで引っ越してしまったこと。中学も一緒に通えると当たり前のように思っていたので、とてもショックでした。

もうひとつは、母方の祖父の死です。私が小学2年生のときでした。

私自身がショックだったのかはわからないのですが、母が泣いている記憶は鮮明に残っています。また、兄は祖父が大好きだったのでショックが大きく、学校に行けなくなる原因のひとつにもなりました。

祖父がいなくなったことで、母や兄が悲しんでいる。この記憶も、心の準備に関係しているように思います。


今回書いたことは、自分の中で行き詰まっているというか、壁にぶち当たっている感覚があります。

でも、この先にとても大事な気づきがあるように思えるので、焦らず向き合っていこうと思います。

お読みいただきありがとうございました!


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