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普通じゃ見れない景色が見たい。

ドイツに来て先日一年の月日が経った。一年前の私はどんな一年後を思い描いていただろうか。そして、果たして私はその姿になれただろうか。そんなことを考えながらここ最近過ごしていた。

私がドイツに渡ることを決めた高校3年の夏、私の心に1ミリも迷いはなかった。なぜなら、希望に満ち溢れ、私の頭には楽しい姿しか思い浮かばなかった。大抵の人は、高校卒業後は大学に進学する。だから、私はその大抵の人とは異なる道を選んだことになった。だから時々不安になる事もある。人生という長いようで短い軸で考えたら、これが最適な決断だったと私は思う。

私が高校卒業後、ドイツに渡るという選択肢が視野に入る前は、大学に行くことを決めていた。だが、2つの選択肢を前に、未来を思い描いた時、私にとってワクワクする選択は紛れもなくドイツに行く方だった。私は、ただ漠然と高校を卒業したらそれなりに名前の良い大学に行って…と考えていた。だから、前から大学に行くと言っていた為、両親以外になかなかこの決断を言い出せずにいた。そして、ようやく言えたと思ったら、周りの大人からは大学に行った方がいいとも言われた。なぜなら大学に行く事で安泰が得られるという風潮があるからだと思う。しかし、ある方から大切な事に気付くきっかけとなる言葉をかけられた。

「人間本気で学びたいと思ったらいくらでも、いつでも大抵の事は学べる。だから、今大学に行く事が全てではない。」

私はまさにその通りだと思った。周りの大人に少し惑わされ少しビクビクしていた私はまだまだ小さい人間だと実感した。そして、この言葉が間違いなく私の背中を後押しした。

私はそれまで、敷かれたレールにみんなと同じように乗っていれば少なからず安泰が得られると思って生きてきた。安泰に生きていく人生が私の望む人生に辿り着く道なのかと自問自答した。違うと思った。リスクを冒してでも人とは違う景色が見たいと思った。人と異なるレールを行く事は少しの不安が付き纏うことだ。だけど、どれが正解でどれが間違い、そんな事は誰にも分からない。ただ唯一出来ることがある。それは、自分がその選択を正解にしていくことだ。

この1年間は、新たな環境に身を置き、多くの新たな出会いを通じてサッカーだけでなくあらゆる新たな気付きを得ることができた価値ある1年だったと思う。

そんな中で、一番思い知らされたのは自身の自己主張の弱さだ。例えば、学校の休み時間。そんなことで?と思うくらい小さなことでも、みんな自分の意見をはっきりと主張し、どんなに否定されてもそれを貫き通す。或いは、練習中。必要がないと思ったら例え相手が監督であろうとその旨を主張する。もちろんこれは各々の性格にも関係するだろう。それにしても、こういった光景は、日本ではあまり見慣れない光景だった。そして私は思った。外国語ならまだしも、母国語である自分の言語でくらいはせめて自分の意見を主張しようと。

というわけでnoteを始めてみました。自分の考えや問いを投げかけていこうと思っているので、気が向いたらまた読んで下さい。

ご精読ありがとうございました🙏🏻

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