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8分0秒小説『組紐』

 2月初旬、火山洞窟を専門に調査しているNPO法人からオファーがあった。1月に三島風穴を調査した際、特殊な形状をした変形菌が群生しているポイントを発見したので、専門家の私に同行して欲しいとのこと。サンプルを持ち帰ろうとしたら、帰路で遺失してしまったそうだ。写真も無い。情報源は伝聞のみ、なので確信は無いが、新種の菌類の可能性が高いと踏んでいる。

 変形菌――世界で約1000種、日本ではそのうちの約600種の生息が確認されているキノコの仲間だ。視認できるサイズにまで成長したものを「子実体」と呼ぶ。表面があざやかな色をしていたり、金属のような光沢があったりと多種多様。ルーペや顕微鏡で観察すると、未知の惑星に降り立ったような錯覚を覚える。
 20代のすべての時間を変形菌の研究の為にすべて費やして早30歳――の半ば。結婚もせず、ちっぽけなキノコの一種の研究に人生の一部――ひょっとしたらすべてを捧げようとしている独身女性、それが私だ。

 三島風穴は、約1万4000年前に富士山の噴火により流れ出した三島溶岩流内の最も下流末端部の位置に形成された溶岩洞窟で、発見された富士山の溶岩洞窟では最古のものであると見なされている。
 代表の島崎さんを中心にNPOのメンバーの方々5名+私の計6名のチームで、今回の調査は行われるはずだった――が、メンバーの方の到着が遅れている。飛行機がトラブルで遅れているそうだ。前乗りして空港で出迎えてくれた島崎さんと私だけが先に到着した形。
「二人で行きますか?」
「え?メンバーの方を待った方がいいんじゃないですか?」
「大丈夫です。ここは私の庭のようなものですし、目的のポイントもそんなに深い位置ではないので、それに――」
「はい?」
「どうしても夕方までには東京に帰りたいんですよ。今日、娘の誕生日でして」
「そうですか。じゃあ――」

「松村さんは、ケイビングは初めては無いとお伺いしておりますが?」
 島崎さんが背中越し訪ねてきた。私の額から放たれるヘッドライドの光、洞窟内の漆黒を追い払い、島崎さんのオレンジ色のつなぎを目に痛い程浮かび上がらせている。
「ええ、何度か、直近ではベトナムのファンニャ・ケバン国立公園の洞窟を調査しました」
「おー、いいですねぇ。常々海外の洞窟を調査したいと思っているのですが、ベトナムには最も興味があります」
「グクノン省ですか?」
「行きたいですねぇ。あそこにはアジア最大の火山洞窟がありますから」
 会話が途切れ無言で暫く歩いた。
「そろそろ着きます。この竪穴を10mほど下った先です。ラダー&ライフラインで行きましょう。まず私が降りますので、後に続いてください」
 島崎さんが、ラダーと呼ばれるアルミ合金製のステップ付きばしごを竪穴に降ろす。ラダーから足を滑らせても 落下することのないようにライフラインを使用して安全を確保して降りる。

