笑ってしまった笑えない話「ほぉ~」
某国東北地方の某県で、「笑う条例」なるものが制定されたそうな。
テレビ・ニュースで、笑い、いや、話題になっているとやっていた。
「某県民は、一日一回、笑いなさい」との法令制定だ。
笑うと死亡率が低下する等の健康面の効用があるらしい。
それは、良いことだ。
笑うことは良いことだろうが、それを法令で定めることだろうか。
制定理由説明も少し筋が違っていておかしく思えた。
笑うというのは、経済環境も良く、社会環境も良く、そういう中で、その人が幸せを感じ、自然と表に出てくるもので、法令で強制されるものではないのではないだろうか。
仮に強制されるようなことがあっても、それは、ひきつった笑いだ。
そもそも、テレビ画面にうつる、笑う条例に賛成の理由を述べる某与党県議の顔が笑っていなかった。
それを見て、おかしさから苦笑するとともに、なにか異様なものも感じた。
笑っていないので不健康なのかもしれない。
あまり表情を表に出さないその地方の地域性もあるというような解説もあった。笑えない地域なのだろうか。笑えない暗い人ばかりなのだろうか。
救いは、お笑い条例制定に反対する議員さんが、温和で知的な感じの笑顔が素敵な人物であったことだ。
真に必要なのは、笑うことを強制するような法令を定めるのではなく、自然と笑うことができる、笑顔の人が多くなるような施策をするべきという法令を作ることなのではないだろうか。
笑いにも、冷笑、苦笑、微笑、ばか笑い、などいろいろある。
幸福感を伴った健康的な笑いが良い笑いで、そういう笑いが多くある人、そういう人が多くいる地域になることを期待したい。
「笑う条例」を制定したので、今後、具体的にこの条例の趣旨に沿った具体的な施策が実施されるだろう、多分。どのようなことが出てくるのか、どんな笑いを生み出してくれるのか楽しみだが、心配な気もする。
笑いを誘う具体的な施策が失笑や苦笑にならないことを、他人事ながら心配というか、素晴らしい笑いにつながる関係施策を立案実施する担当者は大変だろうなと思う。
「笑う条例制定」という笑いのもとを提供していただいたのを良しとして、笑いとばすぐらいがいいのかもしれない。
思わず笑ってしまったが、笑えないことが隠れているような、お笑い、いや、失礼、御話題だった。