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可愛そうな自分、という蜜は甘い

今までいろんな場に呼んでいただいた。
いろんな委員を務めた。

3年かけてたくさんのものを引き継いで、今は様々な方が国や都の、様々な委員に関わってくださっている。

新たな出会いもたくさんある。
もしまた何かお話をいただけたら、今度はこの方を推薦したいという方々にも出会った。

市民活動のやり方は、様々にあると思う。私はもう団体で動くことからは降りて、個人的に、基本は裏方で、あれこれをバックアップするような役割が多い。

委員としていろんなことを学んだけれど、ひとつ、自分がこうありたい、こうあろう、と思っていることがある。(1つどころかあちこちでいろんなお話をしているけれど)

それは、建設的な話をする、ということだ。

対等な立場で向き合い、可愛そうな市民、可愛そうな親、可愛そうな自分、というところに、逃げない。

市民活動に限らない。
検討会の場で、大きな組織の団体の会長さんや理事さんも、自らの経験から泣いて訴えられるようなときがある。それは、そのときは上手くいくかもしれない。

けれど、それはその後のためにはならない。決して。

やっぱり市民を呼ぶとこうなるから、やめよう。

患者はこれだから…

母親はこれだから…

女はこれだから…

そうやって、大事な場がそれを機に失われてしまったことは、一度や二度ではない。

そんなことを、これまでたくさん聞いた。たくさん見た。

今回の一回、自分たちの団体の主張、それだけが通ればいいわけではない。

いつだって次へのバトン

次の団体、次の人たち、次の世代のことを考えて

今の私たちの行いは、この先の当たり前になるのだから。

できてしまった当たり前を覆すのは、大変なことなのだから。

だからこそ、今の自分の立場でできることに責任を持って行動したい。

甘いよ 可愛そうな自分、の蜜は甘い。

同情されて、ヨシヨシされたいときだって、そりゃあある。だけど、それは個人間ですること。

社会的な立場で行動する以上、それではいけない。

ひとりの大人として、立つ。

対等に建設的な話をする。

相手の話にしっかりと耳を傾ける。

可愛そうな自分、という甘い罠に逃げない。

きちんと対話をして何かを乗り越えた経験は、とても強い。

悔しい思いもいっぱいするけれど、自分たちの活動さえ良ければいい、ではないから、そこは気持ちよく向き合っていきたいと思うのです。


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