モノラル・ダイアローグスの射程
はじめに
この記事は、2022年5月4日に行われたモノラル・ダイアローグス感想会の議事録です。後に参照することを考慮し、以下の考えが誰の見方であるか併記していますが、その部分は無視していただいても構いません。
また、【あっかい】七草にちか、および【CONTRAIL】緋田美琴のネタバレを含みます。
シナリオの感想
逸見:SHHis が「始めようとし始め」た、今までとは違うことをし始めたという点で大きな前進があったと感じた。マイナスがゼロになるような印象を受けた。
すかいだよ:黒い箱の朗読を「何のことだろう」と感じながらシナリオを読み進め、クリニックが登場してやっと話の概形を理解できるという構造、ギミックが面白いと感じた。
樋川:この黒い箱の話は「群盲象を撫でる(評す、とも。視野の狭い人間には全体を見ることができない、等の意)」というインド発祥のことわざを引用しているのではないか。ただし、「盲」が示すように目に関連した言葉だが、今回のシナリオ中では聴覚と関連するピアノやその音に置き換えられていた。これはなぜか。
→逸見:SHHis は歌を歌うアイドルであるためではないか。ノーカラットで描かれていたように、ピアノは彼女たちの重要なモチーフでもある。
花森:緋田美琴の中に問いが生まれた、という印象。また、作中で登場した「異星人」としてシナリオをなぞっていく感覚があった。我々も黒い箱の中身を何であるか考えながら読んでいくのである。
また、全体として我々にも問いを投げかけてきていると感じたし、SHHis の二人もともに生きているしこの先の未来もあり、それは我々も同様である。
夏目:アイドルがどう頑張っていくかを考えた時に現れる一つの問題が、老いる/終わるという点である。フィクションの中ではこの問題を無視し放棄することができるが、ノーカラットにおける七草はづきの発言のように、彼女たちは夢が終わっても「生きていかなければならない」のであり、この問いを射程に入れていると感じた。
→樋川:終わるという点に着目すると、最後に現れた天井努の描写は「終わった後」の話に見える。また、「あの人はふしあわせなのか」という問いから、終わった後においても単純ではない価値判断が潜んでいることをうかがわせる。
クリニック
花森:クリニックや病院というと、何か病気に罹患したため行く場所というイメージがある。そのため、クリニックが登場した時には病気を想像して身構えたが、二人の認識の違いなどに彼女たちを向き合わせるための場として登場してきたことには安堵した。また、二人の目線を合わせるためになあなあなことはしないという気概も感じた。
逸見:花森が最初に抱いていた懸念は「病理化/医療化(異常を病気と判断し、治療の対象と見なすこと)」と呼ばれる現象に対するものであろうし、自身も同様の警戒心があった。しかし、「治療する」というニュアンスはなくもっと穏やかな描写であったことは好印象だった。
樋川:プロデューサーはカウンセラーではない。SHHis の二人が抱えるコミュニケーションの不足に対しては専門家(シナリオ中では「クリニック講師」と書かれていた。この点については後述する。)に頼ったという点は非常に切実な描写なのではないか。
すかいだよ:もしプロデューサーがにちかに対して「クリニック講師」と同じことを言ったとして、にちかはその言葉を受け止めてくれたとは考えにくい。
シナノ:プロデューサーができること・すべきこととそうでないこととの線引きをし、かつその結果登場した人物が事務所の利害関係とは無縁の人物であったことは重要な点である。
ただし、これらクリニックの描写から安易に「シャニマスはこういうテーマを扱っていてすごい」と称揚することには危険性が内包されていると感じる。
響きハレ:クリニックの描写において一点疑問に感じたのは、クリニックにSHHis の二人と「講師」だけでなくプロデューサーがいたことである。本来、あのような臨床の場は外界から独立した場であるが、そこにプロデューサーが同席することで実生活の権力関係や現実の常識などが入り込んでしまう。今回はプロデューサーが同席していた影響が見られたとは言えないが、普通はあの場にはプロデューサーがいるべきではないのではないか。
