労働と賭博/奴隷と支配/「ツンデレ」/愛し憎し(ドストエフスキー『賭博者』)

『賭博者』は今の僕にとって、ひどくちょうどいい作品だった。

ドストエフスキーを最後に読んだのは、二十代の前半だったろうか。
正直なところ、出会いが早すぎた。高校2年か3年で、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』にドストエフスキーが取り上げられていたことで興味を持ち、タイトルが一番カッコよかった『悪霊』を読んだ。面白かったは面白かったが、あの複雑な人間模様は十代のガキには理解しづらい部分もあり、大学1年で読んだ『罪と罰』のほうが取っ付きやすかった。
その後黒澤明にハマって、彼が映画化した『白痴』を読み、代表作とよく言われる『カラマーゾフの兄弟』も読んだ。

どの作品も楽しんだのだが、「よくわからない」という感覚はやはり残った。一作一作が長いこともあるが、やはり登場人物の心理、長い人生の中何度も挫折しねじ曲がりながらも、真っ直ぐに戻ろうともがき、そして祈る感じが、二十をやっと越えたばかりの世間知らずにはおとぎ話に見えたのだろう。

今なら、「読める」気がしている。

三十を越え、挫折の連続で性格も根性もひん曲がった今だからこそ、やっと「読める」んじゃないか。
そんな期待を持って、ドストエフスキーを読み直したい。ただし、読んだことがない作品を。

ターゲットは、『賭博者』と『死の家の記録』。
とりあえず比較的短く取っつきやすそうだった、『賭博者』から読んではみたのだが…

面白かった!
ひどくハマってしまって、この一週間で三周くらい読み直している。

「ちょうどよかった」、というのはある。
「名作」度(?)とか、「ドストエフスキー節」(??)という点では、正直カラマーゾフとか悪霊とかの大長編のほうに軍配が上がるけれど、あちらはなんと言っても恐ろしく長い。良くも悪くも腹持ちが良くて、消化するのが結構大変だったりする。

『賭博者』はどこか「語りたいエネルギー」に任せてひたすら書きなぐったようなところがあって(事実、作家が速記者 (後に二人目の妻になる)を雇って完成させた最初の作品だ)、その「語り」の勢いをサーフィンのように乗りこなす感覚が楽しかったりする。

そういう「読み」を楽しんでいるので、テーマについて語ろうとすると意外と整理しづらくて困ってしまうのだが、こんな感じだろうか。

労働と賭博


-主人公「私」が「ロシア式のめちゃくちゃ」と「誠実な勤労によるドイツ式蓄財法」を対比して語る部分、そしてなにより、賭博にどんどんのめり込んでいく「私」の様子


奴隷と支配

-みずから進んで「奴隷」になりながら、実はポーリャを支配している「私」


「ツンデレ」、愛し憎し

-エゴイストでプライドの高いポーリャの愛はいわゆる「ツンデレ」で、愛しながらいつも憎んでいるような裏腹さがある…

明後日僕は、以前もやった「わいるど死亡遊戯」を主催することになる。
自分も「賭博者」になれば、この作品の読みももっと深まるだろうか…?

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