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通知表ってほんとうに必要なの?

  通知表、ほしい人だけもらえばよくない?
 ま、少なくとも我が家は全くいらんわけだが、それは我が子ミルコが中学に入って一度も教室に入ったことが無く、授業を受けたことも無いせいなので、そんな風に思う人は少ないかもしれないけど。

 小学校の時は、通知表はずっと「評価せず」と書いて下さっていた。
 なので中学校でもそれでけっこうですと入学時に伝え、担任が変わるたびに伝え、それでも毎学期の通知表を付ける前になると
「どうしましょうか」
と聞いてくる先生もいて、
「いつも通り『評価せず』でけっこうですよ」
とお伝えしていたのだが、その先生は毎回通知表を取りに行くと
「『評価せず』の通知表とオール1の通知表を両方用意しましたけど、どちらになさいますか」
と聞いてきて、
「人の話、聞いてたかな?」
と思わせてくれたものだが、あれには何か深いわけがあったのだろうか、それともほんのりした嫌がらせだったのだろうか何か湿ったべっとりしたものを貼り付けたような通知表だと感じていたが気のせいだったろうか。
 たかが通知表やお知らせを取りに行くだけだったのに、あの年度くらい学校に行くのが嫌だった年はなかったが、まあいい終わったことだ。
 

 というわけで「我が家に通知表はいらないな」と思ってみると、「いや待て、すべての子に通知表ってホントにいるのか?」と考えついた。
 ほしい人はもらえばいいと思う。だが頼んでもいないのに何月何日になったからと言って、いきなり知りあいから
「天棚さんってさ~、計算全然できないよね。小学生以下ってとこだよね。レベル1くらい? 国語はまあできる方かな、レベル3ね。はい、頑張りました。英語ヤバいよね、Ⅰplay tennis で終わってる、ていうかテニスって書ける? もちろん1ね。」
と言われるようなもんじゃないか? 実際はTennisって書こうとして
「テニスの綴りって、tenis…? なんか違う。違うことだけは分かるが分からん」
とインターネットを立ち上げた次第で、1以下だから、ああ大人になって良かったとか思うわけだが、大人なら頼んでもいない人に評価されたら、それは失礼なのである。
 それをなんで子どもにやってみんな平然としているのか、それはいいのか。ダメなんじゃないのか。
 
 文科省の規定にも、「児童生徒の学習状況について保護者に対して伝えるもの」であって「法令上の規定や、様式に関して国として例示したものはない」と書かれてるんだから、伝える方法は他にいくらでもあるよね。
 実際通知表のない学校だってあるんだし。評価するなら、先生がたは通知表を何のためにつくるのか、自分の言葉も添えてほしいところだ。
「これが当たり前だから」
「今までやってきたんだから」
って自分の仕事の意味も分からないまま、子どもに失礼なことを、相手を傷つける可能性のあるものをやり続けているなら、それってどうなんだろう。
 
 とはいえ私も気が付いたのは最近だしな~。先生たちもそういうこと、気楽に気軽に相談したり話し合える仲間がいるといいよね!

 

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