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父に宛てた最後の手紙

イタリアからブォナセーラ!
今日はイタリアでは父の日(La festa del papà)だ。
カトリックにおいて今日(3月19日)は父の日で、これはサント・ジョゼッペの日に由来する。

サント?ってなんぞやという人のために書いておくと、英語ではセイント、聖人のことです。そしてジョゼッペさんとはイエス様の父と考えられている人だそう。

日本の父の日から比べると、だいぶ早いですな。日本の父の日は6月の第3日曜日だからね。
今でも思い出すんだ、3年前の父の日のことを。今日は3年前のあの出来事を書きたい。
とてもプライベートで、そして不思議で、アマイヤにとって大切な出来事のことを。

***

それは6月のある朝から始まった。

アマイヤはその日もチベット体操と瞑想をした後、いつものように朝食を摂っていた。既にニャコモンは職場に出かけていて、それは6月のありふれたなんでもない日のはずだった。

ただ一つ変わったことといえば、その朝に限って、なぜか父のことを思い出し、あふれる感謝の想いと涙が突然流れてきたことだった。

なんだっていうんだ。

自分で戸惑いながらも、でも、この気持ちは父にはきちんと伝えなきゃいけないと感じた。

ふとカレンダーを見ると、父の日のだいたい1週間前だ。

『今から絵葉書を父の日に向けて出せば日本に到着するだろうな』

書架を探し、ローマの教会で買ってあったカラバッジョの絵葉書を見つけると、短く想いを書き留めた。

“お父さんにこの世で出会えてよかったです。ありがとう。感謝”

なんて変な言い回しだ。

『出会う』??
親子において、出会うという言葉を使うなんて、なんだかおかしな表現だ。

ただ、その時は、確かに「この世で出会った」という感覚が非常に強くて、書き直すこともなく、そのまま投函した。

それから数日が経った朝だった。

携帯電話のベルで目が覚めた。その電話の主は東京に住む姉だった。
姉が電話を掛けてくるのは良くない知らせだ。
アマイヤはまどろみから一気に目が覚める。

姉の落ち着いた声が、お父さんが死んだらしい、と告げる。

らしい、ってどういうこと?
どうして?

姉も詳しいことは何も知らず、とりあえず親戚から連絡があったので、今から父の故郷である長野に向かう、とのことだった。

電話を切った後、何をどう表現していいのかわからず、涙さえ出なかった。父の訃報を受けても涙が出ない自分が情けなかった。

ただ、ニャコモンには「父が死んだらしいので、とりあえず日本へ戻るために飛行機のチケットを買わなきゃ」とだけ伝えた。

***

ローマから東京に向かう飛行機の中、父への絵葉書が届かなかったことばかりが思いだされる。親不孝者だった自分と感謝の気持ちさえ伝えられなかった自分の不甲斐なさが身に滲みて涙が出た。
暗闇になった中で、何度も何度も涙を拭った。

東京に着くと、姉は既に長野にいて葬儀の手はずを整えているところだった。時差があるせいもあって、全てが現実から遠のいたことのように見えた。

ただ、非現実のように見えていたものがはっきりしたのは、父の眠っているかのような遺体に対面した時だった。
父の顔はとても静かで安らいでいた。

親戚が集まる中、一人の小柄で初老の女性がいる。

そう、ずいぶん昔に一度会ったことのある父の愛人だった。
愛人と言っても、もう何十年も父のそばにいるので、父にとっては伴侶だったのかもしれない。

一緒に暮らしていたその女性は、一連の月並みな挨拶の後に、あの絵葉書が父の亡くなる数日前に届いていたことを教えてくれた。

嬉しくて涙がこみ上げる。
なんだかくだらないことにずっと拘っていたみたいだけど、アマイヤにとっては大切なことだったからだ。

よかった。
父に届いていたんだ。

たくさんの親不孝をした後悔は今も残る。
けど、最後に少しだけ救われたような気がした。
きっと、父も同じだったと思う。
あまり父親らしい父親じゃない自分を責めていたからね。

みんな不完全で、でも、不器用ながらも一所懸命やってたんだよね、私たち。

父の日は、だから今でも、このことを思い出すんだ。
切なくて、でも、許されたあの日のことをね。
そして思うんだ。お父さんにこの世で会えてよかったなってさ。

***

感傷的な記事になっちゃったけど、ここまで読んでくれた人
みんな、みんな、
ありがとう。

Cioa!
チャオ!

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