ムスメ小学一年生、私たちは学校をやめることにした②

行ってみたけどあんまし面白くなかったんで、学校やめたわけだが(ムスメ小学一年生、私たちは学校をやめることにした参照)、いいなと思っていたスクールが遠すぎて、ホームスクーリングという道を選ぶことにした。

しかしホームスクーリングと言っても、どうしたもんだか。選んどいて「どうしたもんだか」って、どうなってんだ私。
とりあえずそのスクールのまねをして、二人で朝ミーティングをして今日やることを話し合い、それをもとに行動することにした。
ある日の予定は
①トランプ
②パズル大会
③ボードゲーム
だったが、②まで行って絵本が読みたくなり、読んでいたら物語に出てきたお餅が食べたくなり、お餅は時間がかかるので五平餅を作ることにし、作ってみたらご飯が軟らかくってボロボロになったけど美味しくて、ご飯茶碗三杯分はあろうかという量の五平餅を二本たいらげ、ご機嫌でプレーパークへと出かけていったのだった。

全然ミーティングの内容、関係なし!
ミーティング意味なし!
でもまあ、それはそれでよし!!
これを話し合うことに意義があるのだ。

他に我が家に持ち込まれたそのスクールのルールは、「パソコンは一人一日40分」というのがあり、厳密にキッチンタイマーによって管理されるのであった。

子どもが一年生だと、まだ一人で留守番できず、買い物やちょっとした用事やお出かけなどは、ほぼ一緒に行動することになる。なので初めは、そんな生活に息が詰まるんじゃないかと心配していた。

その他にも、ホームスクーラーとなる前は
「大丈夫かしら? やっていけるのだろうか…?」
と不安に思うところもあったりしたはずなのに、すぐに何を不安に思っていたのか思い出せないほど、
「ウフフ~、アハハハ~。なんでもない日常も、二人の方が楽しい…、って恋人かよ!」
と自分に突っ込むくらいの、で平和で穏やかな、いい感じの生活となった。 
まあそれもプレーパークが家の近くにあるおかげかもしれない。
知ってらした、奥様?プレーパーク。
「自分の責任で自由に遊ぶ」がモットーの、禁止事項をなるべく無くした野外の自由な遊び場で、そこにある道具や自然素材なんかを使って、子どもたち自身が好きなように遊びを作り出せる所ですのよ~。
おイギリスやおドイツには何百か所もあるんですって、オホホ~。

遊んでくれるお兄さんやお姉さんがいるわけではなく、そこいるのは遊びを見守る、誰のお母さんか分からないママたちや、得体のしれないおじさん?お兄さん?が数名。公園の真ん中で火を焚き、その周りで何か食ってる。
子どもたちは公園なのにゲームやったり、ベンチに寝転んでマンガ読んだり、かと思えば秘密基地作ろうぜー!と盛り上がってたり、何故だか全身泥まみれだったりする。キミタチどうやって帰るつもりか。

こう書くとものすごく怪しい感じだが、誰でも無料で遊べて、そこに行けば二人で行っても別々に居られて、自由に過ごせる空気で満ち溢れている。
開園していればたいてい行っているので、一日中ずっと二人だけという日は案外少ないという、ホームスクーリングをするには、条件に恵まれている地域だったのだ。

学校に行っている間の毎日は、だいたい3時に帰宅し、やれ洗い物を出せだの宿題終わったかだの早くランドセル片付けろだの、やいやい言われて、おやつもそこそこに、外遊びに行ったらもう一時間もしないうちに5時で帰んなくちゃいけなくて、帰ったら帰ったで早く片付けなさい、いい加減お風呂入ってってば、モーいつまで風呂で遊んでんの早く出てよ、食事中に踊らなくていいからご飯食べなよ、モーお母さん洗ってんだから早く茶碗持って来て、お父さんおかえりー今日ねー、早く歯ブラシ持ってらっしゃーいトイレはー?もう寝るよー!って、書いてるだけで息切れするわ!!!!

…ふー。

とまぁ、こういう感じの、「早く!早く!早く!」の毎日だったのだ。
考えてみれば、家での時間は、学校で疲れた体や神経を回復するだけの時間でしかなかったんだなと思う。
いや、それどころか家は学校の下請けみたいなもんだった。

宿題をやらせ、持ち物を用意させ、時には理不尽なことも飲み込ませて、また明日送り出す。追い立てないようにとすごく気を付けていたけれど、行くからには楽しく時間を過ごしてほしいと思うと、肩身の狭い思いをしなくていいように、ついつい余計な干渉をしてしまっていた。

これらから解放されただけでも、ほんっっとに幸せなのである。

ミルコがもっと小さい頃、子育て学習会で「子どもに命令しない・評価しない・誘導しない・選別しない」ことが大事だと教えられた。その時は肝に銘じたはずなのに、小学校には行ってから全然できなくなっていたのが、自分でも苦しかったのだ。あー、この解・放・感!

たぶん学校に行っている子のほとんどの保護者は、上手にバランスをとってやっていらっしゃるのだろうが、私には難易度が高かった。
これが上手にできるようになる前に、学校という道から降りたので、もう少し続ければできるようになったのかもしれないが、おたんこナスには定評のある私だ。まあ多分難しかったであろう。

その代わりと言っては何だが、学校をやめてからのミルコは傍から見ていて、彼女は彼女のペースでやりたいことをやりたいようにやり、今この時しかないこの瞬間を、全身で生きているのだということが実感できる。それがただボーっとしているだけでもだ。

子どもなんてすぐ大きくなっちゃうからさ、今この時しかないこの瞬間を、全身で生きているんだろうなぁと噛みしめちゃうわけなのだ。それがまあ何だかひどく尊くて、
「あー、今カミサマに見守られてるな~」
という気分になったりして、母はそっと涙を拭いたりしているのだった。

(続く)


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