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まるでそれはリハビリ治療

2019年の年始以来であり、リハビリである。

コロナが明けた。と、断言してもいいだろうか。2020年から3年、その間も多くのわたしの周りの人が、PCR検査を受けながら海外を行き来しているのを耳にしたり、SNSで眺めたりしていた。2021年、円高のときに思い切ってアメリカにでも行けばよかったな、というのをひしひしと後悔している。20代最後の数年の代償は、コロナを言い訳にするほど安くはない。

よっぽど、自分の精神的な衰えを感じた。日本は本当に素晴らしい。が、しかし、その魅力を内側で愛でていただけなのかもしれない。わたしは、高度経済成長期の恩恵を受けた世代ではないが、「ジャパンアズナンバーワン」(こう書くだけでダサくて笑ってる...)が、国内にいればいるほど高まってくる。日本社会の中にいれば自ずと、和または輪、空気を読む、大企業で働いていれば安泰、国民「終身」年金、なんだかんだで長期雇用が前提、変わらない肩書きだけのフェミニズム、年齢の呪縛たちが一気に思考を固めていく。舗装された道路、街ゆく車は全て綺麗で、赤色の歩行者信号は青になるのを待たなきゃいけない、スーツ着用者がまだまだ多く、体のラインが出ない淡い色の服が好まれている。買い物をすれば異様に紙やビニールで商品を包まれ、プラスチック中毒だなどど揶揄されていることを知ってか知らずか。そして目玉が飛び出るほどこの国の食事は美味しく、安く、企業努力が現れている。コミュニケーションにおいては、言葉と言葉の間の空白を作り、独特のリズムがある。

思えば、この3年間に行った旅行先はどれも日本を代表する観光地があるところで、日本人ながらその魅力に圧倒された。ネットばかり情報を漁っていたり、都市での生活から出なかったことの現れである。お金の使い方や稼ぎ方が正しくなかったからか、航空券へ流れる資金が不足していたのだろう。付き合いも極端に減らした気がしている。

屋久島。もののけ姫の舞台とした場所。世界遺産としてその存在は日本人の中でも「一度は行きたいところ」に挙がり、この小粒の島に雄大な自然があることのある意味矛盾が人を惹きつける。

沖縄。ハワイや東南アジアの海岸に行かなくても、世界が目を見張るほどの美しい海と唯一無二の文化がそこにあり、アメリカと日本に挟まれたその社会も独特。

北海道。ここは日本ではない、なのに日本語が通じると勘違いを与えるくらいの空気の違い、自然の宝庫、産業の強さ。

そしてわたしが移住した京都。問答無用の古都。中心部には海はなく、夏は東南アジアのように蒸し暑く、冬は東北のように刺すような寒さ。なぜ、ここが昔から幾百年、首都であり続けたのか...。

そこから滋賀、大阪、奈良、和歌山、兵庫と旅行した先を増やしたものの、まだまだ開拓が出来ていない。

人は、スタンプラリーみたいに行ったことのある都道府県を上げてその数を競うのだが、わたしはその競争に入るのも弾かれてしまうくらいに神奈川とその地元の東京から出たことがなく、旅行で行ったことのある都道府県も少ない。

たった3年で、これだけなのか。それは悲しくて、寂しい。まだまだ西を開拓出来ていない。東海、四国、中国地方、九州いずれも行けていない。これが、現状か。もう年齢は31歳。

あまりにも京都に感化されて、内側にいすぎたようだ。英語とフランス語と歴史と金融の勉強は、インターネットが繋がればどこでも出来るのだから、それを抱えながら毎月どこかに行くべきだ。そして、その手や足を使って仕事に邁進し、知見を広げるための金銭を稼ぐのだ。

やっと今日、今まで行った自分の中の地図を一ヶ所塗り潰すことができる。まだまだやりたいことが山積みで、一つのところに留まっていつには若すぎる、と信じたい。

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