感情をシンプルに認識できるようになった
気づけば、父に対する感情がかなりシンプルになった気がする。
リビングで書類と睨めっこしながら苛立っているのは同じ空間にいて不快だし、見ているテレビの話をいちいち共有してくるのは正直めんどくさい。
こんなふうに「不快だ」とか「めんどくさい」と思えている自分に、少し驚いた。
なんなら「めんどくさいな」と言うことができた。
父に対する怒りや嫌悪感に蓋をしていた頃は、同じような状況のときに自分がなにを感じているのか分からなかった。考えたこともなかった。
心地よくないことは確かだけれど、「この状況をどうにかしなきゃ」というような問題解決の方向にばかり意識がいっていた。苛立つ父を落ち着かせたり、母の負担を増やさないことばかり考えていた。
自分のことは考えていなかった。
それに、親に対して不快とかめんどくさいというネガティブな感情を抱いてはいけないと思い込んでいた。
「悪口を言ってはいけません」の延長のような感覚で、「人を、ましてや親を悪く思っちゃいけません」と思っていたのかな。
だから、仮に「めんどくさいな」と思っても、私の中の悪口警察が一斉に駆けつけて取り押さえてしまう。
その結果、なにを感じているか分からなくなった。
この一年くらいで、父に対して押さえ込んできた感情を外に出すことができた。
「そんなふうに思っちゃいけない」なんて思わず、感じたままを自覚できるようになった。
そうして今日、それを伝えることができた。
こんなにシンプルだったなんて。
感じたことをそのまま認識できるって、それだけですごい力を持っているみたいだ。
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