見出し画像

たったひとつのスキだけで。

そろそろnoteの連続投稿を始めてから丸ひと月になります。何も考えず、場当たり的に始めたこの取り組みが続けられているのは、ひとえに読者(フォロワー様含む)の皆様が読んでくださっているおかげです。ありがとうございます。

文章を読んでいて感じ取れることもあるかもしれませんが、基本的に私は疑い深くて石橋を叩いて叩き割ってしまうようなタイプの人間なのですが、こうやって素直にそして前向きに文章を書くことができるのは、この世界(note)に住んでいる皆様の穏やかな空気のおかげなのかなと思います。

画面越しの世界に"穏やかな空気"というのは、いささか現実味ない表現だとは思うのですが、それさえも受け入れられるような多様性というのをこの世界から感じています。

今こうして自分の気持ちを綴ることは大変ではありませんが、初めから得意だったかと言えばそうではありません。幼稚園に通っていた頃は、1日の終わりに何があったのか母にまともに説明できないくらい、自分の考えを話すという行為が苦手でした。

小学生になってからは、授業で当てられたら冷や汗をかく程緊張するし、答えられなければ泣いてしまう、そんな子どもでした。泣きすぎて授業中に外に追い出されたこともあります。

母からすれば、どんなに育てづらい子どもだったことか。申し訳なくも思いつつ、そうやって成長していくしかなかったなというふうにも思います。

いつも怖がりで泣き虫で気持ちを伝えることが下手だった私。今思えば、自然と誰かに守ってもらっていたような気がしていて、それに気づけなかったことを情けなく思います。

小学校に入ってから2年くらいが経って、それから。私のことをとても気に入ってくれた、とても社交的な女の子のお友達ができて、その子に連れられて外の世界に遊びに出かけられるようになりました。

私の感性の全てを受け入れてくれて、そばに居ても怒られない、嫌なことを一切言われないという環境がとても私には居心地が良かったのだと思います。今になって思えば、彼女もそういう居場所を求めていたのだと思います。

だから、あまり人に対してとやかく言わず、好奇心旺盛な私とはとても相性が良かったのだと。私たちの間に会話が沢山あったかと言われるとそうではないと思います。

成長すれば、環境に応じて見える世界や価値観は変わってくるもので、今となっては当時の親友とは疎遠になりましたが、お互いにとって必要な出会いで、別れだった。そう言い表せる大事な人です。

彼女と交わした会話を私はあまり覚えていません。ずっとそばに居たはずなのに。そう、だから。間違いなく私は、始めから感情表現があまり得意ではなかったのです。言葉を扱うということは、きっと恐らく誰よりも得意ではなかったように思います。

いつからこんなにも文章が書けるようになったのか。もしそれがあるのだとしたら、中学生の時に初めて本当に好きな人ができたから。だと思います。

当時、"りある"という日記のようなものが流行っていて、私はそれを本当に親しい人だけに見せていました。
もしかしたら、中学生の口約束なんて軽いから、こっそり教えていたパスワードは周知の事実だったかもしれません。

そこには、日々の出来事と彼への気持ちを前向きに綴るようにしました。見る人が限られているのになぜなのか。いつか自分が見たときに誇れる自分でありたいと思ったからでしょうか。意地かプライドか。少なくともその結果は、今こうしてほんの少しの成果として残っています。

それから時々。嬉しい時はたまに。辛い時はいつも文章を書いていました。とてもポジティブな言葉に書き換えて。誰かに何かを伝えるということが怖かった私は、自分で自分の気持ちを正直に書いて表して、ずっと内側の世界に閉じ込めていました。

悲しみに浸るのも、喜びに浸るのもずっとひとりでした。ずっと、誰かに見つけて欲しかったのかもしれないですね。

そんな日々を過ごしていたから、私がnoteという世界に辿り着いたのはとても自然なことでした。

たまに文章を書いて載せる。誰にも見せないけど、誰でも見られるような場所で。本当の私を知らない人なら見せてもいいかな、ただそれだけの気持ち。だから最初はフォロワーさんが増えるなんて思っても見ませんでした。

私が毎日投稿を始める前に、フォローしていた方々が毎日投稿をしているのをみて、なんとなく私もやってみようという気持ちになりました。

本当に何気ないきっかけでした。今こうして日々投稿をしていると、毎日noteを書くというのは決して楽なことではありません。自分が同じ立場になって初めてその凄さを実感します。

日々大変なのに、なぜやるの?ともしも、聞かれたら。読んでくれる人がいるから、その一言に尽きるかなと思います。

私はあまり褒められるのが得意ではありません。でも、褒められるのがとても好きです。矛盾しているかもしれないけれど、そういう人間です。

noteを読んでいると、この世界にはいろんな人がいて、日々悩んだり愛しい世界を満喫したり。ひとりひとりその全ての日々が違って見える。

そんなこの世界のどこかで実在している、仲間のような人たちが私の文章を読んでくれている。それが嬉しくて、頑張りたくて。勝手にここまで自己満で続けてきました。

皆さんの何気ないスキがここまで、続けさせてくれたのだろうと思います。

だから、日々無駄なことなんてなくて。自分なんて何もしていない、そんな風に思うこともあるかもしれないけれど、たった一つのスキだけでこうやって私の日々の活力になっています。ありがとうございます。

日々を重ねて、言葉を連ねて。私はこれからどこへ向かっていくのでしょうか。
答えはまだ分かりません。

以前、メッセージでしかやり取りをしたことがない3個下の子が”重ねる”という表現を使っていて、とても素敵だなと思い、私は今もこの表現を大事にしています。

今となっては連絡先もわからないけれど、その子が好きだと言っていたアーティストの曲は覚えていて、たまに聴く事があります。

彼は読書が好きで音楽が好きでゲームが好きだから。きっとどこかで、このnoteという広い海の世界で、すれ違うこともあるでしょう。

そうやって、日々の何気ない発言や行為が誰かの何かに繋がっているから。

自分はいつも何もできないとか、今日は何もできなかったとか思わなくていいんです。
少なくとも私はそう思います。

今日も一日お疲れ様でした。 noteがいつも私にくれる言葉です。

機械的でも愛しい台詞のように思えてくるのは、それがどこかにいる誰かの言葉だと思うから。

どうか、あなたの目の前の日々を少しでも愛せますように。

1ヶ月読んでくださった皆様、ありがとうございます。
まだまだ続きますので、温かく見守っていただけたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?