目ん玉

我ながら、私は人を信じやすい。っていうか、イマイチ鈍いんじゃないだろうかと自分が心配になる時がある。この国にいると、言葉の壁も手伝って、しょっちゅうからかわれたり、かつがれたりする。日本にいた時もこういうキャラだったっけ。もう思い出せないけれど、かつがれるのは日常茶飯事だから、もう気にしない。っていうより、親しい友人たちが目をキラキラさせて食い入るように話してくるときは、だいたいからかわれてるんだと思っているから、騙されないように心して聞いている。

特にCには言われたい放題だ。男友達の中でも飛び抜けて気があうCだけど、彼は口が悪いことこの上ない。冗談だとわかっているからいいけれど、放送禁止用語の人種差別発言が飛び出すから、初めて聞く人はびっくりする。私のこともジャップとか何とか言いたい放題。背が低い私のことを小人と呼び、そのうち肥料与えてやるから早く背を伸ばせとかって言われてる。もう慣れてるから気にしないけど、いつか仕返しというか、逆にぎゃふんと言わせてやりたいと思う。でもネイティブスピーカーを相手に言葉でからかうのって、やっぱり難しい。

そんなある日、私は目に異物があるのを感じた。鏡には何も映らないし違和感もないのだけど、光の見え方が微妙に右と左で違う。意を決して眼医者に行ったところ、黒目に異物がのっているのだという。ここでは処置ができなくて、麻酔をして取り除かなくてはいけないから、病院に行けと言われて私は震え上がった。目に麻酔?!それっていくら痛くなくても、見えるってことだよね??むしろ全身麻酔で寝かせて欲しいと思った。この異物が何かわからないし、下手に金属だったりしたら体内で錆びるかもしれない、早く行ったほうがいいと医者に忠告されて、仕方なく、電車で1時間かかる大きな町の、眼科専門の救急外来に駆け込むことにした。どうしても恐ろしくて一人で行く勇気が出ない、と言ったら、友人リンダが仕事を休んで一緒に来てくれるという。感謝感激だった。

リンダは単に仕事を休む理由が欲しかっただけなのかもしれない。朝、待ち合わせて一緒に電車に乗った時から、病院に行く人とは思えないくらい、彼女は浮き浮きしていた。私はとてもそんな気分にはなれず、浮かない顔で電車の窓を見つめていた。駅からの道も、やけに上り坂でやけに遠く感じた。病院は普通病棟と眼科専門病棟の2つに分かれていて、普通病棟の入口が天井からたくさん明かりが差し込んで活気があるのに、眼科の待合室には窓が一つもなかった。それでもこの病院は、眼科専門の病院として何十年も歴史のあるところだとか。陰気な待合室で、一体何時間待たされるのだろうと私はため息が出た。

3、4時間は待たされるのを覚悟していたが、1時間半くらいで私の番が来た。恐る恐る診察台に座ると、まずは看護師の問診。目の異物の件を話すと、特に何も見えないわねえと何度も言いながら、紹介状を読み、専門医が診察するからとまた待合室に返された。見えないわねえとはどういうことだろう。もしなんともないと言われたら、私は見え方がおかしいまま一生を過ごすのだろうか。

専門医は目を覗き込み、では麻酔をして目の表面に触りますから、と言った。覚悟していた麻酔は、ただの目薬だった。町の眼医者は何か針か何かで異物を取り出すはずだと言っていたが、実際には綿棒の先で、触ったのもわからないくらいあっという間に、処置は終わった。呆然とする私。わざわざ仕事を休んで一緒に来てくれたリンダに申し訳なかった。痛みもなかったし、目の処置が終わったら見えなくてしばらく付き添いが必要かも、とか思っていた自分がバカバカしくて笑えた。

私たちはスターバックスで一番大きなドリンクを頼み、港で風に吹かれながら大笑いしてセルフィーを撮り、ランチを食べてまた電車に揺られて帰ってきた。何をしに行ったのか忘れるくらいの1日だった。目はどんどんと良くなり、以前は目が乾いてすぐにコンタクトが痛くなったのに、だんだんとコンタクトを1日中入れていられるようになってきた。

