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久々に世界が鮮明に輝いて見えたんだ。


写真のキャッチとは裏腹に、今夜は世界が輝いて見えた。

やるべきこと、やりたいことはすべてが予想していた以上に上手くいかなくて。

届けたい人には何も届けてられないような気がしていて。

それでも今夜は輝いて見えた。

今日は電車の遅延に巻き込まれて、自主練の時間が1時間に減ってしまった。

貴方という人がとても耳触りのよい、心地良い音を奏でるから。あんまりにも綺麗で美しかったから。私は歌いたくなったんだ。昔みたいに。

今までは色んな道具や機材を持ち込んで練習していたのだけれど、それらもやはり何一つとして上手くいかない。

もう設定とかの問題じゃないんだよな、ということには薄々気づき始めている。実力と質。

だったらもう軽装備でいいし、時間も無くなったからせめて簡単な基礎練習ができればいい。

そう思って急いで練習場所に向かったら、受付の人がとても温かく迎えてくれて。ホッとする何かが心に来る。

ここ数年で失った、さりげない人のあたたかみ。
赤の他人へのやさしい眼差し。
そこにどうして〇〇してくれないの?という気持ちはない。そこあるのはただ優しさだけ。

軽くジョギングするみたいに練習室へ向かう。
扉を開けようとしたら響く挨拶。
何て言って返したかはもう覚えてないけれど、とりあえず私も釣られて言葉を発した。

それから。約40分のうちラスト5分。祈った願いが届いたようだった。

今までとは違う感覚を少しだけ掴む。
全てが集まってまっすぐに伸びる緩やかな放物線のように音になる感覚。

ああ、私はこの音が聴きたかったんだ。
少しだけ、ほんの少しだけ前進したのかもしれない。
たぶん大丈夫だ。焦らなくていい。そんな風に思えた。

まあ、側から見たらそんなことはないのだろうけれど。

そういう特別な感覚を得たせいなのか、帰り道の街灯も月も、この一年ぼやけて見えていた世界が鮮明に輝いて見えた。

ここ数年、特にコロナ禍に入ってから。どこかふわっとした世界を生きていたような心地がしていたのだけれど、うっすらと白い霧がかったような世界はもうここに無い。

澄んだ空気に街灯が鮮明に周囲の景色を表す感じ。
全てが輝いて美しくみえた。普段見慣れた景色がまるで憧れの世界になったような気がした。

風景がやたらリアルなアニメ映画を観ているような感覚のようなそうでないような何か。

明日は見てもらいながら練習ができる日。
いつもあそこでは気合いが入って、全て空振りする。
それでも先生は優しいから、もらった優しさには応えたい。

上手くできないかもしれないし、殻を破れるかもしれない。
どっちかは誰にも分からない明日。

そういう日々を苦しく思っていたけれど、今は何だか少しだけ愛しさも感じるんだ。

この1年、出会いと別れと再会の連続で、もう今の時間軸がどこかなのかさえ分からない。
早いのか、それとと遅いのか。

1年あっという間で、何もできていないような気もするし、1年とは思えないくらい色んな出来事があったような気もする。

暮らしに変化はない、と言えば嘘になるし、劇的に変わったかと言えば他人様から見ればそんなことは決してない。

それでも今の1日いちにちがダメでも全てが愛しく思える。

12年前の、5年前の。苦しかった日々の中で出会った全てが、答えをくれたんだ。

苦しい日々も全力で過ぎて仕舞えば愛しくなるんだって。

だから世界が鮮明に輝いて見えたんだ。

きっと明日もそうでありたいし、誰かに、自分に。報いる日々でありたい。

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