人生は旅!旅は人生!旅の記憶【バガブンド旅人おじさんのメモ帳】

天戸譲治。バガブンド旅人です。人の一生は放浪旅のようです。世界的疫病禍がきっかけで、n…

人生は旅!旅は人生!旅の記憶【バガブンド旅人おじさんのメモ帳】

天戸譲治。バガブンド旅人です。人の一生は放浪旅のようです。世界的疫病禍がきっかけで、noteに、様々なことをメモしています。感動的だったこと、不思議な出会い、小さな奇跡など、旅の記憶メモします。気がむいたら公開します。極個人的メモ書きですが、何かの参考になれば幸いです。ご解読願い

最近の記事

タイの日本食【バンコクは高いトキオか?!】和の味の記憶

バンコクに着て、10日ほど経過した。 相変わらず蒸し暑いが、バンコク市内を散策している。 観光地などには行かず、無料の寺院巡りや冷房が適度に効いた巨大ショッピングセンター歩きなどで、基本的に「何もしない旅」である。 PC作業も極力控えるようにしていることもあり、目の疲れ、肩の周辺の違和感はほとんどなくなった。何もしない旅の効用かもしれない。 1週間ほどは、ほとんど、タイのB級グルメばかり食べていた。 格安で美味しいので、良いのだが、やはり、日本人である私は、日本の味が恋し

    • バンコク食の記憶【タイのB級グルメ・おいしいフルーツ】

      バンコクに来て3日ほど経った。雨季のタイはお勧めしないと、かつて長期駐在経験のある友人に忠告を受けていたが、確かに、時季的には避ければよかったかもしれない。 雨が多いということではない。雨がないからだ。たまたまだろうか、今、居るバンコクでは、まだ、雨季らしい雨にあっていない。 雨季になったとタイの人は言っているが、雨がほとんどないという印象だ。 雨がないというと、晴れかというと、そうでもない。 晴れなのかもしれないが、雲が空を覆っていることが多い。どんよりとしていて、イギリス

      • 50肩で早期退職【バンコクの一室で痛みを知る】

        「40肩」になり、「50肩」で早期リタイア。「60肩」再発症だろうか。  今、着いたばかりのバンコクのホテルの部屋で、肩の痛みを感じた。 6時間の日本からタイへのフライトは快適だったが、エコノミー・シートにじっとしていたので、体が硬く固まったようにも感じていた。 入国審査手続きや空港からここまでの大渋滞もあってか、少し疲れた。 疲れを感じているが、心地よい旅の疲れだ。 先日、日本に居た時、最先端技術満載の車で、ちょっと遠出をした。 500キロ弱ドライブしたが、いろいろな自

        • ミャンマー鉄道2019♪♪ヤンゴン行きは何番ホーム♪♪20年ぶりの中央駅♪♪くるり♪♪

          朝日が昇り、かなり明るくなって、目が覚めた。 ここは、ミャンマー・ヤンゴン市内のホテル、5階の部屋。 20年前初めてこの国に来てから、3度目のヤンゴン。昨夜、遅く、このホテルに着いたので、まだ少し疲れていた。 早朝、窓の外では、ビルの屋上に設置された拡声器から、何か大きな音がしていた。 音楽のような、何か鳴らしているような、お経のような。。。 多分、近くのお寺の朝の説教だったのだろう。それで、一度、目が覚めてしまったのだが、その後、知らないうちに二度寝していた。 昨夜、遅く

        タイの日本食【バンコクは高いトキオか?!】和の味の記憶

          映画「大鹿村騒動記」の舞台で考える【青いけしはどこに】沸騰か高齢か

          2024年6月、雨の季節が始まる頃、晴れになるとの天気予報を聞いて、 知人に借りたEV車でドライブ旅に出ることにした。 旅の目的地は、南信州の山奥、南アルプスの麓の不思議な村である。 名優・原田芳雄の遺作となった、映画「大鹿村騒動記」の舞台の村である。 EV車のバッテリーが持つのか心配だったが、なんとかなるだろうと、高速道路を現代最先端技術満載の車で走った。 【大鹿村】 私にとっては、不思議な魅力を感じる場所である。 初めて訪れたのは、1980年頃、大学生だった。私は、オー

