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「天使が立ち入るのをおそれるところ」から見るベイトソンの読み方 (ALife Book Club 4-1)

こんにちは! Alternative Machine Inc.の小島です。
今回からはベイトソン『天使のおそれ』についてお話していきます。
(対応するYouTube動画はこちらです。)
ベイトソン初心者から、熱烈なファンまで幅広く楽しんでいただけるようにがんばります!

今回からベイトソン、特に遺稿である『天使のおそれ』という本を中心にお話していこうと思います。よろしくお願いします!

ベイトソンのブーム到来?

みなさん、ベイトソンはご存知でしょうか
以前取り上げたヴァレラも僕らの界隈でのヒーローの一人ですが、ベイトソンもまたとても人気のある人物です。
どんな人かを一言で説明するのはなかなか難しいのですが、文化人類学者でありながら、サイバネティクスの中心となったメイシー会議に参加し、そこで得られた概念にもとづいてさまざまな思想を展開していった人、といった感じです。

そんな有名で人気のあるベイトソンですが、最近まで日本では著書が全て絶版で入手困難な状況でした

ところが去年から今年にかけて、ベイトソンの主著が相次いで復刊されて、この状況が一気に解消されました!

こんなにたくさん(しかも文庫で)出版されました!
これは大朗報でしたし、特に『精神の生態学へ』のほうは翻訳が以前よりも読みやすいものにブラッシュアップされており、ベイトソンへのアクセスのしやすさは格段にアップしました。ほんとうにありがたい限りです。

この復刊ラッシュは、翻訳されている佐藤良明さんの尽力ももちろんのこと、『デカルトからベイトソンへ』という本の存在も少なからず貢献していると思います。

この本でベイトソンという名前を知った人も多いのではないでしょうか。
これも4年前に復刊されたばかりで、その一つのきっかけは落合陽一さんが、本書の「世界の最魔術化」という言葉を「魔法の世紀」としてオマージュしたことでした。
(ちなみにこの『デカルトからベイトソンへ』、まさかの柴田元幸訳です。すごいですよね。)

そんなわけで、ここ数年でベイトソンをとりまく国内の状況はびっくりするほどよくなりました

でも、僕はまだちょっと不満です。こんなにいろいろ整ってきたのだからもっともっとブームになってもいいのに、、と思っています。
今回取り上げる『天使のおそれ』もまだ絶版のままですし。)

というわけで、まだベイトソンを読んだことがなかったという方はこの機会にぜひ手にとっていただきたいです。

ただ、そんなベイトソン初心者にはちょっと注意事項があります。それは、ベイトソンの目指していることが勘違いされがちということです。そしてその勘違いゆえに敬遠しているひとがいるのでは(実際僕もそうでした)と思います。

ベイトソンのやろうとしていること

ベイトソンのやろうとしていることを一言にまとめるならば
科学で直接扱えないもの(心、情報、宗教など)の体系的なわかりかた(「認識論」)をつくることです

これを見誤ることで、こんな感じに(全く逆のベクトルとして)ベイトソンへの違和感が生まれるのではと思われます。

科学系の人のベイトソン観:ちょっとうさんくさい。科学用語の使い方が不正確
人文系の人のベイトソン観:議論が堅実すぎる。ちょっと物足りない。

前者は以前の僕が思っていたことです。ベイトソンはエントロピーやエネルギーのような科学用語を、ゆるめに使うことが確かにあります。

そんな人にお伝えしたいのは、ベイトソンは普通科学で語られないところになんとか体系的な理解を打ち立てようとしている、ということです。そしてそういうわかり方を実現するために、科学の道具を駆使しようとしている、というわけです。
そんな大変なことを企てているがゆえに、もともとの用法から外れることはありますが、体系的な理解を目指しているという点はぶれておらず、健全な議論を保とうとしている、という点がベイトソンのすごいところなのです。

後者は半分想像ですが、『天使のおそれ』の訳者(星川淳さん)もあとがきで「彼の根深い懐疑主義・実証主義にはやはりじれったさを禁じえない」と書かれていますし、一定数いるのではと推察します。人文系というよりも、カウンターカルチャーに属している人という感じかもしれません。
こちらの感想をもっている人にベイトソンのアプローチの必然性を説明するのは結構難しいです。実際ベイトソンもなかなか困っていたようで、本書にはこんな詩が載っています。

『原稿』
(前略)
それらはみな説教師と
催眠術師と、セラピストと、宣教師のしごと
彼らはわたしのあとをつけて
それを餌にもっと多くの罠をしかけるだろう
寂寥とした
真実の
骨格に
耐えられない者たちをねらって

「多くの罠をしかけるだろう」とか言ってますね、、
このへんはわかり方の問題なのですが、やはり誠実に「真実の骨格」にせまるには体系的な理解が欠かせないと思います。

『天使のおそれ』というタイトル

今回取り上げる『天使のおそれ』という題名もこのベイトソンの態度と無関係ではありません。

『天使のおそれ』と訳されていますが、正確に言うともともとは"ANGELS FEAR"(「天使おそれる」)であって、"Angel's fear"(「天使のおそれ」)ではありません
これさらにたどると、もともとは"Where Angels Fears to Tread"(「天使が立ち入るのをおそれるところ」)というタイトルだったようです。
この場所が指しているのは、本書が対象にしている、聖なるもの、神秘的なもののことです。これらはそう簡単にわかるものではなく、理解のためにはおそれながらすすまなければならないというベイトソンの姿勢がうかがえるタイトルなのです。

このように、扱う題材は大胆でありながらも、そこへのアプローチは体系化を志向した厳密で誠実さを感じるものであるという、その絶妙なバランスがベイトソンの魅力だと僕は思います。

次回から具体的な内容に入っていきますが、そこでもベイトソンの良さを損なわないように慎重にすこしずつ聖なるものへと近づいていこうと思います。

では、今週はこのへんで。また次回もぜひご覧ください!

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