不完全さを愛するということ②―Modern Love~今日もNYの街角で~

こんにちは。
青井あるこです。

前回に引き続き、Amazon Primeオリジナルドラマ『Modern Love ~今日もNYの街角で~』の感想を書きます。ネタバレ注意です。

感想その1はこちらから。

7, 僕らが見つけた家族のカタチ
"Hers Was a World of One"

ゲイカップルが養子を迎えようとするのだが、ゲイであるという理由で養子縁組は難航する。ようやく子どもを養子に出したいという女性が現れるのだが、彼女はなんとホームレスだった。

彼女、カーラは定住を好まず、いわば望んでホームレスになった女性。相棒のゴールデンレトリバーを連れてアメリカ各地を渡り歩いているらしく、子どもの父親も定かではない。トビンとアンディは動揺するものの、彼女の子どもを養子として迎えることを決める。

カーラはかなり自由奔放な女性で、出産の八週間前に二人の部屋に転がり込んできては、リビングを荒らしたりハッパを吸ったり知らない男を連れ込んだり、カーラの愛犬がトビンの愛犬を妊娠させる(これは愛犬家としてはまじで許せないし笑えないと思った)なんてこともあった。

そんなカーラの様子にトビンの堪忍袋の緒が切れ、大喧嘩。カーラは部屋を飛び出して行ってしまう。だけど連れ戻しに行ったのもトビン。

そして夜の公園で本音を打ち明ける。カーラの予測不可能なところが魅力的で素敵なこと、カーラに会うのが楽しみで毎晩仕事から帰ってきていること。そして他人と暮らすことにさえ抵抗を覚える自分が子育てなんて本当にできるのだろうかということ。

その夜、トビンはアンディにカーラの魅力を伝える。正直で度胸があって打たれ強くて。そんなところが子どもにも遺伝するといいな、と話していると、部屋のドアが開いてカーラが破水したと言う。

それを聞いて驚いた二人が大慌てで準備している姿を見て、思わず笑ってしまうカーラ。トビンなんか半ば飛び出すくらいの勢いでタクシーを止めていて、カーラに"Oh my god"って言われるくらい。

このシーンの三人は、まさに家族という感じがする。血が繋がっていなかろうがLGBTQだろうがホームレスだろうが、関係ない。そういったものを全て越えたうえでお互いを尊重し合って結ばれた家族だ。

いよいよカーラが出産をするというとき、傍にいたのはトビンだった。最初はアンディも同じ病室にいたのだが、見ていられなくなって退出する。一方のトビンはカーラの手をずっと握り、赤ちゃんが出てくるところまでしっかりと見届けた。

もともと子どもを持つことを提案したのはアンディだ。トビンはずっとカーラや子どもを受け入れることに戸惑っているようだった。けれどカーラの考え方や生き様を知るうちに、彼女を尊敬するようにもなり、生まれてきた女の子には「きみのママはかっこいい」と伝えるのだ。

一方でもともとカーラも自分の子どもの養子縁組の相手としてトビンとアンディのカップルを選んだ理由は、二人がゲイである=リベラルな考え方を持っていると思ったからだ。そのせいで彼女が想像するよりトビンが保守的で神経質なこともあって、衝突があった。

そういった固定観念や先入観のようなものが実際に生活をするなかで、洗い流されていく。人と一緒に過ごすことが苦手なカーラが二人と長く暮らすことができたのは、「二人が最高のカップルだったから」。きっといい親になるよ、と。

私はもともと赤ちゃんを含めて小さな子どもや妊婦が苦手だったのだけれど(嫌いというよりはどう接したらいいのかわからない)、今年の夏に同い年の幼馴染が出産をしてからというもの、女性ってすげー、と思うようになった。

上手く説明ができないのだけど、今までは「妊婦」は「妊婦」、「母親」は「母親」という生き物(もしくは人種)というようなイメージがあって、私も女でありながら自分とはあまり縁のないものだと思っていた。

だけど四歳のときから互いを知っている友人のお腹が大きくなり、やがてそのお腹から出てきた子どもを見ていると、今の私や妊娠する前の彼女からずっと一続きになった先に「妊婦」や「母親」はあるのだな、と思うようになった。

生理にしても妊娠にしても出産にしても、女性の身体は機能的に変わるし無理やり変えられる部分がある。そのたびに痛みや不快感といったストレスを抱えながら、例えば毎日働いている人もいるし子どもを育てている人もいるし、誰かの前で笑っている人もいる。そう思うと改めて女性ってすげーと思う。

