リーダーをやりがちな人生【私の過去の話】
【私の過去の話】シリーズとして、今回は社会人になるまでのことを、特にリーダーのような経験に焦点を当てて書こうと思います。
入社3か月で会社に行けなくなった私がかつてどんな学生生活を送っていたのか、少しでも知っていただけたら幸いです。
~幼稚園
ほとんど記憶はありませんが、もともとは静かで大人しく、話すのもとてもゆっくりだったようです。公園で年上の女の子たちに囲まれると、母の足に隠れるようなエピソードも。
ご飯を食べるのがとても遅く、お昼ご飯の時間が終わってみんなが園庭に遊びに行く中、黙々と食べ続けていたそうです。おしゃべりをしていて食べ終わらないわけではなく、ただただ遅い。途中で食べるのをやめて遊びに行きたがるわけでもなく、時間はかかっても、いつも完食していたらしいです。
一方で、幼稚園バスの中で「おともだちになろう!」と声をかけるような積極的な一面もあったとか。
小学生
ピンクが嫌いで、ボーイッシュな子どもでした。
(この記事でも書いています↓)
この頃はまだリーダー的な役割を担うことはなく、自分がそういうタイプだとも思っていなかったように思います。
男女関係なくドッジボールや鬼ごっこをするのが好きで、女の子だけでの遊びにはうまく馴染めなかったような記憶があります。あんまり覚えていませんが…
中学生
〈部活〉
中学に入り、憧れていた吹奏楽部に入部しました。たくさんの楽器を演奏できるのが楽しいと思い、第一希望で打楽器に。
真面目な性格と、楽器との相性のよさから、日々楽しく練習に励んでいました。
最高学年のときにはパートリーダーになり、定期演奏会の実行委員長もやりました。中学では先生と先輩がすべての役職を決めていたので、そもそも真面目さを買われたのだと思いますが、役割によって真面目さがさらに強化されたように思います。
〈クラス〉
小学校ではリーダーのようなものを全然やっていなかったにも関わらず、1年生の最初から、投票で班長に選ばれました(学級委員と別に、班長という役割がありました。男女3人ずつで、席替えのときに学級委員と一緒に話し合うようなポジション)。
結局、3年間ずっと班長だったような気がします。
小中の同級生に先日会ったので当時のことを聞いてみたら、その子曰く私は小学生の頃からしっかりしていたから、班長に選ばれたのも納得だった、とのことでした。自分ではよく覚えていないから、過去の自分を知ってくれている第三者の存在はとてもありがたいなと思いました。
〈委員会〉
3年間図書委員で、常に学年代表をやっていたような気がします。2年の後期と3年の前期には、委員長をやっていました。
なんで学年代表や委員長になったかって、初めからやりたいと思っていたわけではないんです。こういう役割って、あんまりみんなやりたがらないですよね。めんどくさいから。
私は、誰かが名乗り出ないと決まらない状況に耐えられなくて、そこまで嫌なわけでもないから、結局引き受けちゃうタイプでした。流されているとも言えます。
でも始めこそ自分の意思じゃないとはいえ、真面目だからやれちゃうんですよね…先生の言うことをきちんと聞いて、さらに自分の頭で考えてより良くするために行動する…
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さらに厄介なのが、途中から楽しくなってきて、まるで自分がやりたいからやっている気持ちになってくる笑
主体性があるといえば聞こえがいいですし、実際嫌々やるより何倍も学びがあって、自分の血肉になる経験ができたと捉えると良かった側面ももちろんあります。
ですが、この記事でも書いたのですが、主体性をいいものと思いすぎていたのも確かだなと。
まぁ、中学時代をまとめると、先生の言うことをよく聞き、部活動に励み、実行委員長などリーダーシップを発揮するような機会に恵まれ、リーダーのイメージが自他ともについた時代、という感じでした。
高校生
〈部活〉
高校でも吹奏楽部に入り、打楽器を続けました。中学以上に活動が熱心だったので、毎日部活に明け暮れる日々。1年の後半から幹部候補のような役割になり、のちに副部長になりました。
高校では、自分たちで部長や副部長を決めるスタイルでした。
このときも副部長がやりたいというわけではなかったけれど、自分のやる気や部活に対する想いを活かすには幹部になるのがいいんだろうな、という感覚でした。
同期には、「幹部になりたいんだろうな」と思われていたようです。
〈クラス〉
高校では、部活最優先の考えだったため、部活以外でリーダーのようなものはやらなかったように思います。
今思うと、このときは我慢する、自分で全部やろうとしないということを少しは意識できていたのかも…?
