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ヤンゴン鉄道乗車の記憶【日本語を話す人に助けられる】ミャンマー1999旅

1999年ミャンマー旅の記憶
当時、全日空が、タイ・バンコク経由のミャンマー・ヤンゴン便を飛ばしていた。ビザが必要だったので、東京のミャンマー大使館で事前に観光ビザを取得して、ミャンマーひとり人旅に出る。
空港は古い感じだったと思うが、明確な記憶がない。写真撮影も規制されていたためか空港の写真も手元にない。軍事政権下でスーチー氏もまだ自宅軟禁されていただろうか、少し怖い印象があり、少し緊張してのミャンマー入国だったと思う。空港からは多分タクシーと交渉して市内中心部へ行ったと思うが、これも明確な記憶がない。
中心部のこぎれいな格安ホテルに宿泊した。停電が頻繁にあり、夜は、街灯もほとんどなく、真っ暗で、とても、怖い印象だった。それでも、恐る恐る夜のヤンゴン中心街を歩いた記憶がある。
少し緊張の夜を、ヤモリが数匹壁に住むホテルの部屋で、ぐっすり眠った。
朝は、爽快だった。ホテルの周りは、とても、こぎれいで安全な雰囲気だった。人々は、とても穏やかで優しく、安心な街であった。前夜、暗くなってからホテルに着いたので、そのせいもあり、怖い街のように感じていたが、当時のヤンゴンは、とても静かで穏やかで良い街だった。
ヤンゴン中央駅まで1キロほどとのことで、少し迷いながら、途中、身振り手振りで道を尋ねながら、中央駅に着くことができた。
一国の首都の中央駅なので、規模的には大きいが、人はあまり居ない感じで、駅舎の前は、舗装もされていない、車も少ない駅だった。
切符売り場がどこなのか、列車に乗れるのか、時刻表はあるのか、よくわからずに、駅前をうろうろしていると、一人のミャンマー人が、日本語で話しかけてくれた。大学生で日本語を勉強しているとのことだった。ほとんど完璧な日本語を話すので、不思議に思い尋ねると、数年前から、ヤンゴン市内の日本語学校で勉強し、その延長で、大学でも日本語を専攻しているとのこと。それにしても、相当な語学力、頭の良さだと思った。
ヤンゴンの鉄道に乗ってみたいが、切符の買い方もわからないと言うと、窓口で切符を買ってくれ、2駅ほど一緒に同行してくれた。女神に思えた。

中央駅切符売り場窓口 手書きの時刻表のようなものもあるがわからない
まったく読めないヤンゴン鉄道の切符 文字数字が独特
ヤンゴン中央駅構内階段を渡り近郊線ホームへ
ホームを降り線路を横断して反対側の列車に乗る
なんか凄いところを歩く。少し危険だが、列車が少ないから大丈夫か
列車内を点検する車掌さん これになんとか乗り込む
乗り込んだのはいいがこれはなかなか 座り方がなんか面白い
ちょっと不審な目で見られる 上着はGジャン下はロンジーのおにいさん
タナカを塗った女の子にも不思議そうに見られる
木製ベンチのような椅子 広々とした感じの車内
タバコかな 車内販売も結構自由でいろいろな物売りがきた
ゆったり座って快適な乗客 ゆっくりと列車は進む
スカートのようなミャンマーの民族衣装ロンジーを着るおじさん
ゆっくり走る車窓 のんびりした人々がいる
ビルマ美人のおねえさん達ものんびり乗車 ヤンゴン列車内

女神さまの手助けで、ヤンゴンの鉄道に乗ることができ、鉄道を利用する
ミャンマーの人々、車窓の様子を見ることができた。ミャンマーの人々の
生活の一端を感じることができ、短い距離だったが、とてもゆっくり、ゆったりのヤンゴンローカル鉄道乗車は、とても貴重な不思議な旅だった。
中央駅から2つくらいの駅で列車を降りた。

どこかの駅で下車した 多分ヤンゴン中心街に近い駅

ヤンゴン中央駅前で、日本語の上手い女神と出会うとは、奇跡的な旅の不思議だった。彼女がいなければ、多分、あの独特な雰囲気のヤンゴンローカル
列車には乗ることはできなかっただろう。女神と旅の奇跡に感謝した。
日本語の上手な女神とは、ここで、お別れ。また会うことができるのか。
短い列車旅だったが、ミャンマーの鉄道の状況とミャンマー人の生活を知ることができ、旅のおもしろさ・不思議さを感じることができた。
旅では、しばしば、奇跡的な出会い・出来事が起こる。これだから、旅はやめられないと思うおじさんであった。

(ミャンマー1999年ヤンゴン鉄道旅の記憶)


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