散文詩『言葉を段ボールに入れる』
引っ越しの前に言葉を整理しようと思う。
美しい言葉は右の段ボールに、汚い言葉は左の段ボールに、時間が無い、さくさく入れていこう。その前に段ボールに書いておこう。「美しい」「汚い」。こうしておいて「汚い」に入れた言葉は、ごみの日に棄てればいい。ん?言葉って可燃ごみだっけ?ま、いい後で調べよう。
”愛していた”を右の段ボールに、”笑顔”もそして”口づけ”も。
”悲しみを手に取って迷う。中原中也ではないが、まぁ僕のもそこそこ汚れている。左に入れよう。
”寂しさ”も一瞬迷ったが、左に入れた。悲しみが汚れているのだ。”寂しさ”にも汚れが移っているに違いない。
”出会い”これは右だな、うん。”別れ”これは……どうだろう?コーヒーでも飲みながら考えよう。
”別れ”をテーブルに置く。午後の熟れた陽が緩慢なオレンジでテーブルを彩色している。”別れ”が、陽の暖色と混じり、紫に変色した。カップを傾けながら、”別れ”を左の段ボールに向かって投げる。ぽんっ。「ちっ」茶色い舌打ちを吐いて、そそくさ拾いに行く。至近距離で叩き入れ、「どうだ!」と空中に凄む。
”思い出”これは流石に右でいいだろう。僕の側から見ればそうだ。でも彼女の側から見れば、違うのかもしれない。窓を開ける。夏はもうそこには無い。肌寒い空が、それなりの色合いで世界に張り付いている。
ベランダの手すりに置いて眺める。陽を浴びて、美しく汚れている。「参ったな」「棄ててやろうか?」「野良猫の餌にでもなればいい」と思った。この時僕は初めて、”思い出”を直視した。”思い出”は秒ごと色を変え、時に美しく、時に汚れて見える。嗚呼、やはり美しく汚れている。
僕は部屋に戻り、”悲しみ”を右の段ボールに入れ直した。”寂しさ”も右の段ボールに入れ直した。全部入れ直した。そうして左の段ボールを空にしてたたみ、右の段ボールの文字を消して、”言葉”と書き直し、そこに”涙”を入れた。
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