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絶望という名の前進

ドイツに来て3シーズン目が、金曜からスタートした。ドイツに来てから、コロナの影響で、一度もシーズンを通しての試合や練習をする事が出来なかった。そんな中で、唯一の希望だったのが、6月に行われた20/21シーズンラストのブンデス2部への昇格をかけた2試合だった。この為にロックダウン期間中、一度も妥協する事なくやってきた自信があった。だが、私はまたしてもチャンスを逃した。これまで自分がやってきたこと、積み重ねてきたと思っていたものは全て無駄だったのかなと絶望した。試合後の数日間、心にポツンと穴が空いたまま、ただやるべき事は続けているという感じだった。やってもやらなくてもどうせ変わらないんじゃないかと、また危うく過去の失敗の方向に足を踏み入れかけたけど、今回の私は違った。

そんな中で思った事があった。これは、「絶望という名の前進」だということ。結果を見れば絶望だけど、自分を見れば前進している事に気が付いた。こんなのが当たり前に出来る人が今、上のステージで戦っていて、その人たちからすればこの前進なんて大した前進ではないのは分かっている。だけど、私にとっては大きな前進のようにも感じた。今までこんなに自分と向き合って淡々と積み重ねて、本気で何かに挑んだ事がなかった私にとって、この絶望は絶対に価値ある絶望だと思えた。

「すぐに報われるとは思わないこと」

人は、頑張ったら頑張った分だけ報われたいと思う。それも、出来るだけ早く。それ故に、待って待って踏ん張って耐えて、もうさすが報われるだろうと心の奥底で勝手に期待する。そして、それが報われなかった時に強く絶望する。そのダメージが思いの外大きい。私はこれまでにも何度も絶望を味わってきたが、今回のは今まである意味感じた事のない絶望だった。人生そんなにすぐに報われたら苦労しないよね、なんて言うけど、案外心のどこか片隅に期待が存在する。だから、一回報われないと腐ったり投げやりになる。それでも腐らずに積み重ね続けた先に、見える景色があるのだと信じている。腐る事、投げ出す事、逃げ道を探す事は簡単だ。そうしようと思ったら、それなりの理由をパッと探し出すのが人間だから。でも、報われたいのなら、少なからず積み重ね続ける必要がある。それを本当の意味で認識し、実行出来るようになったという点を私は今回、前進だと捉えた。

私の3シーズン目のスタートは、リハビリからのスタートだ。こうやって人間的にも成長する為に、日々試されているのだと思っている。みんなが再スタートを切った中で、自分はサッカーすら出来ないし、今はまだまだ苦しい日々が続く。不安を感じて、眠れない日もある。だけど、どんなに絶望しようとも、毎日淡々と積み重ねる姿勢は絶対に変えない。

いつ何がどんな形で報われるかは誰にも分からないから。

サポート頂けるとそのお金が私の成長に変換されます!ありがとうございます!