数週間後、リンダと彼女の旦那が、恒例のホームパーティを開いた。食べて飲んではしゃぐ仲間に、Cもいる。そういえばこないだ病院に行ってどうなったの?と聞かれた。私のいたずら心がむくむくと頭をもたげた。

「あのさあ。。。本当に、びっくりしたんだよねえ。人間の目玉ってさ、ちゃんと目から取り出せるんだねえ。知ってた?」

「はぁ?何の話してるの」

「あのね、医者がさ、目玉の下のところをちょっと押したらさ、目玉が目から飛び出てさ。その状態だと、自由に目玉を触れるから、そうやって治療するんだねえ。知らなかったよ。でもってさ、目玉が私の頬骨の下のところくらいにあるんだけど、それが自分の逆の目で見えるんだよ。なんかすっごい不思議な感覚だった。。。」

Cは目を細めて私の顔をじっと見た。嘘だろ?と目が語っているが、同時に、話の内容のグロテスクさに一瞬びびっているのが感じられた。私は緩みそうになる頰を引き締めながら続けた。

「しかもね、麻酔してるからさ、目とか触られてるのが見えるのに、何も感じないんだよ。。。すごく変な感じでさ。本当に、現代医学ってすごいよねえ。」

リンダがテーブルの向こうから目を見開いて私のことを見ている。吹き出しそうになるのをこらえている顔だ。Cは椅子から立ち上がって一同を見渡した。「やばいな、目玉って飛び出るのかよ、知らなかったよ!怖いな!」

私は笑いをこらえて、さらにダメ押しをした。「そうなんだよ、怖いんだよ!本当にちょっとの圧力で目から出ちゃうんだから!私たち、毎日の生活でそうならないように気をつけたほうがいいよ!治療目的でやるならともかくさあ、くしゃみとかで飛び出ちゃったら大変だよね」

「いやまさかくしゃみでは出ないだろう。。。そんな話聞いたことないし、俺だってくしゃみで目玉が出ちゃったら大変なことになるし、まさか人間の体がそんなにやわに作られてるとは思えないよ」

真面目に答えるCを見て、私はこらえきれずに爆笑してしまった。「ごめん、全部嘘だから」と息も絶え絶えに言う私に向かって、彼はまだどこからが嘘でどこまでが本当だかよくわかっていない様子。「でも、目玉が頬骨のところまで出てきて処置したんでしょ?」と混乱した顔で聞いてくる。嘘に決まってるじゃん!目玉なんて生きてるうちに出ないよ!リンダが笑い呆れながら付け足した。「アリサがこんなに嘘が上手だなんて知らなかったわ、私だったら途中で笑っちゃって話が続けられなかったと思う。あなどれないわね!」

Cはかつがれたとわかって憮然としながらも、まだ釈然としない顔をしている。すっかり信じてしまったので、目玉とはこう言うものなんだろうと思い始めているようである。


あれから4年ほど経った。この間Cとお茶を飲んでいたら、「目玉って医療処置する時って一回目から出して手当てするらしいよ、知ってた?」と真面目な顔で言ってくるので驚いた。

「え、それって私が昔あんたを騙したやつでしょ。出ないよ。目玉って視神経で目の奥にしっかりくっついてるんだから。視神経ってゴム紐じゃないんだから、そんな伸びたり縮んだりしないよ」「え、そうだっけ、お前から聞いたんだっけ。いや違う、ジムが昔言ってたんだよ。奴が病院に行った時、やっぱり目から出して治療したんだって言ってたよ。もう何十年も前らしいけど、頬骨の下のところで処置してるのが見えるって言ってたよ」

Cがジムに会ったっていつのことだろう。これは彼の記憶が捏造されているのか、それともジムにまで騙されたのか。真相はわからないけれど、どうやら彼の中で私にかつがれた記憶は消されてしまったらしい。悔しいのか悔しくないのかよくわからないが、人間の記憶というのは、極めて曖昧なものらしいということだけは事実のようだ。

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