          映画「大鹿村騒動記」の舞台で考える【青いけしはどこに】沸騰か高齢か

          危機世界遺産🏛世界最古摩天楼🏢

          世界最古の摩天楼都市イエメン🏛サナア旧市街は今どうなっているだろうか 2002年旅の記憶 2024年某日にメモする 世界最古の摩天楼都市と言われた城壁に囲まれたサナア旧市街は、世界遺産であったが、2015年、危機遺産に指定されたと聞いた。 イエメンは、何度となく国内で争いがあり、大きな水害もあったと聞く。 長い歴史の中で、繁栄したり、近隣や国内で争いがあったりしたが、最古の摩天楼都市は、その地に建設され、何度も修復を繰り返し、そこに多くの人が生きてきた。歴史ある魅力的街だ

          【ラマダンのイエメン】誘拐監禁事件!発生?!?【最高の時を味わう】 

          2002年11月、太陽がほとんど山に隠れ、薄暗くなったサナア新市街にある雑貨食料店にいた。レストランが見つからなかったので、やむを得ず、何か買ってホテルで食べようと考えていた。 雑貨店に入ると、食料品、飲料品、生野菜、果物、生活雑貨などたくさん、所狭しとものがならんでいた。 店員は、数名いるようだったが、特に、話しかけるでもなく、無表情で、少し疲れたような、冷たくも感じるくらいだった。日中にいた旧市街の賑やかさと人々の明るさ・優しさがあったので、そう感じたのかもしれない。 店

          【ラマダンのイエメン】誘拐監禁事件!発生?!?【最高の時を味わう】 

          ウズベキスタン2002旅サマルカンド💎ブルー💎青の記憶💎💎💎💎💎

          2024年5月、なぜか、ふと「サマルカンド」という地名が思い出され、 ウズベキスタンに行きたくなった。ウズベキスタンには、2002年旅した記憶がある。とても良いイメージが残っている国、旅の記憶がある。 ウズベキスタンと言えば、古都サマルカンド。サマルカンドと言えば、「サマルカンド・ブルー」、その「青」が、第一に思い出される。 モスクの青色系の装飾モザイクや青く澄み切った空などから「青の都」と呼ばれ、サマルカンドブルーのイメージが、旅人の旅心をかきたてる。 サマルカンドの「青

          ウズベキスタン2002旅サマルカンド💎ブルー💎青の記憶💎💎💎💎💎

          【キューバ2000夏】ダイキリと一皿のポテトチップス【ヘミングウェイゆかりの場所】7月2日

          2000年7月キューバ旅の記憶 ハバナに着いて2日目。初日は、ハバナ近郊の漁村コヒマルに行った。 ヘミングウェイ「老人と海」の老漁師のモデルとなったグレゴリオ・フエンテス氏の家を訪れたが、お休み中で、直接お会いすることはできなかった。 その代わりというか、ヘミングウェイとグレゴリオ氏の行きつけのレストラン・バーの壁にあるグレゴリオ氏の写真と同じ構図の写真となる、魚を手に持ってコヒマルの歩道を歩く老漁師と出会った。 コヒマルは、ヘミングウェイ所有の船「ピラール号」が出入りして、