夏目:SHHis にとって今必要なことはテクニックを磨くことではなく、二人の関係の構築ではないか。また、バラエティー番組では箱の中身を当てられたことはステージ上で観客に対して行うパフォーマンスは成功させられるということと重なるが、その成功は二人がアイドルとしてうまく、幸せに生きているかという問いには応答できない。この点に応答するために絆を繋ぐ専門家に頼ったことはダンスの上手な人にダンスを教えてもらうことと同様に自然なことだと感じた。このクリニックの描写はまさしく「レッスン」であり、だからクリニック「講師」という表現が登場し、そのレッスンの場にはプロデューサーが同席できたのではないか。
詰まる
響きハレ:緋田美琴が七草にちかを黒い箱の中身としてこれからのことを問われたときに「ユニットのパートナー」以上の言葉を発することができなかったのは、何か言おうと思ったが言えなかった可能性がある。もし相手が自分にとってどうでもいい相手ならば、他の情報を求められても「別に言うことはない、ただのパートナーです」と言うこともできるはずである。ここに美琴の逡巡があり、にちかが美琴にとって単に事務的なパートナーではなく、何か言葉を紡ぐべき相手であるという認識も見られる。
夏目:この美琴が言葉に詰まったシーンは、美琴がにちかのことを大して考えておらず、同じステージを作るパートナー以上の考えがなかったことを示すシーンであると考える。
逸見:視点を緋田美琴から七草にちかに移すと、にちかは美琴の一側面しか見えていないことが明らかになる。にちかが美琴について言及した際にはスキルがあるがそれに満足せず、そして観客の記憶に残るという「アイドル」としての姿を表現するに留まった。ここで趣味嗜好にまで話題が展開されなかったのである。このことは、美琴の生活の味気無さを表現していると同時に、人間の一側面しか見えていないことの表現でもある。
花森:美琴が言葉に詰まったのを見て、美琴も完璧な人間ではないことをにちかが感じていたら良いなと思う。
→響きハレ:にちかは「自分がすごくない」から美琴は言葉を続けることができなかったと感じたのではないかと想像する。
シナノ:美琴が言葉に詰まったという出来事は、テレビでの受け答えはそつなくこなしパフォーマンスもできる、すなわち求められた事をしっかり返すことができたこの10年間の美琴の人生において相当にセンセーショナルな出来事であろう。また、自分に不足しているところがあると気づいた美琴がとった行動はすぐににちかの働くCDショップに行き、帰省するというスピーディーさを持っており美琴らしいと感じる。ただしこの「最短距離」を通るかのような行動が良いことであるかどうかは別の問題である。
関係を紡ぐ
夏目:斑鳩ルカは実家に帰るが、それで根本的に痛みが解決したわけではない。ルカにもSHHis と同様に、関係をうまく構築していく必要があるのではないか。
すかいだよ:レッスンに集中している美琴の名前を大きな声で呼ぶのはプロデューサーである。このようなプロデューサーと美琴の関係は、美琴の部屋のドアをプロデューサーがノックし、それに気づいて美琴がドアを開けるというイメージがある。一方でルカとそのマネージャーの関係は、ルカの部屋の外からルカの気持ちをマネージャーが想像するという関わり方であり、対話が発生しているとは思えない。
→花森:マネージャーはルカがこれ以上傷つきませんようにと願っているように感じる。
→樋川:ルカの母はルカのことを愛しているだろうが、それでいてアイドルの活躍を止めようとしていないのは意外に感じた。Wing編のにちかがアイドル活動に反対されていたのとは対照的である。
逸見:ルカの周辺のコミュニケーションは一方通行という印象がある。特に、過去の雑誌に書かれてたルカの発言では美琴のことは大体わかる、と言いつつもその後には「このへんでバーッて大きい振り入るな、とか」と続いており、美琴がどのような人間であるかという点には触れられていない。一方でSHHis の二人は相手のことを見つめる営みを獲得する。ここではまず二人が対話しようという意思を持っていたことが重要である。また、美琴が分かっていないことを分かっていないと伝え、かつ分かっていないことを分かろうとして時間と空間を共有する働きかけをし、それににちかが答えたことは重要な点であろう。また、美琴に関しては10年間も帰省していなかったのに「何かを始めるなら時間が必要」と考えて帰省の決断を下すほどに真剣に受け止めてくれたことは大きな前進である。
