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「神々が愛する者は若くして死ぬ」~アマデウスのレクイエム~

ドイツに留学した時、学生用メールアカウントのIDに設定したのが“AMADEUS”だった。

苗字と音がアマd...まで一致していて語呂がよく、覚えやすいかなと。

「社会人」になってからもAmadeusというのは便利な変名で、SNSのアカウント名や、サバゲーチームのコードネームに使ったりしている。
なんならこのnoteのアカウント名も「Amadeus」である。

「神に愛された者(アマデウス)」と呼ばれた男ヴォルフガング・モーツァルトが永の眠りについたのは2世紀以上昔のまさに今夜、1791年12月5日のことだった。

享年35歳。
「神々が愛する者は若くして死ぬ」というギリシャ・ローマの格言にこれほど符合するかと驚かされる、若すぎる旅立ち。

同じ「Amadeus」を(勝手に)名乗る者として、命日に彼自身の「遺作」となった「レクイエム」を、味わってみよう。

大学学部二年の冬、演劇を辞めて直後にクラシックに凝った時期があって、その時まとめ買いしたアーノンクール指揮のCDがあった。
せっかくなので背伸びして、市販の楽譜を見ながら。

もともと頭でっかちなこともあって、楽譜という「テキスト」が目の前にあって初めて分かることが多い。
音の織り目の滑らかさというか、各パートがきれいに縫い込まれている巧みさ。
それでいて機械的な硬さやパズルゲームのような冷たさではなく、生き生きと踊る感じというか。

CDを聞き終えた後は、古い映画だけれど『アマデウス(1984年)』を視た。
想像していたよりもエンターテイメント性が高く、かつテーマが一貫していて、見やすいながらも歯応えのある、「腹持ちのいい」名作だ。

「introitus(入祭唱)」「kyrie eleison(キリエ)」「dies irae(怒りの日)」「confutatus maledictis(呪われた者は恥じ入り)」など、僕の好きな曲がすごく効果的に使われていてぞくぞくする。
ある意味ではこの映画のストーリー自体が、語り手サリエリからアマデウスへのレクイエムだ、という穿った見方も出来るかもしれない。

「呪われた者は恥じ入り」については、死の床のアマデウスがサリエリに口述筆記するシーン、神童が頭の中の「曲」をパート毎に解きほぐし歌うのを書き取る場面が印象的だ。
書き取る途中で分からなくなりながら、全パートを写し取り一覧した瞬間、「凡庸な秀才」サリエリにも「天才」アマデウスの頭の中に降りてきた「神の音」が響く名シーン。

しかしその奇跡のような瞬間の裏で、「死」は容赦なく駆け上ってくる。
それは「呪われた者は恥じ入り」という曲自体の構造、弦楽奏の疾走するアルペジオに牽かれて突き進む男声と、柔和に緩やかに包み込む雲間の光のような女声の切り替えと対比にも対応していて、美しくもおどろおどろしい。
手垢にまみれた表現だが、「デモーニッシュ」だ。

モーツァルトについてはいろいろな人がいろいろな本を書いているけれど、個人的には岡田暁生『恋愛哲学者モーツァルト』(新潮選書 2008)が刺激的だった。
モーツァルトのオペラを「恋愛」というテーマで考察しており、文化史上の位置付けの仕方が絶妙。

以前オペラをやらないか誘ってもらったことがあって、いい機会が巡ってきたらきっと「ドン・ジョヴァンニ」を演じてみたい。
「神に愛された者=アマデウス」として。

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