仕事の平等感とそれがゆえのつまずき

小児医療の普及啓発活動と、地域活動と、家業。
この掛け持ち人生に迷いがなくなったことは、以前に書きました。

どれも楽しい。どれもやりたい。いつでも目の前のことに同じだけの力を注ぐ。

私には仕事の区別がない。優劣が全然、ない。

それは、良い悪いじゃなくて仕事に優劣をつけないというところが自分にはすごくある。

だからいつも目の前のことに夢中になれるんだ、とそこは私の特性としてあるなって思っています。

そんな仕事の区別にも、会のメンバーでもあるこちらの方にこんなメッセージをもらいました。


阿真さんは、いろんな仕事を経験して、いろんな立場を経験して

そうやって「多様性を」実地体験で知っていく人ですよね

できる・できない、の人の能力・優劣の差の判断がある人もいる

それしかできない人はそれだけを仕事として与えればいいという采配ができる人

仕事も「この範囲が仕事、これができればタスク達成」みたいな価値見積もりがある


阿真さんは、多様性を信じている人だから

その人にはその人なりの仕事のやり方・楽しみの見出し方・その人がやる価値があってそこに優劣はない

って思う

だから、できる・できない能力差があっても、やりたいならやらせてみる無茶な采配をする人

どんな仕事も「無限の楽しさがある!」とキラキラ輝いて見える人
(だってそれを「おこなう」人の多様性を何より阿真さんは信じてるから)

みたいな違いでしょうか

「楽しさ」重視だから、楽しさに優劣がない、ってなるのかも

「仕事としての結果主義」みたいな現実的なビジネス的な「成果」を求めてる人と価値の尺度が違うのかも

現実的な成果尺度、全然ない。自分が等しく考えてる分、采配が全くできない。涙。

そして、この優劣がない、という性質は得てして、自分がやると決めたことに対しては、夢中で、のめり込んでしまう、という結果を生む。

だから、気をつけていないとどれもすぐにやり過ぎてしまう。

家業は結果がドンと目の前に出てくる、達成感が丸ごと目の前に出てくることだからのめり込みやすく、地域活動は直接の人的支援だから尚さらのめり込みやすい。

小児医療の普及啓発のことが一番難しくて、資料を読み込み、頭めぐらせ、ああでもないこうでもない、作戦立てたりあちこち声掛けたり、だけど伝わらなかったり、そして結果は出にくい。

今月はそんなこと言ってられないくらい、普及啓発関連の予定ばかりだけれど。

「何をしていても小児医療の(普及啓発バカの)あまさん」本当は一番時間とエネルギーをかけたいこと。逃げずにやります。

あいにくのお天気だったけれど、お休みで家族とのんびり。


英気を養いました。

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