これは願いであるが、言語化という営みと相手と自分とを見つめる営みによってSHHisが互いの人格に触れ、関係性に前進があることを望む。
花森:プロデューサーが美琴に対して「美琴がずっと磨き続けてきたものを存分に発揮できる場所を用意したい」と言いつつも「それで本当に合っているのか分からないとも思う」という、自分のなかで整理できていない考えを吐露した。この姿を見たからこそ、にちかに分からないと伝えられたのではないか。
また、美琴にはSHHis 二人で何かを作り上げているという意識が薄い、あるいはないのではないか。美琴は知人ダンサーから発せられた「安定軌道」という言葉にしっくりきていない様子だったが、これはバラエティー番組にはにちかしか出ておらず、二人がバラバラに活動しているという認識があると思われる。
夏目:「エンカウンター・グループ」での美琴とプロデューサーのやり取りで美琴は重要な点を見逃していると考える。現在、美琴はスキルを磨き続け、にちかは番組に出演してステージの仕事に繋げてパフォーマンスを発揮することが出来ている。「なみまにあい」ではプロデューサーがにちかのバラエティー番組出演について「シーズの仕事が増えるならって思ってるんだろ」と言っていたことを考えると、にちかの犠牲のもとにステージが成立していること、にちかのやっていることが犠牲として存在すること、そしてそれらの事実に対して美琴が無自覚であることが美琴自身に無視されている。プロデューサーが言おうとしていたことのなかにはステージが成立する過程が含まれていると考えられるが、美琴はその先のことにしか関心がなくステージを「用意してもらうだけでは意味がない」と言っている。
響きハレ:ステージに関しては、美琴が演出なども含めて一人で作り上げているという印象もある。
→花森:このやり方がにちかの疎外感や自分にできることはないという無力感を加速させているのではないか。
→逸見:にちかの自己肯定感の低さについては、彼女が置かれてきた環境のことを忘れるべきではない。それらを無視して単ににちかが自己肯定感の低い人間であると評価するのは酷であろう。
→夏目:にちかは果たしてしっかり自分を見た結果として自分を卑下しているのだろうか。
ケア
シナノ:ルカからルカの母、ルカの母からルカへのやり取りは互いに思いやりがありケア的に見える。ルカにとって実家は「帰ることができる」場所であるという点は重要である。なぜなら、SHHis にとって帰ることができる場所はないためである。
夏目:社会学者である宮台真司は「ホームベース」という言葉で「帰ることができる場所であり、社会の生活を成立させられる場」のことを概念化している。ルカについては、実家から社会に接続されていない点を考慮すると「シェルター」という語が適当ではないか。また、ルカの問題に対処し得る場所としてのホームベースはユニットだったかもしれないが、現状で付き合いの長い人を探すとそれはマネージャーになる。ルカのことを全てルカだけに背負わせないような環境がそこにあるかどうか、このことがルカの幸福に強く関係するのではないか。
響きハレ:ルカのマネージャーの気遣いは人間としてのルカではなく、アイドルとしてのルカを念頭に置いている印象がある。このマネージャーの思いやりがルカにとってケアであるかどうかは一考の余地が残るところである。ただし、ルカ周辺の事情は否定されるべきものではない。また、SHHis の二人はアイドルに殉教するかのような危うさがある。美琴は「死んだっていい」とさえ言い、にちかも健全とは言えない減量の描写がある。だが、それに対してもっと健康に生きようと声を掛けることはどれだけ意味があることなのか、自殺しようとする人に対して自殺は良くないから止めるべきだと声を掛けるような形になっていないかという点は考慮すべきである。
→逸見:ルカとその周辺の事情は、283プロダクションへのアンチテーゼとして存在し、283プロダクションの価値観のもとで打破されるべきものであると見ることはできない。
