生命は原理的にモデル化できない 【Robert Rosen "Life Itself", ALife Book Club 6-2】

こんにちは!Alternative Machineの小島です。
Robert Rosen "Life Itself"の二回目をお届けします。
生命をうまく取り扱えないのは、これまでのやり方に原理的な問題がある、ということですごく基本のところを考え直していきます

「生命そのもの」の理論を扱う本、ロバート・ローゼン "Life Itself"の二回目です。
(この本やはりややこしくて、またもや一週休んでしまいました。すみません。)
今回から具体的な内容に入っていきます。

なんで生命がわからないのか

さて、この本のターゲットは「生命そのもの」です。

物理が発展している今、ありとあらゆるものはすべて科学的に取り扱えるはずです。それは生命も例外ではなくて、構成要素である分子の振る舞いは物理法則で完全に記述できます

それなのに、「生命とはなにか」という問いにはなぜかうまく答えられないのです。分子生物学が発展したことで、生命を構成しているさまざまなメカニズムが、どのようにできているのかはよくわかってきているのですが、では「生命そのもの」とはなにか、となると困ってしまいます。
そのギャップは人工生命の中心課題ですし、議論がつづいているところです。

これに対してローゼンは、物理とか機械論的なやりかたでは原理的に生命は取り扱えない、という結構ラディカルな主張をしていきます。

たとえば、物理でもニュートン力学の範囲にとどまっていると、電磁気学と整合性が取れなかったり、動きが速いと結果が合わなかったりします。それを解消するには、ニュートン力学を捨て去り、アインシュタインの相対性理論へと移行しないといけません。
生命を扱うには、同じようなパラダイム・シフトが必要というのがロバート・ローゼンの主張なのです。

基礎に立ち戻る

考えている枠組みそのものを疑わないといけないときにやるべきことは、基本的なことに立ち戻ってそこから再検討していくことです。

たとえば、アインシュタインの特殊相対性理論は、時間という自明に考えてしまいがちなものを光時計という概念を使って検討し直すことで成立しました。
ここでも同じようにあたりまえに思っていることを考え直さないといけません。

ロバート・ローゼンがターゲットにする「当たり前のこと」とは、自然現象を機械としてモデル化する、ということです。
これをあらためて考え直すことで、このパラダイムでは扱えない生命へのアプローチが見えてくるはず、というわけです。

そんなわけで、この本に具体的な生物の話はほとんどなく、「機械としてモデル化する」を基礎から考え直すという抽象的な話なのです。

「モデル化する」ということ

今回は「機械としてモデル化」のうち、「モデル化」の部分を見ていきます

形式システムと自然システム

ここでの登場人物は、形式システム(Formal system)と自然システム(Natural system)です。

自然システムは自然現象に対応し、これがモデル化の対象です。一方の形式システムがモデルを担います。

形式システムは論理的なシステムのことです。
もしご存知であればユークリッド幾何学をイメージしてもらえるとよいかと思います。前提が決まっていて、そこから論理的に導出していく、というものです。

たとえばAという前提があって、「AならばB」があれば、そこからBが導出できるといった具合です。
これをこの本ではinferential entailment(推論的エンテイルメント)と呼びます。

エンテイルメントは本書のキーワードのひとつで、何かから何かが帰結される、という意味合いで用いられています。

一方の、自然システムでは物事が因果的に展開していきます。そこで、自然システムにおいて、あることによって他のことが起きるということを同じくエンテイルメントという言葉を使って、causal entailment(因果的エンテイルメント)と呼んでいます

モデル化というのは、自然システムの振る舞いを、形式システムで再現することに相当します。
(もうすこし数学っぽくいうなら、自然システムの事象と形式システムの事象が互いに写像でき、それぞれでの変化が対応するようなものです。)

次回予告:状態モデルと関係生物学

なんとなくローゼンのアプローチが抽象的であることがわかってきたでしょうか?

次回はモデル化をもうすこし深堀りして、状態によるアプローチと、ローゼンが新たに導入する関係生物学(relational biology)を見ていこうと思います。

来週もぜひともご覧ください!!

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