だけど結婚・出産だけが女の幸せだとはどうしても思えないし、無責任だと言われるかもしれないけれど、妊娠してしまったけど育てられないという状況に置かれたときに、今回のエピソードのように養子縁組ができて、気軽に子どもに会えるように養父母と実母の仲が繋がるような仕組みが発達したらいいな。同性のカップルや様々な事情で自分の身体では子どもを持ちたくても持てない人に、もっと子どもを持つチャンスが増えたらいいな。

8,人生の最終ラップはより甘く
"The Race Grows Sweeter Near Its Final Lap"

何歳になっても人を愛することはできるし、一方でどれだけ深く愛し合っても最終的には別れが待っている。

マーゴとケンはお互いに老境に入ってから知り合い、恋をして結婚をした夫婦。夫ケンが亡くなり、マーゴは葬式に参列する。

二人がマラソン大会をきっかけに出会いデートを重ね、そして結婚してからの甘い日々。家の中ですれ違うたびにマーゴにキスをするケン。そんな二人の生活はお互いに二度目の結婚生活だし(ケンは前妻を亡くしている)、年を重ねているからこそ人生に起こり得る様々な出来事や感情を経験しているため、とても穏やか。だけどまるで若いカップルのように瑞々しくロマンチック。

こんな出来た関係はなかなか手に入らないと思うが、恋愛は決して若者だけの特権ではないことを知った。だって二人の関係性は、あまりにも理想的すぎる。

子どもが独立し退職もして、自分の責任の範囲が改めて自分だけになったとき、そこから日々を共に過ごす人と出会えるのは素敵だ。学生の頃に戻ったように、純粋に恋愛を楽しめるような気がする。

二十代~三十代は世間に早く結婚しろと言われがちだけれど、仕事だ何だととても忙しい時期でもあるし、恋愛や結婚までしている余裕が無いということもあるかもしれない。もうすこし歳をとってそれらが落ち着き、やっと恋愛がしたいと思うようになったときなど、そういう自分のタイミングで素敵なパートナーに出会えたら最高だと思う。

第8話ではこれまでの1~7話のキャラクターたちも登場する。それぞれのエピソードの前後日譚が垣間見えるのだが、エピソード2のジョシュアとジュリー、3のレキシーと元同僚、7のカーラたちが良かった。

第2話のラストで夫に別れを告げるジュリーは、ジョシュアが開発したアプリで出会った男性とデートをしている。
レキシーは躁鬱病を打ち明けた元同僚と友だちになり、カフェでお茶をしている。
カーラはエピソードの前日譚というか、裏話のようになっていて、実はもしもトビンとアンディカップルが子どもを養子に出すのに相応しくないと判断したらお腹の子もろとも出ていくつもりでいたこと。そして二人と少し会話をしただけでその必要が無くなっていたことが描かれている。

Modern Loveを見て強く思ったことは、完璧なひとなんていないということ。完璧でないからこそひとは美しいのだということ。そして人生には無数のチャンスがあるということ。

登場人物たちは皆それぞれ問題や後悔などを抱えている。特にレキシーは顕著だけれど、あれだけ見た目が美しくて仕事もできてラグジュアリーな家で暮らしている一方で、病気に振り回されてベッドから動けない日もある。

彼女のエピソードを見ているなかで、あれだけ美しくて頭のいい人でも上手くいかない日があるのだから、私みたいなポンコツにはなおさらあって当たり前か~とちょっと肩の力を抜いて考えられるようになった。
そして病気に苦しみながら必死で普通の恋愛を手に入れようと奮闘する彼女の姿は、語弊があるかもしれないが、とても美しくて人間的に可愛らしく思えた。

よく言われている、「欠点はそのひとの個性」ということばの意味がなんとなく分かったような気がする。

そして登場人物たちは、目の前の相手と真正面から向き合うことによってそれぞれの問題を乗り越えようとしていく。私は自分の殻にこもりがちで、人に感情を見せることが大の苦手だから、彼らの姿に憧れた。もっと素直に心を開いていきたい。私の駄目な部分も臆さず見せて、誰かの駄目な部分を受け入れられたらいい。

恋愛も結婚も夢も仕事も、一回駄目になったらそれでおしまいではない。若くなければ意味が無いとか、年を取るほど何かを無くしていっているような気がして焦るときがあるけれど、そんな必要はないのだと思う。
きっとそのときにはそのときの、今とは別の可能性が手に入る。
そんな気がする。

一生街ですれ違うだけのあのひとにも人生があって、誰かを愛したり感情に振り回されて泣いたりしているんだって、そんな当たり前かもしれないことを愛おしく思わせてくれた。

Modern Loveは、私の乱高下する心を最下層へ落ちる手前で受け止めてくれる膜のようだ。疲れたときには再生して、何度でもこの気持ちを思い出したい。

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