シミュレーション可能性と機械 【Robert Rosen "Life Itself", ALife Book Club 6-4】

こんにちは!Alternative Machineの小島です。
「機械としてモデル化する」の真意をみるべく、ローゼンのいうところの「機械」の定義を確認していきます。
そこから、自然システムがある条件を満たしていれば、還元主義的に扱える、、という話になっていきます。

だいぶ準備ができてきたので、今回から「生命では機械としてモデル化できない」というローゼンの主張に迫っていこうと思います。

「シミュレーション可能」とは

とはいえ、まだローゼンの言うところの「機械」の定義もまだでした。
このためにシミュレーション可能(simulability)という概念を導入します。

言葉としてはモデル化と近そうですが、ローゼンははっきりと使い分けしています。これまで見たように、モデル化とは自然システムを形式システムで再現することでした。

一方のシミュレーション可能は、計算可能(computability)と同様の概念でチューリング機械で実行できるもののことを指しています。

チューリング機械ご存知でない方は、コンピューターで実行できるかどうか、と思ってもらって大丈夫です。

チューリング機械には、テープとヘッドという2つで構成されているという特徴があります。テープには記号を書き込むことができて、ヘッドはその記号を読み込んで動作し、テープ上を左右に動きながら記号を書き換えていくことができます。その動作の結果として計算が実行できるのがチューリング機械のすごいところです。

そしてなにより重要なのは普遍チューリング機械(Universal Turing Machine)の存在です。普遍と名乗っているように、これさえあればどんなチューリング機械の動作も可能というものです。OSみたいなものだと思っていいかもしれません。各ソフトの情報を、テープ上に書いておけば、それを読み込んでいろんなソフトをそのうえで実行できるのです。

チューリング機械におけるテープとヘッドの区別、さらにテープ内にはプログラム部分とそれ以外があること、これらはあとで使うことになります。

「機械」の定義

「シミュレーション可能」わかったので、やっとRosenのいうところの「機械」の定義ができます。
もうひとつの重要概念「メカニズム」とあわせて定義を見てみましょう。

メカニズム(Mechanism):自然システムであって、そのすべてのモデルがシミュレーション可能であるもの
機械(Machine):メカニズムであって、そのモデルの少なくとも1つが数学的機械(mathematical machine)であるもの。

まず、メカニズムのほうは自然システムの部分集合で、そこから作られるどんなモデルもシミュレーション可能、すなわちチューリング機械として計算できる、という特殊な性質を持つものを指します。

機械はさらにメカニズムの部分集合にあたり、モデルのうち少なくともひとつが数学的機械である、という条件が追加されています。

ここでいう数学的機械とはチューリング・マシンのようなものです。
つまりメカニズムの方はあくまでも外部からシミュレーション可能なだけであって、自らシミュレーションできるとは限りません。それに対して、機械のほうは内部にチューリング・マシンを内包しているため、自分自身でシミュレーションを実行できるもの、ということになります。

メカニズムは分けて考えられる

さて、やっとローゼンのメインの主張の一つが紹介できます。
それはある自然システムがメカニズムなら、分けて考えることができる(還元主義が適用できる)ということです。

もうすこし数学っぽくいうなら、メカニズムには以下のような性質があることになります。

性質 1:各メカニズムには最大モデル(M_max)がただひとつ存在
性質2:各メカニズムには、最小モデルの集合({M_min})がただひとつ存在
性質3:この最大モデルは最小モデルの直和と等価

ある自然システムをモデル化する方法はたくさんあります。部分的にモデル化することもできるし、広くモデル化することもできます。
そして、広いモデルを作っておけば、そこから部分的なモデルを出すことはできますが、逆に部分的なモデルの情報から広いモデルを取り出すことはできません。
このように、あるモデルAから別のモデルBが出せるが、逆はできないときにAはBより大きいモデルであると定義します。

性質1の言っていることは、自然システムがメカニズムなら、これのあらゆるモデルを導き出すことができるモデル(最大モデル M_max)が存在するということです。

性質2は、逆に小さいモデルについて扱っています。大きいモデルをどんどん細分化していくことで、より小さなモデルが得られます。そして、それ以上分けられなくなったものが最小モデル M_minです。こちらは細かい部分に分かれるので、最小モデルはひとつではなく、たくさんあります。ですが、この集合{M_min}はただひとつに定まる、というのが性質2の主張です。

そして性質3が重要です。性質2で得られた最小モデルの集合{M_min}、これは大きいモデルをバラバラにした破片のようなものですが、これを足し上げると最大モデルM_maxになる、というのです。
{M_min}があればM_maxがつくれ、そして定義よりM_maxからはこのシステムのありとあらゆるモデルが取り出せるので、つまり、最小モデルの集合{M_min}さえわかればこのシステムがすべて理解できることになります。
言い換えるならば、メカニズムは細かく分けて理解できる、還元主義的アプローチが可能だということです。

(これらの性質の導出の説明は割愛させてください。そもそも、初回にお伝えしたように導出が正しいのかどうかが怪しいという話もあります。)

次回予告:機械としてあらわせないもの

さて、自然システムがメカニズムであれば還元主義的アプローチが可能であるということを見てきました。
最終回となる来週はついに生命の話です。なぜローゼンは生命が機械であらわせないと考えたのか、そのあたりを見ていきます。

次回もぜひご覧ください!

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