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6分20秒小説『鰹と桜なぜか高橋の涙』

 三階建てのマンション一階がお好み焼き屋、宵の口、19時頃、引き戸をがらがらっと開けて小さな女の子が入ってきた。
「いらっしゃい!あ、日菜子ちゃん、一人?」
「うん、パパはお仕事でママは町内会に行ってる」
「そう、いつものにする?」
「うん」
 小熊のような手が鉄板の上、さーと生地の素をボウルから流し込み、コテをくるくる、具材をぱっぱ。
「お母さんから聞いたよ。ピアノのコンクールのこと」
「うん」
「出ないの?」
「うん」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
「そっか」
 音と香りが目の前で混ざって、鉄板からぼうと伝わる熱が、女の子の頬を赤に寄せ。
「仕込みをしているとさ、日菜子ちゃんが練習するピアノの音が二階から聞こえてくるんだよ。俺、日菜子ちゃんのピアノを聴くのが楽しみでね。夕方になると、今日は聞こえてくるかなぁって、天井を見上げるんだ。凄く上手だと俺は思うよ。だから皆にも日菜子ちゃんのピアノを聴かせてあげたかったなあ」
「コンクールに出たってどうせビリだし、ママが勝手に応募しただけだし。それに私は、知らない人の前でピアノなんか弾けない」
「分かるよ」
 じゅー、二人の間に存在する沈黙が焦げてゆく。店長がカツオブシの入った袋を手に取る。

「やめて!ボク踊りたくない!」

 女の子がびっくりする「今の声?誰?」
「ボクだよ。ボク、カツオブシだよ」
「カツオブシ?」
「そう、店長さんが手に持っているカツオブシさ。日菜子ちゃん、ボクのお話聞いてくれる」
「うん」
「ボクね。踊りたくないんだ」
「え?どういうこと?」
 店長が顔を顰める。
「お前だな?!わがままを言っているのは」
 袋からひとひらのカツオブシを摘み出す。
「ばれちゃった……日菜子ちゃん助けて」
「どうすればいいの?」
「店長さんにお願いして!『ボクのことお好み焼きの上に乗せないで』って『無理やり踊らせたりしないで』って」
「どうして?どうして踊りたくないの?」
「だってボク、カツオブシだよ!なんで皆の前で踊らなきゃいけないのさ!恥ずかしいよ」
「恥ずかしいの?」
「うん、考えてみてよ、踊る食材っていったらボクか白魚くらいのもんでしょ?白魚はいいよ。自分で踊っているんだから。でもボクは違う。鉄板の熱に浮かされてるだけ、踊らされているだけなんだ」

「ちょっといいかな?」
 カウンターの端に座っていた田村の御隠居さん。
「聞かせてもらったよ。カツオブシ君、そろそろ桜の季節だねぇ。儂は俳句が趣味でね。毎年春になると、桜の花びらを眺めながら俳句を詠むんだ。そこでね、君に尋ねたいんだが、桜の花びらってのは”散っている”のか”舞っている”のか、どっちだと思う?」
「え?散っているか舞っているか?うーん……どっちなんだろう?日菜子ちゃんはどっちだと思う?」
「わかんない」
「店長さんは?」
「そうだなぁ……風に吹かれて散っているとも見えるし、風に乗って舞っているようにも見えるし」
「儂はね。若い頃は”散っている”と思ってた。でも最近ね。”舞っている”と感じるようになったんだ。枝から離れ、地面に落ちるまでの滞空時間、それこそが花びらの人生だ。その僅かな時間をどう過ごすか、それが大事なんだよ。つまり、アスファルトに張り付いて汚れてゆく未来、それを怖れてただ散ってゆくのかそれとも、短くても確かに生きているこの瞬間をコマ送りのようにつぶさに感じて、全身全霊で楽しみながら春風に舞って過ごすのか、風が決めるんじゃない。花びら自分が決るんだ。な、店長、あんたもそう思うだろ?」
「いや、ご隠居の言うとおりだと思いますよ俺も――あ、一句思いつきました」

   鉄板に
   ひらり舞い落ち
   桜ぶし

「どうですか?」
「あんまし良く無いねぇ」
「すいません」
「カツオブシ君」
「はい」
「君は桜だ」
「え?違うよ。ボクはカツオブシだよ」
「いや、ものの例えさ。桜が空で過ごす時間とさ、君がお好み焼きの上で過ごす時間、似てるだろ?つまり、目の前にある一瞬の連なりをどうとらまえてどう過ごすか、決めるのは熱気じゃない。君自信ってことだ。な?日菜子ちゃん」
「うん、日菜子も桜の花びらは、舞っていると思う。そしてカツオブシ君も、きっと同じ」
「ボクも……桜と同じ?」
「うん、踊らされるだけじゃなくって、踊ることも出きるはず!だって、踊りたいんでしょ?」
「……日菜子ちゃん、ありがとう。店長さん、ボク、踊るよ」
「よしっ、じゃあ今からこのお好み焼きに乗せてやるから、皆に得意のダンスを披露してくれ。いいか?乗せるぞー」
「待って」
「どうしたの日菜子ちゃん?」
「言ってなかったんだけど実は私……カツオブシ苦手なの」

「えー!」
「えー!」
「ええー!」

「おかかとかは好き、でもお好み焼きの上のは、なんか生き物みたいに動いているのが気持ち悪くって……それがカツオブシさんとお話ししてたら余計に……ごめんなさい」
「いいよ、全然気にしないで、じゃあカツオブシ抜きで、へいお待ち」

 じゅー

「ご馳走様、美味しかった」
「そう……じゃあ、またね」
「ねぇ店長さん」
「ん?」
「私、やっぱりコンクールに出る」
「え?どうして?」
「田村のおじいちゃんの桜のお話を聞いて、やっぱり出ようかなって」
「そっか、それは良かった。絶対に見に行くから」
「うん、じゃあね」
「じゃあ」

 がらがら

「ちぇ……せっかく色々と考えて小芝居まで打ったのに、なんだかご隠居に手柄を横取りされたような――おい高橋、出て来い!いつまでカウンターの下に潜り込んでるんだ!もうカツオブシの声は必要ないから、出て来い!……高橋っ!な、え?お前……泣いてるのか?」
「……え……えぐっ……え、あい……感動しちゃって」
 店長目を剥いて――。
「今の件の一体どこで感動できるってんだ?!そもそもなんだあの声?!なんでカツオブシの声がバリトンボイスなんだ?!」
「いや、声色変えないと――」
「高音だろ普通!」
「いや、普段の声が高いから……すいません……えぐっ……え……」
「分かった。泣くのは構わないからよ、せめてカツオブシのトーンで泣くのだけ止めてくれ」
 田村のご隠居、鶏ももを日本酒でやっつけながら独り言ち――。
「カツオブシのトーン……」

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