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映画レビュー『哀愁しんでれら』2回目鑑賞(途中からネタバレあり)

哀愁しんでれらは不思議な映画だ。
1回目観賞後、特にラストシーンは胸糞が悪く…一瞬呆然とした。
私は何を見せられたのだろう。
美しい映像美につられて、いつの間にか凄いところに連れて行かれたような、裏切られたような気持ちになった。
だけれど頭の中で小春や大悟、ヒカリのことを考えれば考えるほどに色んなメッセージが湧き出てきた。
家に帰ってまず子どもを抱きしめたくなった。
今ある幸せを噛み締めたくなる。
毎日頭から離れない。そんな映画だった。

シナリオやパンフレットを読んで2回目を観賞。
感じたことを感じたままにつらつらと…


まずは2回目観賞後に浮かんだ言葉。

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“愛される母親“
“理想の母親“
“真の親“
“素敵な家族“

この言葉が生み出すものは幸福か不幸か。

ずっと望んできたものが、実は自分の未来を蝕む呪文だったのかもしれない。
それは魔法か呪いか…

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この先はネタバレだらけなのでお気をつけください。

初回鑑賞レビューはこちら(ネタバレパラダイスです悪しからず)

https://note.com/am_a_oto/n/na4eb580b7810

2回目は、自然と小春ちゃんの視点での鑑賞となった。

オープニングは何度見てもゾクゾクする。
気づかずに歩いていくうちに、とんでもない場所に到達するかもしれない。
そんな恐ろしさを一瞬の、それも美しい映像で表現するものだから…   渡部亮平監督、恐るべし。

この映画の凄いところは台詞のないシーンでも、映像や音楽、役者の表情で感情が伝わるところ。

ダンスシーンは勿論のこと、小春が大悟の家で掃除をしながら過去の自分の服を袋に入れていくシーンでは、小春の幸福やこれから始まる生活への期待感がヒシヒシと伝わる。

大悟の母親から言われる「愛される母親になってね」
大悟から伝えられる「それでこそ真の親」
そして小春がたびたび口にする「あんな母親にはなりたくない」

何気ない言葉が小春の価値観になっていき、その価値観が小春を苦しめている。そんな風に感じた。

だって小春はいつも一生懸命で、完璧な母親そして妻になろうとしている。
もっと手を抜いたり周囲に相談できれば未来は変わったのかもしれない。

私が気になったのは大悟のこと。
小春へのプロポーズですでに「ヒカリにも母親が必要」と発言している。
婚姻届を出す日もヒカリの誕生日。
大悟は小春を本当に好きだったのか。
ヒカリの母親としてだけ見ていたのか。

そして、大悟のジュースの飲み方も。
お金持ちでお医者様。
そんな完璧さを持っているのに、ジュースを飲む時にズルズルと音を鳴らす。完璧すぎない隙を見せているのか。
そんな風に感じていたが、大悟の母親がジュースを飲む時も全く同じだった。

剝製や絵について語る彼の表情からは、誇らしささえ感じる。

彼はどんな過去を持っていて、どの様にして医者になったのか。
彼の凝り固まった偏見は何から生まれたのか。
大悟の物語にも興味が湧く。いつか続編を観てみたい。。

よくよく見ると、小春もヒカリも、愛されたいと思って生きている普通の女の子。闇があるのは大悟だ。

そんな大悟によって少しずつ変わっていく小春。
小春が変わる瞬間は、海に筆箱を投げ捨てたあの瞬間だったかもしれない。
豪華な家を一瞬見上げて投げ捨る。
あれを証拠にヒカリを責めることだって出来た。
それをしなかったのは今の生活を失いたくないから。
筆箱が海に沈んでいくと同時に、小春の思いや自我も全て海に葬ったように感じた。

あれだけ酷い言葉を言っても、偏見の言葉を口にしてもついて行きたい。
そんな小春の行動に説得力をもたらせたのは、大悟役を演じたのが田中圭さんだからだと思う。

色んな発言も気のせいかな?
と思う程に普段は優しく温かい眼差し。
実は私の近い親戚に大悟さんにすごく似た気質の人がいるのだが、彼もまさにそんな感じ。
普段は物腰も柔らかく、奥さんの家族にも良いものを与えたいと凄く一生懸命。
でももの凄い偏見を持っていて時々豹変する。

田中圭さんはサイコパスらしさをおおげさに表現するのではなく、ごく自然にの陽の中の陰の部分を表現する。こういう役を演じる時の彼は決して目立とうとはしない。                          作品を主演をいかに輝かせるか。
リアリティーを生み出せるのか。    
そんなところが作品数の多さに反映されている気がする。

この映画はおとぎ話では無い。
どこにでもいる人達が招いた凶悪事件だから恐ろしいのだ。

なぜ幸せを求めた女性が凶悪事件を起こしたのか。
その答えは『幸せを求めたから』ではないか。

大切な絵や思い出を燃やした後、大悟が吐露する「あと何が出来るかな」 これまで完璧だった彼が弱っていく様が、この一言から苦しい程に伝わる。
大悟にとってヒカリがそうだったように、小春にとって大悟が全て。
“大悟のためなら何だって出来る。世界を敵に回すことも。命を差し出すことも。“そんな思いだったのだろう。

最後にもう一度。

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“愛される母親“
“理想の母親“
“真の親“
“素敵な家族“

この言葉が生み出すものは
幸福か不幸か

ずっと望んできたものが、実は自分の未来を蝕む呪文だったのかもしれない。それは魔法か呪いか…

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この映画の結末は、偏見や思い込みが招いた結果で、その結末が不幸と思う事がすでに思い込みなのかもしれない。

観ている最中よりも、観た後に色んな感情か産まれる。
まさに…“裏“おとぎ話サスペンスだった。

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