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女であることの違和感と、“性別なし”がしっくりきている今【私の話】

私は、生物的にはメスだし、社会的にも女として生きてきました。

でも今は、性別なしがしっくりきている。

今回は、そんな私の性別に対する認識について書こうと思います。



女として生きてきたこれまで


性別に関しての考えが変わったのはここ3年ほどの話で、大学生までは特に意識することなく、女として生きてきました。

幼い頃はなんの認識もなかったかもしれませんが、今思い返すと、当時の私の思考は

・親は私を女の子として育てている
・周囲の大人も私を女の子として見ている
・どうやら男の子ではないみたいだ

→じゃあ自分は女だ

こんな感じだったと思います。


学校では、

女 or 男

の二択しかなかったから、その環境にいるうちはそういうもんとしか思っていなかったというか、男ではないから女として過ごさなきゃ、と思っていたような気がします。


でも、小学生の頃から好みには表れていて、

・ピンクは嫌い、水色が好き(ランドセルも水色が良かったけれど、まだ珍しかったので落ち着いた赤よりのピンクで我慢)

・スカートは絶対履かない、いつもズボン

・ピアノの発表会で渋々スカートを履いたけれど、周りの女の子たちが着ているふわふわでカラフルなワンピースではなく、モノクロや茶色など地味でシンプルなものに限る

といった感じで、女の子らしさからはかけ離れていました。


中学生になったら制服のスカートを履かなければいけないことにも、初めは抵抗がありました(当時はスラックスという選択肢はなかったと思う)。

でも一方で、制服のスカートならいいかな、という気持ちもあったように思います。

今考えると、私服でスカートを履くのはつまり自分の意思で履いていることになるけれど、制服ならば自分の意思と関係なく履かなければいけないものだから、同じスカートを履くという行為でも意味合いが違ったのかもしれません。

それと、女の子らしさへの興味がまったくないわけでもないから、スカートを履けるようになるための挑戦的な意味合いもあったのかな?と。


高校生になる頃にはスカートへの抵抗も減り、私服でも履くようになりました。

まぁこれも、社会的に求められる女性像に合わせようと必死だったのかもしれません


大学生になると、社会的に求められる女性像をより意識するようになりました。

周りには、煌びやかでかわいらしい女性がたくさんいました。おしゃれな服を着て、メイクをし、髪を巻き…若い女性とはこうあるべきだ、という社会が求めているであろう像が存在するように感じました。

実際のところはわかりませんし、そんなもの気にせず自分が着たい服を着ればいいじゃないか、と言う人もいるでしょうが、まったくないとも言い切れないよな、と私は思っています。


デートのときにはスカートを履き、女性らしくお上品な自分にならないと、と思っていました。

たまに女性らしさに振り切る分には、いつもと違う自分になれてそれはそれで楽しかったのですが、元々はピンクより水色が好きなボーイッシュな自分。無性に男の子っぽいカジュアルな恰好をしたくなることが多々ありました。

母とショッピングに行っても、似合うと言われるのはスカートやふんわりした素材だけれど、私の心が動くのはスウェットやデニムでした。でもカジュアルな服装をおしゃれに着こなす術は持っておらず子どもっぽくなってしまうから、なんだかんだ母の言うことを聞いた方が失敗しないし…となっていました。


少し話が逸れますが、アルバイトをしていた飲食店のマニュアルに
「女性は薄くメイクをすること。すっぴんはお客様に失礼です」
というような文言があって、ずっと引っかかっていました。

男性はすっぴんが当たり前で、女性はすっぴんではいけない。

不思議で仕方なかったけれど、当時はその違和感を言葉にできず、ただ守ることしかできませんでした。


女であることへの違和感


違和感を感じたきっかけは、大きくわけるとふたつです。

①女性らしさがしっくりこない
②男女の友情問題


①女性らしさがしっくりこない

先に述べたように、世間的に女の子が好きだとされているものを、ほとんど好きと思えずにいました。

コスメを買い揃えたり、ネイルにこだわったり、髪をふわっと巻いたり…ブランドもののバッグやジュエリーが欲しいとも全然思えなくて。

自分はおかしいのかな、とか、他の子みたいに自分磨きを頑張らないと、とかって思っていた時期もありました。

恋愛においても、ネットで言われているような「女はこうあるべき」みたいなものに納得できずにいました。「告白されるのを待つ」とか、「奢ってもらう」とか、「顔を立てる」とか、なんかいやだなぁと思いつつ、自分の考えを押し通せるほどの確固たるものもなかったから、中途半端に世間の声に流され、自分がどうしたいのかがわからなくなっていました。


