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2022年前半のスナップまとめ

2022年前半に撮影したスナップのまとめというか忘備録というか。
時系列もカラーやモノクロも、テーマも、色々ぐちゃぐちゃですが。
振り返りながら、つらつらと考え事をしました。

北九州に行ったなあという思い出。

大好きな旦過市場はこのあと一部火事で焼失してしまいました。
とても好きな市場です。地域の皆さんの無事と再建を祈念しています。

知らない土地を歩いたりしました。

今年は桜の時期に仕事が暇だったので色々撮りに行けて楽しかったです。


スナップに特に理由はありません。

こうして見返してみても、ポートレート撮る時のロケハンとか、仕事とか、色々な場所にいったという記憶はあります。でも今年の事なのにいろいろ思い出せないこともあるなあと思う。

思い出せないのは、自分が普段、何も考えずに生きているからなのかもしれない。意識的に生活していないから、覚えていない。
その場その場のリアクションで生きていては人生が短くなる気がしてきます。小学生の時は一日ですら長かったのに。

スナップはどこへ行った何を見たの忘備録にはなるが、自分の考えの忘備録にはなっていない気がしました。
僕は今年前半、何を考えて何に悩んで何を成し遂げて、何に失敗して、何を手に入れ失って、何が新しく始まって終わったのだろう。
写真にはそれらは写っていない気がします。
これらは「形状」でかない気がしてきました。写っているのは「感情」ではありません。

写真て「形」でしかないのかなあ。
もっと「中身」が見えるような気もするのだけれど、
それは僕にはそうそう捉えられるものではない気がしています。
僕が普段から無意識で過ごしすぎていて僕自身にあまり中身がないからなのかもしれません。

だから人を撮らせてもらうのは好きなのかもしれない。
少なくとも、誰かと撮影している時は「形」にならなくて済んでいる気がすることが出来るから(なにその日本語)。もしくは自分にはない「中身」を被写体が持っていてくれている気になれるから。
本当は人でも風景でも物でも、撮ってる人が出てきてしまうと思う。撮ってるひとに中身がなければ、何を撮ってもそれは中身がない気がする。

でもそもそも虚無みたいな作品や曲は好き。ポストアポカリプスものの世界観とか好き。

誰かと交流している時はその場に何か有意義なものが生まれて好きです。交流苦手だけどとても良い。
有の人間になりたいです。
下半期はもう少し意識的に生きてみよう、と思うだけ思いました。
そんなこと実行できるのだろうか。

おしまい

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