人間性の回復の物語
逸見:美琴に着目してシナリオを読むと、人間性の回復のための物語という印象がある。人間性の回復の物語であるということは、人間性が今欠落しているということである。にちかから美琴への眼差しは神聖視のニュアンスがある。報酬カード【あっかい】ではにちかが美琴に対して「天使の彫刻のような指が血が通っているみたいに動く」という表現をしている。天使というワードは明確に聖性をもつ言葉であるし、美琴は生物であり動くことはごく自然なはずなのに「血が通っているみたいに」という言葉が当てられている。また、美琴には身体的快楽・身体的欲求についての描写が乏しく、水やゼリーなど味気ない飲食物が美琴には付随している。一方でルカには買い出しのシーンや「ナポリタン」、にちかにはごはん当番というようにごく一般的な食事を連想させる表現がなされている。これら二つの点から、美琴に聖性が付与されていると見ることが出来る。
この聖性を持つ美琴という像が東京でのレッスン漬けの生活と密接な関わりを持っていることは明白だろう。ここで、練習以外のものがあったころ=北海道に帰るという選択をした美琴は、その練習に欠如していたものを取り戻して仕事に復帰するのではないか。【CONTRAIL】にて、表現力を用いて表現すべきこと、表現したいことを美琴が見つけられていないことが明らかにされているが、その問題への答えが北海道で見つかるのではないか。なお、この「表現したいことがない」という点はシナリオ中に頻繫に登場したピアノとも関わる。ピアノはあくまで道具であり、ピアノを用いて奏でられる和声や旋律も表現したいことがなければ見出すことが難しい。「伝えたいものの不在」と「黒い箱が依然黒い箱であり続けた」ことが重なっている。
響きハレ:美琴の身体的快楽の欠如には空虚さを感じる。快楽する身体がないという点で、黒い箱は美琴の身体でもあるのだろう。
→夏目:「空虚さ」に関しては、感謝祭のシナリオでも感じられた。「感謝するのは当たり前」と言いつつも「人の名前を呼ばない」美琴の発するその言葉には中身があるのか。言葉には宛先が必要だが、楽屋を分けた理由や帰省するという決断をにちかに直接伝えることができていなかった美琴には、それらを伝えるべきという考えがなかったのではないか。また、最後ににちかに対して「あなたは?」と、名前を呼ばない形で問いかけたのはどういう理由なのか。
→花森:箱の中身としてのにちかに対する言葉が紡げなかったのに、にちかを「にちか」と呼んでいいのかという不安があったのかもしれない。
鏡
樋川:にちかにとって鏡を見ることは自分と向き合うことを示すのではないか。
→すかいだよ:にちかは鏡を通して「人からどう見えているのか」を見ている。自分への問いかけ、自分を掘り下げることはしていない。
響きハレ:人が自分を見ようと思うと、客観的な姿を映す装置である鏡を使うしかない。美琴は「私たちの仕事を評価するのは私たちではない」と言っているように、極端に物事を客観視している。美琴は鏡を通して鏡に映る像を認識しているが、鏡の手前の存在が消失しているのである。ここで「ここには主観しかない」という講師の言葉が響いてくる。何かを見たり感じたりする主観を回復するという点は、人間性の回復にも関係している。
樋川:鏡を見るという行為に想像力は求められない。ノーカラットにおいてはちみつレモンをにちかが作っていたとは思いもよらなかったところなどを見るに、美琴には想像力が欠如している。鏡を客観的に見続ける美琴は、想像力を持って観客のことを見つめることができていないのではないか。なお、にちかに関してはWing優勝後に八雲なみに思いをはせていることが示すように、想像力はあるのだと思う。
また、今回の報酬カードはピエロなのではないか。カードの演出ではテキストと音声が別々になっており、会話と独白が重なっている。これは内面を取り繕うピエロのような印象がある。
domo:鏡に映るにちかにはハイライトがないが、手前のにちかにはハイライトがある。このことにはポジティブな印象を受ける。
宝石
樋川:SHHis に関係するテキストには宝石、そして宝石を作るために必要な工程である研磨に関連するワードが頻出する。また、「磨く」という言葉に関連して、鏡や靴が象徴的に取り入れられている。今回、人間関係の表現のなかで登場した「すり合わせる」という言葉も、研磨を連想させる側面がある。