②男女の友情問題

永遠のテーマのように言われますが、過去の私にとっても重要で悩ましい問題でした。

私が感じていたことを一言で言うと、
ただ仲良くしたいだけなのに、性別があるせいで友達でいられない
です。

パターンとしては、

・恋愛感情が持ち込まれてしまう
・相手に彼女ができ、関係性が変わってしまう

このふたつになるのかな。


〈恋愛感情が持ち込まれてしまう〉

今でこそ「人として関わりたい」という意思表示をできるようになりましたが、以前はそんなことできず普通に関わっていたので、自分は友達として仲良くしているのに、相手が恋愛的な好意だと勘違いしてしまうとか、友達としてすごく大切だったけれど、恋愛感情を持たれたことでそれまでの関係が続けられなくなってしまうとか、そんなことがたくさんありました。

見方によっては、私が思わせぶりだったのかもしれません。でも、私からしたら、前提が違ったんです。今の関わりの延長線上に、恋愛関係は想定していない。結果として恋愛関係に発展することはあっても、関わり方が別軸というか…

この件は、また別で記事を書こうと思います。


〈相手に彼女ができ、関係性が変わってしまう〉

ここでは、わかりやすく男友達と表現します。

私は性別関係なく、仲良くしたい人と仲良くしているので、比較的男友達が多いのかもしれません。

私は、男友達との関係も尊重してくれる人としかお付き合いしないので、自分の恋人の有無によって男友達との関係性ががらりと変わることはありませんが、男友達の恋人があまり良く思わないのであれば、関係性は変わります。

いくら自分たちの認識が友達同士でも、友達が大事にしたい恋人にいやな思いをさせてまで関係を保つのは違うというか、そこは、恋人の気持ちも大切にしてほしいし、そうできる人だから私は友達でいたいんだよなぁと思ったり。

でも、それと別軸で、気兼ねなく仲良くできていた頃を思い出すと、寂しくもなります。悔しくもなります。

だって、同性なら気にしなくて良かったのに、自分が女だから、大事な友達をひとり失ったような感覚になる。


「異性じゃなかったら」
「自分が女じゃなかったら」
「性別なんてなかったら」

そんなことを、何度も思いました。


性別なしに辿り着いた


これらのことから、女であること、性別というものについて考えるようになりました。

時代的に、LGBTQ+に関する情報が手に入りやすくなり、かつての前提だった女 or 男だけではないことを知りました。女であるという呪いから解放されました。


私が性別なしがしっくりくる理由は

①あなたも私も人じゃん、という気持ち
②男になりたいわけではない
③性別が邪魔

という感じです。


私が常々思っているのが、「女・男である前に人だよね」ということです。

情報として性別があった方が話しやすい側面があることも確かだと思うけれど、私が人と関わるとき、「女だから関わる」「男だから関わる」なんてことはないし、目の前のその人のことを知りたいと思うのであって、そこに性別は関係ない。

だから、私にも「女だから」という理由で関わってほしくない。人として私のことを知りたいと思ってくれている人にとって、私の性別は問題ではないと思うんです。


性別ってなんだ


性別って、なんなんですかね。

最近は、性別って社会に生み出されてるなぁと思って。


どういうことかというと、自分では女であるということを特に意識していなくても、社会的な基準によって意識せざるを得なくなるということです。

例えば私は20代半ばなので、友人たちとの会話にはどうしても結婚・出産が絡んでくる。出産を考えると、30代が近づくにつれ焦りが増していく。子どもを産むことを考えると20代のうちに結婚したい、そのためには恋人を…とか、キャリアを考えるにも結婚・出産という不確定要素があると難しい…とか。

こういう話を聞くと、「あぁ、自分も女なんだった」と思わされます。

まぁこの件に関しては、私は結婚も出産も流れやタイミング次第だと思っているから特別意識しているわけではないのですが、ふと「男性同士だと会話の内容はまったく違うのかもしれない」と想像したりします。

確かなことはわかりませんが、男性には男性の収入の基準があったり、弱音を吐かず普通に仕事をしているように見せないといけない状況があったりするんじゃないか…とか。


どちらが良い悪いではなく違うよねって話で、いくら自分が性別を意識していなくても、外側から意識させられることって多いなぁと思うわけです。


さいごに


性に対する認識について、ここまで詳細に書いたのは初めてだと思います。

私にとって性別のことはすごく大きなテーマで、ここまで自分の気持ちや考えを言語化できるようになって、すごく楽になりました。

それができるようになったのは、これまでにご自身の感覚を話してくれたり、いろんな人がいることを広めてくれた方々あってのこと。自分に近い感覚を持っている方の存在に励まされ、自分は自分でいいと思えるようになってきました。

私の“性別なし”という認識は今後変わっていくかもしれませんが、「今の自分はこう思う」と胸を張って言えることがとても嬉しいです。

読んでくださり、ありがとうございました!



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