餞は忘れないこと

恋は上書き保存か、名前をつけて保存か。みたいな話をもっと壮大にした感じかもしれない。あまりまとまってないけど、できることなら熱いうちに出す。


私自身、死者への最大の餞は「その人を忘れないこと」だと思っている。
思い出として話したり、写真を見て思い返したり。頭の片隅に常に存在させておくことが重要なのではないかと考えている。

ただそれって、「家族」とか「友達」とかの場合に限る話なのかと感じる時もある。
「恋人」の場合はどうなのだろう。

※できることなら、新しい恋をする時は昔の恋に上書きするか、ゴミ箱に入れておきたい。というのを前提条件とします。

例え話、ある日恋人同士が、突然引き裂かれるようなことがありました。
事故死でも神隠しでもここでは関係ないのでどんな消え方かは問いませんが、別れる気配が内側からも外側からも感じられなかった、本当に愛し合っていた2人です。
ドラマだったら「なぜ神様はこんなことをしたのでしょう」と嘆くレベルということで相手が浮気したとかそんなことはなく、街に歩けばすれ違うよくいるカップルです。

恋人て基本的に契約を結んでいるわけでもないわけじゃありませんか。婚姻と違って自由だから。
それで、私は思うんですよ。いなくなった方(以下A)は残された方(以下B)に残酷なことをするなって。
BはAのことを思い出にできない間は特に。次に進めないわけじゃないですか。うまく関係切れないし。B自身はなんとか耐えて立ち直って、別の人(以下X)と一緒になる、てなってもいなくなったAからしたらBは浮気している、と感じかねないのではないのだろうか。だってAの中で恋人はBのままであるから。Bは一生Aとの恋愛の思い出をX含む別の人の記憶に塗り替えれないわけです。Aの記憶だけ名前をつけて保存することになってしまいます。

突然引き裂かれたのできちんとお別れをしていない。現実だったら痴情のもつれとか言われるやつ。
それで「死者への最大の餞は忘れないこと」というのは矛盾が生じるのではないか?思う瞬間があるのです。
BはAのことを思い出しては次に進めない足枷になる可能性だってあるわけです。忘れないこと、つまりここにはいないけど、『生きていた』という証人になるということ。塗り替えるわけにはいかないわけです。

忘れたいけど忘れることのできない、ある意味呪いに近くなってしまうのではないのか?
無惨にも引き裂かれてしまったわけで、できることなら思い出すだけでも忘れてない安心感がありと同時に「もういない」という喪失感。
私の意見ですけど、できるなら思い出したくないと思ってしまう。辛い記憶は嬉しい記憶よりも深く刻まれてしまうから。
忘れてしまうことは餞にも弔いにもできないので難しいなと。

忘れることでなにか変わることもあるのかと考える反面、いなくなった人が「本当の意味でいなくなる(=人の記憶から消える)」という恐怖どっちもあるよね、とか考えるわけです。
「心の中で生きている」という言葉をよく目にすると思いますが、心の中で生かすためには存在自体を肯定しないといけない。

もしこのAとBが夫婦だったら、子供いたら忘形見じゃなんだと思って子供と一緒に生きたりするし、いなくても結ばれた2人だから何かちゃんと記録にも残るわけですよ。あまり詳しく知らないんですけど、結婚したパートナーが亡くなった場合て縁を切る切らない関係で手続きあるらしいですね。公的にいろいろ手を加えれるから夫婦の繋がりてはっきりしてるなと思います。

でも恋人て、記憶だけ残って無にかえるよね、と考えた話。

この話を親しい人間にしたら「普段からそんなこと考えない」と言われましたが、私は考えます。自分の死生観は人に言わないだけでそれぞれ抱えてると思うんです。

皆さんどう考えます?


おまけの小話

ここから先は

799字

¥ 300

モチベーション向上、活動継続のため、もしよろしければサポートお願いします!