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砂の城と記憶

イタリアからBuonasera!

昨日、海外に移住すると親にすぐに会えなくなるって書いたけど、それが結構寂しい。もともとアマイヤは母親っ子であったから、お母さんに会いたくて仕方ない。

私たちは毎日決まってお昼時間(日本時間で夜の8時ごろ)にSkypeコールをするのが習慣だ。毎日話しているにもかかわらず、日に日に母の記憶が心許なくなっていくのがわかる。
確かに母は注意散漫な質で物事を混同しやすい人だ。それでも最近は、さっき食べたものですら思い出せないことがある。

画面の向こうに見える母はいつもにこやかだ。

母は幼少期から苦労を重ねて育ったが、その笑顔からはそれを感じさせるような悲壮感は一切ない。むしろよく笑うので、全く苦労を知らずに育ったかのようにおおらかだ。

母の人生は苦労もあったと思うけど、楽しい記憶もあるだろう。それらの記憶がさらさらと手指から砂のようにこぼれ落ちる。まるで砂の城がいつの間にか波に侵食されていくようだ。全てのものは儚いし、失われていくものだと頭でわかっていても、やはり哀しい。

母は画面ごしに言葉を絞り出す様に話す。

言葉も少し前から出にくくなっているのだ。その言葉が妙に心に染みる。大したことを話しているわけでもないんだけれど。

早く日本に帰りたい。

帰って、イタリアで覚えた本場のイタリア料理の幾つかを食べさせてあげたい。たわいもないことをおしゃべりしたい。
それが、ささやかな、ささやかな、アマイヤの想い。

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