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誰かに優しくなりたい

「あなたと幸せに過ごせる適切な距離はどのくらい?」

私はまだこの問いに答えられない。

「今は唯々あなたが怖い」

そう、私はあのときあなたを必死に避けていた。

だって怖かったもん。自分の脳内でなにが起こっているのか理解できなくて、避けることしかできなかった。

最初は、そんな私を放っておかずに、あなたは遠くから見守ってくれてた。

ひとり机にうずくまっていた私の頭を撫でてくれた。

言葉にできないくらい嬉しかった。

でも、その後もずっとあなたには触れられなかった。あなたとの距離は開いていくばかり。

気づけばなにも信じられなくて、自分がどこにいるかもわからなくなっていた。涙がでるだけ。

あなたもどこか遠くへ行ってしまったし、私はずっと救われない。



今の私はある程度幸せ。つらいことは特にない。

あのときと比べて新しい人脈もあるし、あの人がいなくても生きられる。

私が今、困っていること。

それは他人が苦しんでいるときにどうすればいいのかわからない、ということ。

私って本当につらいときに誰かに優しくされたことがないのかも。

ふと、そう気づいた。

誰かに優しさをもらって嬉しいと感じたなら、それを真似して他人にすればいい。

私が今までにもらったヤサシサ?

わからない。

でも

「苦しい!助けて!」

と言われたときに

「苦しむときはひとりだ、少なくとも私はそうしてきた」

と答えて"しまう"、そんな人間ではありたくない。

んー、わからない。どうすればいいのか。

優しさをもらって、それを他人に対して真似する。

これを優しさの循環と私は呼ぶことにする。

私は他人に"全く"優しさをもらっていないわけではない。

私ひとりに向けられた全力の優しさ!みたいなものをもらったことがないだけ。

だから、これから小さな優しさにひとつひとつ感謝する。

ひとつひとつ意識して、こういうことされたら嬉しい!私も他人にしよう!みたいなノリを増やしていく。

そうすれば、いつか人生のどん底にいる人も助けられるかな…???

ちょっと私、考えすぎかもしれない。

でもいいや。私今、誰かに優しくしたいもん、なんか誰かを助けたい。


優しさの循環…

…循環?

結局、自分が優しくされたいってか。


人によって、なにが苦しいのかは違う。

「あの人の苦しみに比べれば、僕の苦しみは……」

も違う。あなたが苦しいことに変わりはない。

私が言っていることは綺麗事かもしれない。

それでも私はあなたに寄り添いたい。

ずっとみんなと笑っていたい。

あなたと笑ってたい。