          【キューバ2000夏】ダイキリと一皿のポテトチップス【ヘミングウェイゆかりの場所】7月2日

          【幸福のアラビア】イエメン2002旅【世界最古の摩天楼】あの天才少年は今どうしているだろう

          2002年イエメン旅の記憶 2002年11月、私は、アラビア半島南端のイエメンを旅していた。 現代では、アラビアの最貧国、長く内戦で混乱している等のマイナスイメージが強いイエメンであるが、かつて、古代ギリシャ・ローマ時代には、「幸福のアラビア」と言われたほど、人や物の交流・交易で繁栄した。その繁栄の中心であった「世界最古の摩天楼都市」サナア旧市街に、私はいた。 城壁都市であるサナア旧市街入口「イエメン門」前は、多くの人であふれていた。イエメン門を入ると商店が並びさらに多く

          【幸福のアラビア】イエメン2002旅【世界最古の摩天楼】あの天才少年は今どうしているだろう

          【プライスレス】ブルー💎サファイア【真の価値は】石の価格はおいくら万円【旅の注意事項】宝石か原石か石ころか

          💎2024年5月💎今頃、友人の旅人マルコ氏は、どのあたりを放浪しているだろうか💎💎💎 最近、音沙汰がないので、どうしているのか気になるとともに、1年程前のブルーサファイア事件のことを思い出した。 2023年、マルコ氏は、南アジアから東南アジアを旅していた。 まさに、マルコ放浪だ。旅の途中、時々、各地から、メール連絡が来た。 忘れた頃に、日本に戻ったとのメールが入った。そこには、1年近くの放浪の中で、いろいろと面白い出来事、出会いがあったと書かれていた。 久しぶりに基本的ミスを

          【プライスレス】ブルー💎サファイア【真の価値は】石の価格はおいくら万円【旅の注意事項】宝石か原石か石ころか

          【最も感動した】皆既日食2009杭州駅前【自然の神秘】感激!鳥肌

          世界的疫病禍で旅に出ることができず、過去の旅をいろいろと振り返ってみて、一番感動した出来事は、中国杭州での皆既日食だったと結論が出た。 50数年の国内外100カ国の旅の中で、素晴らしい風景、不思議な出来事、奇跡的な出会い、素敵な人々、珍しい事象、美味しいもの、等々、いろいろと感動することがあった。 必ずしも良いことばかりでなく、身の危険や経済的損失につながる事件なども含めて、旅での出来事は、感動する、後々までも強く印象に残るものが多くあり、不思議なことが身に降り注いでくるかの

          【最も感動した】皆既日食2009杭州駅前【自然の神秘】感激!鳥肌

          ヤンゴン鉄道乗車の記憶【日本語を話す人に助けられる】ミャンマー1999旅

          1999年ミャンマー旅の記憶 当時、全日空が、タイ・バンコク経由のミャンマー・ヤンゴン便を飛ばしていた。ビザが必要だったので、東京のミャンマー大使館で事前に観光ビザを取得して、ミャンマーひとり人旅に出る。 空港は古い感じだったと思うが、明確な記憶がない。写真撮影も規制されていたためか空港の写真も手元にない。軍事政権下でスーチー氏もまだ自宅軟禁されていただろうか、少し怖い印象があり、少し緊張してのミャンマー入国だったと思う。空港からは多分タクシーと交渉して市内中心部へ行ったと思

          ヤンゴン鉄道乗車の記憶【日本語を話す人に助けられる】ミャンマー1999旅

          【ヘミングウェイ老人と海】1枚の写真の奇跡【キューバ2000旅】

          2000年夏キューバ旅の記憶 2000年7月。アメリカからメキシコ経由でキューバひとり旅に出た。 その頃、キューバ音楽を紹介するドキュメンタリー映画がヒットして、世界的に「キューバ・ブーム」のようなものがあった。 映画のヒットに伴い「チャンチャン」などの名曲も世界中に広まった。 ひとり旅おじさんにとっては、キューバと言えば、カストロ、ゲバラ、ヘミングウェイというなんとなく男っぽい戦闘服っぽいイメージがあった。 アメリカと断交して長いキューバへは、直に行けず、メキシコなどから入

          【ヘミングウェイ老人と海】1枚の写真の奇跡【キューバ2000旅】