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Maturity

こんにちは、あめです

幼いころから『子供っぽくない』と言われて続けて大きくなった。おとなしく、手がかからないという意味でポジティブな意味づけを与えられることもあったが、『かわいくない』『変に達観していて怖い』という解釈も、今ならできる。

話し方が大きく影響していたと思う。ニュースを見るのが好きだった、というよりも祖母の影響でほとんどNHKばかり見ていたので、小さなころから丁寧な話し方は自然に身についていた。おまけに親は目上の人に対する話し方については特に厳しく、話し方をよく直された。『年上の人にはため口で話してはいけない』と何度注意を受けたかわからない。
その影響から、小学1年生から先生に対しては敬語を使っていた。クラスメイトからは『大人みたいな話し方をする』と遠巻きに見られた。

大人に甘えるのも苦手だった。親に対してさえスキンシップを拒んだ。手をつないだり、抱っこしてもらうのは、自分の無力さを誇示されているようで嫌だったのだ。小さい頃は家庭環境があまり良くなかったこともあり、早くから自立を強いられた背景も影響しているだろう。一時期は、家族のだれもが私の面倒を見られない状況に陥り、短い期間ながら、知り合いの家を転々としていたこともあった。保育園年長、5歳の頃だった。居候先で面倒をかけないよう、騒がず、年相応よりもずっと上の振る舞いを心がけていなくてはいけなかった。5歳ながら、よその家に住まわせてもらっている身として、お荷物になってはいけないという気持ちが根底にあったのだ。

私のmaturity、つまり「大人っぽさ」は抑圧された環境の中で育った有害なものなのだろうか。おそらく精神学的にはそうなのだろう。親のもとを離れ、住処を転々としないといけないなんて、とても褒められるような環境ではない。『手のかからないいい子』であるには周りの空気を常に読まないといけなかったし、大人たちの顔色も常にチェックしていた。今でもその癖は抜けない。

しかし、これも自分の人格形成の過程の一部だとして、最近は割り切って考えられるようになっている。大人になり、世の中には自分一人でできないことのほうが多いということに気づき、人に頼ることも覚えた。今では周りの人たちに頼ってばかりいるし。(それもそれで問題だが….) 
今も顔色を気にしてしまう癖はぬけないが、自分の意見も言えるようになってきている。

最近もまた、態度や考え方が"Mature"であると言ってもらえることがあり、ふと思い出して書いた。悲しい過去も、もしかしたら有害なのかもしれないこの性質も、まぎれもない自分自身の一部なのだから、大事に抱きしめて生きていきたい。




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