また、ダイヤモンドは地下の高温高圧の環境で形成される。ノーカラットで印象的に用いられた「奈落」は地下であり、SHHis を取り巻くハードな環境は高温高圧のメタファーであろう。そして、今回のシナリオで登場した美琴のセリフ「暑くなりそう」も、高温高圧というダイヤモンドの形成過程を想像させるワードなのではないか。
斑鳩ルカ・八雲なみ・天井努
響きハレ:「神様は死んだ、って」は反キリスト教的メッセージを感じる。キリスト教の教義では、イエスの死は人類の救済である。一方で「神様は死んだ、って」の歌詞には他者の犠牲を勝手に救済と見なすことへの抵抗や反感があり、死や痛みや絶望はその本人に帰されるべきであるという意思の表明ではないか。また、このことは「ルカの痛みは私の痛み」と言っているファンにも投げかけられる問いである。
→domo:もしルカの母が八雲なみであるならば、ルカは母の気持ちを勝手に「ふしあわせ」であると決めつけで天井努に反抗的な態度を取っていると見ることが出来るのではないか。
→シナノ:八雲なみは天井努によって足をくじかれ声を奪われた人間であることは無視できない。八雲なみが消えていくまでの過程に存在した関係性や力学のことを天井努に突きつけることができるのはルカであり、ルカが母のことで声を上げることには正当性がある。
→逸見:極めて親しい間柄の人間に関することで感情的になること、声をあげることは自然なことである。ルカの行いは非難されるべきであるとは言えないし、天井努がやってきたことは消えない。
響きハレ:天井努とルカのシーンは、我々をルカの立場に引き寄せるという演出的な意図を感じる。
天井努と八雲なみは和解しているのだろうか。もししていないのであれば、あの態度は不遜すぎる。
→すかいだよ:毎年八雲なみに対して届かない懺悔をしているが、罪の意識がある割には最後のシーンでの態度が謎で仕方ない。ルカにさえ嫌われようとしているのかもしれない。
→逸見:友人の死をはじめとして天井努の周辺で起こった様々なライフイベントによって天井努の精神が崩壊し、その結果としてあのような行動をとることができたのではないか。天井努の行動の背景には精神を変容させ得るほどの出来事の連続があったという可能性は捨てられない。
その他
シナノ:文字と音声が別々になっている(文字で書かれていることと音声で発せられる言葉が別であること)演出には批判的であるべきである。耳が聞こえない人や音を聞かずにプレイヤーする人には、この演出に気付く可能性すら排除されている。
また、SHHis の1周目pSSRやCDジャケットでは、SHHis の二人が互いの口をふさぎ合っている構図の絵が使われている。これは示唆的であろう。
加えて、SHHis がプレイヤーにとって天井努の物語として回収されないで彼女たちの物語として受け止められることを願う。
→響きハレ:その点で、His(彼の)を上書きするような形で SH が付けられ、「わたし(she)がわたし(she)になるための」と銘打たれたユニットであるSHHis には何らかの意味が感じられる。
終わりに
以上、様々な論点が提示されました。これらの視点は今回の参加者がSHHis に対してどのような切り口で見ているのかを示しています。この議事録に残された文章からヒントを得てSHHis を見ることができれば嬉しく思います。また、最後までお読みいただいた方に感謝申し上げるとともに、この議事録が何かしらの一助となればと思います。
参加者
・逸見Althoff(twitter:@AlthoffVItsumi)
・シナノ(twitter:@m800_illust)
・すかいだよ(twitter:@SKY_dayo_)
・domo(twitter:@domo_no_hito)
・花森(twitter:@mori___39)
・樋川(twitter:@higawahikawa)
・響きハレ(twitter:@mokamokamas)
・夏目P石(twitter:@quelque_nanika)
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