いや、1年生のときに、文化祭のクラス代表みたいなものに立候補しました。それこそあまりに決まらなくて耐えかねて、という感じで…。その頃はまだ部活がどれくらい忙しいかもわかっておらず、結果的にクラス代表の仕事が中途半端になってしまい、一緒にクラス代表を引き受けてくれた子への申し訳なさや、やり遂げられない悔しさを感じ、その後は下手に引き受けなくなった気がします。
大学生
〈部活〉
大学では音楽は続けず、舞台照明を扱う団体に入りました。
メインの活動は、学園祭の野外ステージでの機材設置・照明演出で、それ以外にも普段から大小様々な活動がありました。
高校の吹奏楽部の先輩がこの団体に所属していたので、1年のときから学年代表として色々任せてもらい、先輩が引退したあとは局長として外部団体や学校職員、業者の方々とやりとりをしていました。
〈ゼミ〉
“局長”がゼミでのキャラクターのようになり、なんだかんだ真面目なのもあり、結局ゼミ長のような役割をなんとなく引き受けていました。
ゼミ飲みの幹事やちょっとした出欠確認程度なら、「まぁやれないこともないし」という感じで、気づけば自分がやっていたなぁと思います。
〈アルバイト〉
一番長くやっていたのがカフェでのアルバイトでした。わかりやすく役職のようなものはありませんでしたが、やっぱり飲み会の幹事はよくやっていました(そんなに嫌いじゃないんだろうな)。
あとは、新しく入ってきた人への指導もそれなりに任せてもらっていました。コロナで締め作業を2人でやらなければいけなくなったときには、私が新人さんと組んで仕事を教える機会が多かったように思います。
リーダーをやりがちな人生
ざっと振り返ってみても、中学を境に、リーダーのような役割を担うことが当たり前になっていたことがわかります。
私は、人の顔色をすごくよく見ていたから、先生が困っていると黙って見ていられず、人がやりたがらないことを引き受けていました。
組織における代表的な立場にいるということは、みんなにルールを守ってもらう側でいるということだと思います。
特に中学生なんて、先生に言われたことを伝達するのが主な仕事なわけで、先生に近い目線で、どうすればルールを守ってもらえるか?が考えの軸になっていったのだと思います。
それは同時に、自分はルールを守る以外に選択肢がないということでもあります。
守ってもらう側の自分が守らないなんてあり得ない。そんな考えが、知らぬ間に自分の首を絞めていたのだと思います。
高校での副部長や大学での局長も、個人より全体の利益を常に考えて動いていたから、部員の自由な声も今思い返すと押し殺してしまっていたと思うし、自分の自由な声なんて、遠い昔にどこかに置いてきてしまっていました。
「自分がどうしたいのか?」
は邪魔でしかなく、
「この場ではなにが最適か?」
の思考だけが鍛えられていきました。
そこにいるのはリーダーとしての自分であって、自分そのものは存在していない。
当時は自覚していませんでしたが、今振り返ると、そんな状況でした。
ただの自分でやり直す
今の私は、ただの自分です。自分そのもの。
組織のためのリーダーでもなく、誰かの声を伝達する係でもない。
そうそう、社会人になって戸惑った原因のひとつに、リーダーをやりすぎたことがあります。全体を俯瞰する立場に慣れすぎて、末端しか見えない平社員が窮屈で仕方なかったんです。
これはもう、居場所選びをミスったとしか言いようがありません。学び。
リーダーという役割でしか世界を見れなかった私は、今ようやく、役割なしで世界を見れるようになってきました。
ただの、ひとりの人間としての私が、なにを感じ、なにを求めているのか。
内側からかすかに聞こえる声に、耳を傾ける練習をしています。
ただのそこらへんにいる人間の人生に興味を持ち、ここまで読んでくださった方がいるのであれば、とてもとてもありがたいです。
私はこんな過去を経て今に至るよ、ということを、誰かひとりにでも知ってもらえたら嬉しいです。
ありがとうございました!
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