「えっ?どうして?」
 後に続いて私がラダーを降りきった途端、島崎さんの困惑した声。
「2月に来た時には、あの辺一帯びっしりと変形菌で覆われていたんです。おかしいな」
 ライトで照らすが、濡れた洞窟の壁面ばかりで生命の気配は感じられない。
「枯れてしまったのかも知れませんね。儚い生き物ですから」
「いや、それにしても痕跡も無いのは異常です。精査しましょう」
「じゃあ私は東面を調べてみます」
「お願いします」
 前かがみになると、火山洞窟特有の硫黄の臭いがして少し咽た。
「あった!松村さん有りました!」
 急いで駆け寄る。
「10cm四方程度ですが、見つけましたよ」
 島崎さんのヘッドライトが照らす先、地面の一角が変色している。
「見てもいいですか?」
「もちろん」
 近づく、ルーペを取り出す。覗き込む。
「どうです?」
 興奮を抑えきれない島崎さんのトーン、耳鳴りがして遠くに聞こえる。私は愕然としていた。
「その……非常に驚いています。どうしてこんな物がこんな場所にあるのか……まったく理解できません」
「新種ですか?」
「違います」
「そうですか……じゃあ既知の品種なんですね?」
「違います。そもそもこれは変形菌でも地衣類でもありません」
「じゃあなんです?」
「もみあげです」
「え?」
「断言します。これは”京本政樹のもみあげ”です」
「は?……えーと、つまりそのぉ、そういう風に仇名されている変形菌ということですか?」
「違います。これはれっきとしたもみあげです。京本政樹の」
「そういう風に見える菌類っていうことでしょうか?」
「何度も言わせないでください!菌類なんかじゃありなません。耳の前に生えている毛!もみあげ!分かりますよね?」
「分かります」
「京本政樹はご存じですか?」
「ええ」
「じゃあ理解できるはずです。これが何なのか」
「理解できませんよ!どうして火山洞窟の地面から京本政樹のもみあげが生えているんですか?」
「私が聞きたいくらいです。当然ですが私はもみあげの専門家ではありませんので、間違っている可能性もあります。京本政樹のものではないのかもしれない――いや、専門家ではないけど断言できる。彼のだ!この独特の質感と色合い。臭いを嗅いでみてください。ほんのり香水の香りがします。間違いありません!」
「松村さん、落ち着いてください。一回深呼吸して――」
「私のことはいいですから島崎さん、とにかく顔を使づけて臭いを嗅いでみてください」
「分かりました……はい、臭いを嗅ぎました」
「どうです?」
「驚きました。20年以上洞窟調査を行ってきましたがこんなことは初めてです。確かにこれは京本政樹のもみあげです」
「理解してもらえましたか?」
「はい、でも松村さん、不可解な点がるんですが、ここにもみあげが生えているってことは、この下に京本政樹が埋まっていると――そういうことでしょうか?」
「それは無いと思います。もみあげだけが単体で生えているのだと思います」
「そんなことが有り得ますか?しかもこのもみあげ、全盛期の頃の京本政樹のものですよ?」
「全盛期?」
「今はこんなもみあげじゃないと思います」
「島崎さん、前回の調査の時、京本政樹さんは同行されてましたか?」
「いえ」
「そうですか……じゃあ、彼が落っことしたという可能性も考えられませんね」
「松村さん、これ持ち帰りましょうか?」
「え?このもみあげをですか?」
「ええ、DNA鑑定を行うべきではないでしょうか?もし仮に――いや間違いないと確証はしていますが、これが本人の物だと立証されたなら、それはそれで大発見ですよ」
「確かに!じゃあ持ち帰りましょう。でも気を付けてください。生え際ごと採取しないと、毛がばらばらになってしまいます。そうなると――」
「京本政樹のもみあげだという根拠が薄れてしまいますね。分かっています。慎重にいきます」
 固唾をのんで見守る私、地面にへらを這わせて、慎重にもみあげにアプローチする島崎さん。


「危ない所でした」
 遅れてやってきたNPOのメンバーの方に発見された時、私と島崎さんは地面に突っ伏して意識を失っていたそうだ。
「3日前の地震の影響で地面付近にガスが溜まっていていたようです。本当に危ない所でしたよ」
「すまない。心配かけて」
 発見してくださったメンバーの方が私たちを病院に搬送してくれた。治療と検査を受け、待合室で缶のブラックコーヒーを一口飲んで、やっと完全に意識が鮮明になった感じ。

「松村さん。危険な目に合わせてしまって訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ」
「でも残念でした」
「……ですね」
「大発見だと思ったのに」
「情けないです。いくらガスの影響とはいえ、リュックから外れて落ちた組紐を新種の変形菌だと思い込むだなんて」
「あ、そっちですか?」
「え?」
「いや、すいません。その京本――いや、何でもありません」

 島崎さん、もし仮にあれが正真正銘京本政樹のもみあげだったとしたら、”京本政樹”の存在がよりミステリアスになるだけで――。

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