好きなものを好きということ
自分にとって常識なことがよその人にとっての非常識ということは、よくある。私など、多々ある。
好きなものは好きだし、そこに理由なんかはない。(後付けはできたとしても)
あれが好きだ、これが好きだ、ということに、ためらいなど、ない。
中学時代はまだまんべんなくやれていたが、高校になるともう好きではない教科には一切力を注げなくなった。
妥協をするな、と高校時代の担任に言われた。
これは好き、あれが好き、の始まり。
それからもずっとそうしてきた。
これがやりたい、あれがやりたい。
忖度?建前?はぁ???自分の辞書に、ない。
質が悪いのが、周りもそうだと思いこんできたことだ。
みんな好き勝手やっていると。
大人になって、羨ましがられることは増え、ただ、なぜ羨ましがられるのかは正直わかっていなかった。
家族ができて、それでも好き勝手やっていて、
子が保育園時代にも、保育士の担任の先生から
ここ(我が家)は別だから、この家庭は別だから、参考にしようとするとつらくなっちゃう人もいるかもしれないけれど、面白いから聞いてねーと我が家のエピソードトークが披露される、なんてことは複数回あった。
変わってる、面白い、変。それらはすべて褒め言葉なので、ありがたく受け取りながら、大してうちって変なの?なんて、考えることもなかった。
好きなものは好きという。
やりたいことはやりたいと言う。
やりたくないことはやりたくないと言う。
それに関しては自分にも子どもにも一貫して。
とても当たり前に思ってきたし、それを言うことが難しいという人がいるということに、考えが及ばなかった。
私はこれが好きですと言えない???
会も自分もがっつり伴走してもらっている方のブログに
Mattさんのことが書かれていて
Mattさんと私との大きな違いは、
好きなものを好きって言えない人や、やりたいことがやれない人が大勢いることに、しっかり気付いてらっしゃること。
私はそこは全然わかってなかった。
何が羨ましがられるのか?
好きなことを好きと言い、やりたいことをやりたいようにやってるからだったんだ、、、!衝撃。
なんだかとても腑に落ちた45歳の新年です。
これからも、自分の好きなことをして、やりたいことを目一杯やって生きていく。
でも、好きなことが言えない人ややりたいことがやりたいと言えない人の気持ちもほんの少し、理解しようと努力し、そういう人だっていることは頭の片隅に置いておく。
とても自分勝手な生き方だろう。
わがままだと思う人もいるのだろう。
けれども、好きなものを好きだと言い、やりたいことをやる人生も〜もちろん周りの協力あってこそ、周囲には感謝でいっぱいだけれど〜いいものだということは、やはり変わらずにそうありたいと思っています。というか、その生き方しかできないのでね。
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