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「三国志」に人生を侵食されている。

「三国志」が好きだ。
小学三年生の頃からずっと好きだ。

事の起こりは8歳の春。
親が「三銃士」と間違えて子供向けの「三国志」の本を買ってきたことにさかのぼる。
中国の話なんて興味ない、と悪態をついた幼い私は、しかし読み始めて5分と経たずに前言を撤回した。
そしてそこから、まっさかさまに「三国志」の沼に落ちた。

小学生は、他人の目なんて気にしない。その情熱は、大人よりずっと純粋でまっすぐだ。
瞬く間に私の漢字練習帳は三国志の人物名で埋め尽くされ、作文の宿題は全て三国志のプレゼンへと姿を変えた。

私は新年の書き初めに「孔明」だの「曹操」だのと書き、図工の時間には赤壁の戦いの絵を作り、自由研究で三国の王室系図を作った。持ち物にマークを付けましょう、と言われれば、ハートやら動物やらを描いている同級生をよそに、マジックで羽扇を書いた。
控えめに言って変態である。担任の先生はさぞかし引いていたことだろう。

それから私は、三国志と名の付くありとあらゆるものに手を出した。
家庭で禁止されていたゲーム以外、それこそなんでも。

正史。演義。NHK人形劇。蒼天航路。横光。レッドクリフ。その他幾つかの中国映画。
小説なら、吉川英治も北方健三も宮城谷昌光も伴野朗も陳舜臣も酒見賢一も安西篤子も吉川永青も朝香祥も藤水名子も内田重久も読んだ。

中学に上がるとちくまの正史に目覚め、お小遣いをためては1巻ずつ買い求めた。
買えない巻は図書館に通い詰めて、好きな人の列伝をコピーした。
そうして手に入れた正史をもとに、年表を作り、中2から高3まで、淩統を主人公にした小説を書き続けた。
大学に入ると、専門の勉強そっちのけて図書館に入り込み、「史滴」なんかに載っている三国志の論文をコピーするようになった。要するにただの三国志馬鹿である。

勿論、世の中「上には上」がいるのだから、これでも全然「足りない」ほうだろう。
けれどあの時の、全てを燃やし尽くしてしまうほどの情熱は、まぎれもなく“本物”だったと思う。

勿論小学校の終わりから、私は三国志以外の歴史にも深い情熱を燃やすようになった。
私は南北朝にはまり会津戦争にはまりフランス革命にはまりイスラーム王朝に夢中になった。
けれどそのどれに対する情熱も、「三国志」の代わりにはならなかった。
どれだけ離れていても戻って来る場所。三国志は私にとって、まさに「故郷」のような心の拠り所だったのである。

どうしてそんなにハマったのか。
どうして三国志でなければならなかったのか。
実のところ、理由はよく分からない。

けれどもあの頃の私は、確かに、「生きていく」ために三国志を必要としていた。

これからも、つかず離れず。
私と三国志との付き合いは続くのだろう。

思うに三国志は、どんな友人よりも長い人生の相棒である。


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