見出し画像

Gender as a Process

こんにちは、あめです。
私は大学院で、ジェンダーについて研究している。具体的には、レイプ被害者がネット上で受ける誹謗中傷と、『レイプカルチャー』(性犯罪を『生活の中で身近に起こること』だと看過し、被害を矮小化する考え方)の関連性についての修士論文を執筆している。

ジェンダーの研究は大変興味深いが、同時に暗い気持ちになることも多い。2017年に山口敬之氏からの性被害を告発した伊藤詩織さんのケースを使っているのだが、Twitterを使ってリサーチすると、罵詈雑言の嵐。それらを見ているだけで気がめいってしまう。それでも、それらは重要な研究材料だ。一つ一つ解析して、共通点を分析し、『ネットユーザーが加害者ではなく被害者を叩いている』構造の社会的要因について調査を進めている。

大学2年の必修の授業でジェンダーに関する授業を受けてから、ジェンダー不平等に対する問題意識は頭の中にずっと鎮座している。生まれた時の性別、そのたった1つの要因でなぜ社会的不正義がまかり通ってしまうのか、なぜ女性は暴力の被害にあっても泣き寝入りを強いられてしまうのか、ずっと自分と社会に問いかけ続けている。修論はその思いを形にし、発信する手段だと位置づけている

今日も文献を読んでいる中で、"Gendering"という言葉にまた出会った。
この言葉は大学院の授業でも何度も出てきた概念なので、馴染みがある。"Gender"という言葉は、そもそも『社会的に構築された性別』という意味を持つ。ここでは、"Gendering"と動詞にすることで、Genderは生まれ持って規定されるのではなく、社会生活を営む中で、他社とのかかわりや声掛けといった過程の中で『身に着けていく』という考えを示している。つまり『女の子は○○するべき』『男の子は○○するべき』といった行動規範を、人は社会に適合する中で身に着けているのだ。
例えば女の子が、小さなうちから『女の子だから騒がないの』と言われ続けていると、『女の子は静かで、おとなしくあるべき』という考えが定着してしまう。逆もあり得る。男の子が『男の子なんだから泣かないの』と言われ続けていると、『男の子は強くて、涙なんか見せてはいけない』という考えが固定化してしまう。

今回読んだ文献の中で印象的だったのは、"Gendering"の逆、"Ungendering"という考え方も存在していることだった。性別と行動規範を切り離す取り組みのことを指す。
再度『女の子だから騒がないの』の例を使おう。この言説の裏には、『女の子=騒がない。静か』といったジェンダーに基づく行動規定が内面化されている。ジェンダーと行動規範を切り離した、"Ungendering"の例を出してみよう。『ここはみんなが静かに待っている場所だから、大声出さないでね』などは、いい例だと思う。行動と性別と結び付けるのでなく、行動を制限し、その理由を代わりに提示しているから。

Ungenderingを実践するには勇気が伴う。社会生活を営む中で、私たちは自然とGenderingされている。自身が思うジェンダー観から逸脱した行動をする人を見ると、違和感を感じてしまうのは自然な反応だ。例えば、スコットランドでは『キルト』と呼ばれる伝統衣装があるのだが、一見男性がタータンチェックのスカートを履いているように見える。

スコットランドの伝統衣装、キルトを着た男性

正直なところを言うと、最初、私はちょっとギョッとしてしまった。
『男性(年配の方が多い)がスカート!?』といった感じである。そのリアクションの理由は、『スカート(のような服)=女性が着るもの』といった、日本社会で生きる中で培われたジェンダー観に他ならない。

このように、自分のジェンダー観を再度見直すことは、多様な考えを受け入れることにつながる。"gendering"という社会的プロセスは国や地域によって大きく異なり、自分が慣れ親しんだ考えから逸脱するケースを見ると驚いたり、時には嫌悪感を抱いてしまうことさえあるだろう。しかし、自分の育った文化を絶対視するのではなく、必要に応じて自身の考えを見直し、柔軟に対応できるマインドを持ちたいと思う。

日本ではフェミニスト、というとなんだか攻撃的で厳しいイメージがついて回るが、ジェンダーの話題は原来、とっても興味深く、楽しいものだ。なぜなら、ジェンダーは人間にとって大変身近な話題であり、ほとんど全員が何かしらの形で議論に参加することができるから。少しずつその楽しさをを発信できるように、これからも記事を書いていきたい。

それでは!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?